「長い江戸時代」の終わり

池田 信夫

近代世界システム〈1〉―農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立 (岩波モダンクラシックス)ウォーラーステインは、今や古典となった本書で、近代世界システムの起源を「長い16世紀」に求めた。これはもとは(彼の師匠である)ブローデルの概念で、この時期に近代資本主義が世界経済として経済的に統一される一方、政治的には競争を続けたことがダイナミックな経済システムを生み出した。他方で中国のような世界帝国は、域内を政治的にも経済的にも統合して重税で搾取したため、停滞した――と考える。


しかし最近の実証研究では、これは誤りだとされている。中国の税率は5~10%と低く、公共サービスはほとんどなかったが経済活動は自由だった。ブルボン王朝の末期も5%ぐらいだった。豪華なベルサイユ宮殿のために税金を払うことを民衆が拒んだことが、フランス革命の原因だった。他方で西洋の都市国家の税率は30%以上あったが、租税反乱は起こらなかった。市民の生命を守るという受益と負担の関係が明確だったからである。

日本でも渡辺京二氏が指摘するように、百姓は自分たちを保護する領主への対価は負担したが、不在地主が一方的に取り立てる貢物は拒否した。「五公五民」などといわれるが、実際には課税対象となる石高が17世紀末ごろで固定されたため、それ以降に増産された分は非課税で、幕末には実効税率は20%ぐらいだったとされる。この税収不足で各藩の財政が困窮したことが、幕藩体制が崩壊した原因だった。

ニューズウィークにも書いたように、今回の消費税の増税分もほとんどが老人福祉に使われて現役世代にはメリットがない「貢物」なので、現役世代がそれを拒否する気持ちはわかる。彼らが(潜在意識で)拒否しているのは、江戸時代の百姓一揆と同じ受益なき負担なのかもしれない。

特に社会保障の無原則な膨張で、特別会計を含む歳出の1/3は移転支出になってしまった。これは単なる所得移転なので、負の所得税のような形で簡素化すべきだ。公共サービスも政府が直接やるべきものは少ないので、大部分は教育バウチャーのような形で所得再分配に帰着させ、徹底的に効率化すべきだ。

これは世界のどこでも全面的に実現したことのないラディカルな改革である。特に中間集団が個人をやさしく包み込むことに慣れた日本で、裸の個人に政府が現金を配るという制度は違和感が強いだろう。しかし残念ながら、ここまで政府債務が積み上がると、今までのシステムを温存してソフトランディングすることは不可能に近い。

『気分はまだ江戸時代』は、ダウンロードが殺到してサーバが一時的にダウンしてご迷惑をかけたが、もしかすると、われわれは17世紀以来の「長い江戸時代」の終わりに立ち会っているのかも知れない。