日本人が勤勉すぎて苦しんでいるのは「稲作」文化の名残

新 清士

天才!  成功する人々の法則
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なぜ、日本や中国といった東アジア地域では「勤勉性」があたりまえという文化的常識が生まれているのかという原因を、それを西洋が「麦」を育てていたのに対して、日本や中国が「稲」であったことが大きいのではないかという指摘がある。

刺激的な一般的な科学啓蒙書を発表し続けているマルコム・グラッドウェル「天才 成功する人々の法則(原題Outliers The Story of Success)」で、一般に思い込まれているように天才には生まれながらの天才は存在しないというパラドックスを描いているノンフィクションだ。「天才」と呼ばれてきた人たちは、必ずしも生まれたときから天才なのではなく、環境要因が大きいのではないかとの疑問を投げかけているのがこの書籍だ。

18世紀の欧米の麦作中心の社会の年間労働時間は1200時間


それで、この本で非常に面白いのが、麦作を主体として社会を形成していた欧米社会と、稲作を主体としていた東アジアの農業では、労働時間に大きな差が存在しており、それが社会そのものを勤勉化する文化的な差を生みだしていったということが指摘されている点だ。

比較としてグラッドウェルは、現在でも狩猟採集生活を続けているカラハリ砂漠のボツワナのサン族と麦社会であった西欧と、そして、東アジアの米社会との労働時間の差を上げている。サン族は何も栽培しない。暮らしている食料環境が恵まれておりブルーベリーや根菜、木の実を手に入れる事ができるため、栄養価の高いものを簡単に手に入れる事画で生きるため何も栽培しない。狩猟も主に気晴らしのためで、週に12~19時間しか労働を行わない

一方で18世紀の欧州の「麦作」中心社会の農業労働者は、麦やトウモロコシはそこまでの複雑な管理を必要としない。種をまき月の終わりまでに雨が降れば適当に育ってくる。そのため、年間の労働量は1200時間程度。怠惰に過ごしている時間が長く、冬場はワインを飲み、怠けているように見える生活を送っていた。これは食料を取れない冬場に最低限のカロリー消費で暮らせるように「冬眠」に近い状態を生みだしていたのでないのかとグラッドウェルは指摘している。

稲作中心の中国の労働時間3000時間とインセンティブ

ところが、稲作中心の中国南部の農民の労働時間は、年間労働量は3000時間にも及ぶ(日本でも同じような物だっただろう)。麦やトウモロコシの栽培に比べて圧倒的に手間が掛かるためだ。

(稲作は)「第一に、努力すればそれだけの報酬が得られる。一生懸命働けば働くほど収穫に恵まれる。第二に複雑な仕事だ。春に田植えをし、秋に刈り入れをすればいいだけではない。小さな事業を効果的に営まなければならない。家族の労働力をうまく使い、品種を選んでリスクを回避し、高度な灌漑施設をつくって管理し、複雑な刈り入れのプロセスを調整しつつ、連作の作業を進める」(P.268)

同時に当時の中国の社会では、欧州ほど抑圧的な封建制度が発達しなかった。一定の地代を超えた分は、そのまま農家の収益になるという強いインセンティブもあった。米を育てるための方法は複雑であり、田の土が完璧に均一であるかどうかで、収穫に差が出る。水量の適切性に、苗を適切な距離をもって植えなければならないし、草取りなど日々の徹底した管理が、収穫の高さに直結する。丁寧に田の管理を行えば行うほど、それはわかりやすく農民にリターンとして戻ってきた。自分の努力がそれだけ報われるのだ。これが、中国社会の長期にわたる安定性に貢献していた面があるのではないかと、想像している。

当時の中国で言われたことわざで「一年360日、夜明け前に起きた者で、家族を豊かにできなかった者はできない」というものがあった。一方で当時のロシアのことわざでは「神がもたらさなければ大地は与えない」とい封建制度よる悲観主義がある。麦主体の世界では、種をまいた後では、その収穫が多いかどうかは、運任せが農民の一般的な気分と大きく違う。

狭い水田の工夫の習慣が現代のサービス残業習慣を残す

中国でも日本と変わらず、水田のサイズはきわめて狭い。一家が抱える一般的な田の面積はホテルの2室程度のサイズにすぎない。その面積で5~6人が食べていた。約1万8000平方メートルで1500人の農民を養っていたが、これはアメリカ中西部の数人から数十人程度の農家の一般的なサイズに当たる。

そのため、欧米の農業は「機械」本位で発達してきていたとグラッドウェルは指摘する。20世紀に入って性能の良い、脱穀機、コンバイン、トラクターを使うことで農業生産性が引き上がった。推測を広げていくならば、機械を使ったイノベーションによって、大量の余剰の農産物を生産できるようになり、大規模農家が有利になり、米国などは農業大国へと発展していったと考えられる。一方で、小規模農家しか存在しない中国や日本は欧米に押されることになる。

人的資本の投入で乗り切ろうというのは稲作時代の名残

欧米の社会は、自動化の方法による生産性を引き上げることを重視して、労働時間をいかに短縮するかを考える。9時—5時で残業なくきっちり帰ってしまうのにも、そこにも長い文化的な要因があるのだろう。一方で、勤勉に大量の労働時間をつぎ込み、人的資本で乗り切ろうという習慣は、まだ日本に残っている。日本人が勤勉な労働を行い、大量にサービス残業を行うことが当たり前で生産性を引き上げている状況は、こうした江戸時代以来の稲作文化による名残が残っていると考えられ、高度成長期には有利に働いたと考えられる。

ただ、今の日本社会では、多くの人にとってサービス残業といった懸命な努力をしても、生産性が上がらない難しさがあり、無力感さえ生みだしている。それは、稲作文化の長年の日本文化的な常識と合わないために、多くの人を苦しめている要因になっているのではないかと思っている。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT) @kiyoshi_shin