日本の情報家電敗北理由を垣間見た小さな体験

大西 宏

つい最近のことです。液晶テレビを買うつもりになって、調べていくうちにわからないことがでてきました。インターネットへの無線LANによる接続方法についてです。その機種はUSBがひとつしかなく、注意書きをよく見ると、USBハブを使って録画のための外付けHDDと無線LANは同時に使うことはできないと書かれていたのです。「同時に」という言葉も悩ませます。結局は外付けHDDを利用するのなら有線のLANを使えというものでした。

比較していた他社の製品はUSBがふたつあってなんの問題もありません。


出かけたついでに家電量販店に行って店員の人に質問したのですが、やはりLANケーブルを使ってしか利用できないとしか答えてくれませんでした。しかも周辺機器メーカー製品でなにかないかと質問すると、メーカーの純正のものでなければ使えないというのです。それはありえないと思いつつもその場を去りました。

無線LANルーターが余っているので、それをアクセスポイントとして使い、そこからLANケーブルで接続すればその機種でも問題なく無線LAN接続の利用ができるのではないかと思いつき、念のために、メーカーのホームページの質問フォームから、こういう方法ならどうかと質問を送ったのですが、返って来た回答を見て、がっかりしてしまいました。

返答した担当者が技術をまったくわかっていない人なのかと感じるような内容でした。担当者も申し訳ないと感じたのか、そういった回答しかできないことについての謝罪も書かれていました。

返答した人が技術をまったくわかっていないというのは、いくらなんでも考えられません。おそらく、もしその方法でうまくいかなければ、クレームとなることを恐れ、言葉を濁した回答にしたのでしょう。

しかし、その回答をもらった後にネットで調べて発見したのが、周辺機器メーカーの製品でその液晶テレビの機種で、外付けHDDと無線LANを同時に利用するためのぴったりの製品があることでした。しかも、その周辺機器メーカーのホームページには、問題の機種が対応機種としてリストアップされていたのです。

どうお考えになりますか。普通なら、その周辺機器メーカーが対応する機器を持っていること、責任は持てないにしても、その機器の紹介ぐらいはするのではないでしょうか。

その出来事は、「一事が万事」そのものだったような気がします。すくなくともふたつの事が言えるように思います。ユーザーの満足ではなく、自社に問題が起こらないことが優先されている体質が社内を蝕んでいるのではないかということです。

もうひとつは、そんな問題は、ユーザーの使い方や使用シーンを想像すれば思いついたはずです。つまりユーザーを見ずに、ハードだけを見て、USBをつけるコストだけを考えて開発しているのでしょう。それらを充分に感じさせる出来事でした。そんな体質で、今日の競争についていけるわけがありません。

そのメーカーにかぎらず、比較するために、液晶テレビの各社のネットでの情報やパンフレットを見ていて感じたことがあります。各社ともにいくつもの製品シリーズを持っていて、そのもとに液晶サイズ違いで品揃えがなされているのですが、その製品シリーズの特徴がなになのかがよく分からないのです。理解するまでにかなりの時間と労力がかかりました。普段から情報機器はよく買ったり使うほうなのにもかかわらずです。

失礼な言い方かもしれませんが、たかがテレビなのにです。しかも各社とも一様にシリーズは型番の記号を使っています。それは意味が無いために、もっとも記憶しづらいシリーズ名です。こちらもユーザーとのコミュニケーションの基本よりは、商標のチェックも不要な記号を安易につけたのか、それまでの慣例にしたがったのでしょう。まことにユーザー不在です。

しかも製品それぞれにアイデアが感じられません。どこの製品を見ても横並びです。立命館の佐藤典司教授が、『モノから情報へ (-価値大転換社会の到来)』のなかで、時代は「どうつくるか」から「なにをつくるか」に転換してきたことを書かれていますが、肝心の「なにを」が横並びなのです。目的は同じで「どうつくるか」の違いしかないのです。

とくにそのメーカーでなければ得られない特別な価値が感じられないことです。それでは途上国にキャッチアップしてくれと言っているようなものです。低価格攻勢にも耐えることはできません。モノづくりからの転換や進化ができなかった製品のオンパレードだと感じさせます。
ちなみに佐藤教授の『モノから情報へ』は、現代という時代を読む解くためにはいい著作だと思いますので、またブログでご紹介するつもりです。

自社製品の間で、液晶テレビやブルーレイなどの周辺機器とリンクできることがさも便利なように書かれていますが、現代の中心は買い替え需要ですから、よほどコアなファンでもない限りその買い替えタイミングで旬のブランドの製品を買うユーザーの方が多いはずです。そんな自社の都合にあわせた機能を開発する余力があるのなら、もっとテレビそのもののイノベーションを考えることもできのではないかと感じてしまいます。努力の方向が違っているのではないでしょうか。自社ブランドで囲い込みたいのならもっと他社にない独自の価値をもっていないと無理です。

しかし、そうやってつらつら各社の製品を眺めていくうちに、これまでおバカさんな開発をやっていて敗北するのは当たり前で、発想を思い切って変えれば日本の情報家電も再生することができるのではないか、チャレンジすべきことはなになのかを発見することにもっと集中すれば、独自性のある技術イノベーションも生まれてくるのではないかと感じてきました。

世界市場で敗北してしまった日本の情報家電も、モノづくり体質から卒業すれば復活も可能なのかもしれません。しかしそれは長年どっぷりと浸かってきたモノづくりで培われたパラダイムからの意識改革ができるのかどうかにかかっています。
モノづくりを中心にやっていける分野も当然ありますが、すくなくとも情報家電は領域が違います。液晶ならテレビメーカーではなく、パネルメーカーでなければモノづくりでは生き延びることはできません。
しかし、パラダイムを変える、それがもっとも難しいことです。リーダーが変わらない限り夢のまた夢に終わってしまうのかもしれません。