偉大なバーナンキ

2012年09月01日 14:17

やはりバーナンキは偉大だ。

8月31日、恒例のワイオミング州のジャクソンホールでの講演で、2007年の危機以降の金融政策を振り返ることにすると称して、自らの金融政策を自画自賛しただけだったからだ。

これは日銀にはできない。

そこがFRBと日銀との差、バーナンキと白川総裁との差だ。

しかし、もっと致命的な差がこの講演には含まれていた。恐ろしいほどに。


***

バーナンキは、危機対応の非伝統的な政策を、Balance Sheet Tools と Communication Toolsの二つに分け、それらが、いかに効果を発揮しており、懸念されるような副作用が起きていないかを主張した。

非伝統的な政策は前例がほとんどなく、通常の政策よりもいかに難しいか述べた上で、その中で、我々の(というよりは俺の)政策は効果を発揮し、問題も起こしていない、と述べ続けた。

こんな講演を聞かされる方はうんざりだし、土曜日の朝の優雅な時間をこんな無粋な文章につきあわされるのも不幸だが、まあ、彼は重要人物だから仕方がない。世界中で、私と同じような朝(夜)を過ごした人々は多くいたことだろう。

愚痴はともかく、このスタンスは単に自己顕示が強いという個人的なパーソナリティによるものではない。FRB自体の、あるいはアングロサクソンの、文化的なテイストによるものと考えるべきだ。つまり、彼らは、自分たちは力があると思い、自分たちはやればできる、と思う。

金融政策においても同じだ。

どんな状況でも、手段はあるし、それにチャレンジする。それは可能だし、そのチャレンジを誇りに思う。失敗は恐れないし、失敗はしないように対策を取る。日本風に言えば、ここで行かねば男じゃない、と常に思っているようなものだが、日本は、そういうときには、裏に玉砕の美学のようなものがあるが、彼らは、絶対成功すると思っている。

それは、世の中のことはすべて意思によりコントロールできるという思想があり、自然は克服すべきものであるという思想がある。一方、日本的な思想は、我々が自然に育まれており、自然と共生どころか、自然が神なのである。

このような安易な文化論には賛否があろうが、バーナンキの金融政策に対する考え方と日銀のそれとは、哲学的に異なるのだ。それが、この講演に表れている。

バーナンキは、彼がいつでも主役であるだけでなく、中央銀行は金融市場の主役であり、金融は経済の主役であるという意識がある。金融政策の限界にも言及しているが、根本的な思想は、金融政策の支配力だ。

だから、米国経済の最大の問題である雇用に関しては、金融政策が当然何とかするのであり、これまでの政策による副作用も見当たらないから、注意はするが、今まで以上に自信を持って、金融政策で米国経済を救ってやる。そういうスタンスだ。

具体的には、失業率を引き下げるには、順調な経済では駄目だ。潜在成長率よりも高い成長率でないと失業率は低下しない。以前からの主張をここでも繰り返している。ここに表れている。すなわち、多少のインフレはコントロールできる範囲ならば構わないどころか、経済は多少過熱しないといけない、ということなのだ。

さらに、最も重要なのは、単なる過去の事実の記述の部分で、バーナンキもそれに気づいていないところにある。

彼の量的緩和政策、つまり、バランスシートを使って、資産を購入する政策についてだが、価格を上昇させることがなぜ可能か、ということを述べている。

つまり、量的緩和政策の一義的な目的は、資産価格の上昇そのものにあるのだ。

これは、エコノミストや中央銀行関係者の多くは、暗黙に認めていたものではあるが、建前上は、それは根本的な誤りなのだ。投資家達はもちろんそれを望んでおり、実体経済などどうでもよい、いやむしろ、実体経済の統計が悪い方が量的緩和が発動され、資産価格が上がるから、望ましいと思っている。

しかし、セントラルバンカーは絶対にそれに与してはいけないのだ。

バーナンキは、特定の資産を購入することで、その資産価格が上昇する背景にあるポートフォリオ効果について、先人達も認めていたとして偉大な経済学者の名前を並べてまで、その実効性を主張している。

しかし、それは決して目標にしてはいけない、資産価格の上昇を目的とし、それを達成したと自慢しているのだ。

それは、いまや報酬水準が大きく低下したウォールストリートへの就職面接のCVとしてはふさわしいが、それ以外の場面では、過去の汚点を公表するようなものだ。

あくまで、資産の購入は、金融市場が機能不全に陥り、適切な価格付けが出来なくなったり、買い手が不在となり市場が成立しなくなったりした場合に、金融市場の機能を回復するために行うものなのであり、それ以上でもそれ以下でもない。

バーナンキは、中央銀行が特定の市場で巨大になりすぎてはいけない、と言ってはいるが、自分たちが価格を動かすことは問題なしとしているどころか、それを成果としてみせびらしているのだ。

ECBはそうではない。市場価格に影響を与えないように、国債を購入する、というスタンスだ。

日銀はもちろん同じで、直接引き受けは駄目だが、国債の市場購入は良い。それは市場での取引であり、妥当な価格であり、他にも買い手がいるにもかかわらず買っているだけのことであり、だから、市場価格に影響を与えないように買っていると言うことだ。

株のETFやリートについても全く同じ発想で市場を動かさない程度にしか買えないので、購入の上限があるということだ。

あくまで、それらの資産を買うことで、萎縮している投資家達の本来のリスクテイクを促すだけだ。

中央銀行は、あくまで市場の潤滑油であり、補助であり、せいぜい触媒に過ぎない。プレイヤーではないし、ましてや王様ではないのだ。

そして、金融自体がそうだ。金融とは実体経済の補助であり、金融市場は金融の補助、金融の機能がよりよく発揮されるための道具に過ぎない。

これは思想の違い、というより、バーナンキの根本的な中央銀行に対する認識の誤りなのだ。

***

白川総裁は、趣味は中央銀行と答えるそうだ。

バーナンキにとっては、中央銀行は自己実現の道具なのだろうか。

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