放射能をめぐる認知的不協和

2012年09月06日 00:04

首相は田中俊一氏を原子力規制委員長に指名し、19日にも委員会を発足させる人事を決めた。これは委員会の設置法で発足期限が26日となっているため必要な措置だが、野党は「原子力村の中心人物だ」などと批判している。田中氏のような原子力の研究者まで排除したら、原子力と無関係な素人が委員長をやるしかない。そのほうが危険だ。


原発事故のあと反原発感情が盛り上がるのはよくあることだが、日本の特徴は「原子力村」とか「御用学者」を悪党にして属勧善懲悪のストーリーに仕立てることだ。事故を起こした電力会社だけではなく、放射線の影響を説明するエートスプロジェクトの人々まで「国際原子力マフィアで人体実験をしている」と攻撃される。反原発派の脳内では

  1. 正義:原発ゼロ・再稼働反対・東電解体・電力自由化・発送電分離

  2. 悪・原発容認・再稼働賛成・東電擁護・地域独占・垂直統合

というパターンがあり、1を選んだ人は何も考えないでそのパターンをすべて信じることになっているのだろう。だから私のようにパターン2(のはず)の人間が「東電は法的に破綻処理すべきだ」とか「原発の建設費は高い」というと、彼らは言葉を失ってしまう。

このように価値判断に合わせて事実を決めるフレーミングは珍しくない。カーネマンも示すように、人間はまず直観的なシステム1で判断し、それを合理的なシステム2で修正するからだ。ところがシステム1の思い込みが強すぎると、システム2で認識した事実と矛盾したとき、感情に合わせて事実認識を変える行動が起こる。これを認知的不協和と呼ぶ。

Wikipediaにあがっている例でいうと、システム1で「タバコが好きだ」という感情をもっている人が、システム2で「タバコを吸うと肺癌になりやすい」という事実を知ったとき、感情と事実の矛盾が生じる。このときタバコをやめるという行動で矛盾を解決するのが普通だが、中毒症状が強いと「喫煙者で長寿の人もいる」とか「交通事故で死亡する確率の方が高い」といった言い訳を考えてこの矛盾をごまかそうとする。

いま日本で起こっている原子力村や御用学者への反発は、認知的不協和の典型だ。かつては原発事故が起こると数百万人が死ぬと思われていたが、チェルノブイリ事故後の疫学調査で――幸いなことに――放射能の影響は予想よりはるかに少ないことがわかった。国連科学委員会の調査では、死者は消防士など60人しか確認されていない。福島の実効線量はその数千分の一なので、放射能の被害は考えられない。

ところがこれは放射能の恐怖を飯の種にしてきた人々にとっては困るので、「被害がないという奴は御用学者だ」ということにして、事実を感情に合わせるのだ。飯田哲也氏が都合の悪いデータを出されると、話をそらして原子力村を罵倒するのは、こういうツボをよく心得ている。事実の問題を「悪い原子力村は嘘をつく」という善悪の問題にすり替えて認知的不協和を乗り超えるのだ。

これは韓国政府が慰安婦の強制連行を否定する日本人を「女性の人権を無視する悪党だ」という話にすり替えるのと同じ呪術的思考で、科学的データで反論するのはあまり有効ではない。問題は彼らの感情的なフレームが固定されていることなので、必要なのは説得ではなく治療である。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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