「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)
著者:佐藤 健太郎
販売元:光文社
(2012-09-14)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆
原発事故から1年半たって、人々の恐怖も収まってきたようだが、いまだに一部の声の大きい人が「ゼロリスク」を求めて騒いでいるため、政府は被災者を帰宅させることができない。本書は、こうしたバイアスを心理学的に分析したものだ。特におもしろいのは、ハーバード大学のリスク解析センターのあげている「リスクを人々が過大評価する10の要因」である。それによれば、人々は次のようなリスクを大きく感じる:
- 恐怖を引き起こすリスク:交通事故のような平凡な事件より原発やテロのような恐ろしい事件のリスクを過大評価する
- コントロールできないリスク:「自動車は自分で運転できるが、原発は…」という話がいまだに出てくるが、事故を起こそうと思って乗る人はいない
- 人工的なリスク:「自然放射線は無害だが、原発の放射線は恐い」という人がいまだにいる
- 選択できないリスク
- 自分の子供に関するリスク
- 新しいリスク:タバコでは毎年10万人以上が死んでいるが、おなじみの話なので恐くない
- 大きく報道されるリスク
- 自分に身近なリスク
- メリットのないリスク:自動車にはメリットがあるが、放射能にはない
- 情報源が信頼できないリスク:今回の原発事故では、行政が混乱して人々に不信感を与えた
著者も指摘する通り、放射能はこの10項目をすべて満たしているので、人々が恐れるのは当然といってもよい。東日本大震災で最大の被害を出したのは津波なのだから、ゼロリスクを求めるなら全国の海岸に住んでいる人は内陸に移住すべきだ。それをしないで、死者ゼロだった放射能に何兆円もかけて除染するのはばかげている。
現代社会でリスクをゼロにすることはできないし、それを求めるべきでもない。すべてのリスクはメリットとのトレードオフである――この当たり前のことが感情論でかき消され、政府まで「原発ゼロ」などという愚かな政策を出してしまう。パニックで誤った決定をすることを防ぐには、著者もいうように「子供の未来のために」などと情緒的に語らないで、具体的な科学データで定量的に考えることが必要だ。