「領土問題」と「歴史問題」

松本 徹三

国と国とが衝突すると、経済的には両国とも大きな打撃を受ける。両国が絡む貿易や投資が縮小する上に、観光を含むあらゆる分野での人の往来が少なくなるからだが、最悪時は安全保障コストも上昇する。経済的な打撃があれば、それは当然「国民の生活」を直撃する。これによって職を失う人達も多いだろう。

国と国とが衝突する理由は、経済的利害の対立によるものと、それ以外のものに分かれる。前者の場合は、計算づくの問題だから、双方とも得るものより失うものが多いと判断すれば、何等かの妥協案を考える。しかし、後者の場合は国民感情が絡むので厄介だ。経済的な観点から言えば、両国とも、何とかして衝突は回避したいはずなのだが、国民の多くは、長期的な経済的得失を考えるよりは、感情に走る傾向があるので、なかなか思うようにならない。


「経済問題」以外での最大のものは「領土問題」だ。現在も、世界中で、大、中、小の数多くの領土問題が存在している。

(それ以外にも、自国内に隣国の国民と同じ民族が多数居住している場合は、「これ等の人達が独立を求め、それを隣国が支援する」という問題があり、この問題は「領土問題」以上に深刻だとも言える。今回は敢えてこの問題には触れない事にするが、ロシアのシベリア南部や極東地域に居住する多くの漢民族の存在は、今後の中ロ両国間の大きな火種になる可能性がある事は指摘しておきたい。)

日本が抱える「領土問題」は、「北方四島」「尖閣諸島」「竹島」だが、これ等は全てアジアの近代史と関連している。それぞれが異なる性格の問題を持っているが、今回は「北方四島」の事には敢えて触れず、日中(台)、日韓の問題のみについて論じたい。

今回の「尖閣諸島」の問題では、中国全土に反日デモの嵐が吹き荒れたが、どう考えても、中国の一般民衆がこの程度の事で本気で怒り狂うとは思えず、中国政府の指導部、或いは一部の政治勢力が仕組んだものである事は先ず間違いないだろう。もっと怒りをぶつけたい事が他に沢山あるのだが、そういうデモは許されず、こういうデモならOKという事になれば、「多くの人達がこれに便乗して日頃の鬱憤を晴らす」という事は、十分理解出来る事だ。

中国側の主張が国連の場でも開陳されたのは、日本にとっては良い事だった。中国側は「魚釣島は帝国主義的な日清戦争の結果として日本が盗んだもの」と主張しているが、そうでない事は歴史的に証明されている。明治政府は日清戦争勃発以前の1895年1月に、国際法上の「先占」に合致するものとして、この島を沖縄県に編入する閣議決定をしている。清国はこれに特に抗議していない。

第二次世界大戦後の1951年に、日本が「主権を持った独立国」として再び多くの国に認められるに至ったサンフランシスコ講和条約によって、「日清戦争の結果として日本に割譲された台湾及び膨湖諸島」は中華民国に返還さえたが、尖閣諸島は沖縄の一部として、米国の施政下に置かれる事になった。後に、沖縄が日本に返還される時には、中華民国(現在の台湾政府)は、主として漁業権に対する関心から、この島の領有権を日本ではなく中華民国に渡すように主張し、米国内の中華民国シンパの政治家を動かして活発なロビー工作を行ったが、最終的に米国政府はこれを退けた。

沖縄返還は「日本による繊維製品の対米輸出の自己規制」と一体として行われたもの故、当時の米国政府はこの事も慮って日本の利益に配慮したとも言えるが、とにかく、この地域を占領していた米国が自ら判断し、決定したものであるという事実は重い。現在、米国は「日中、日韓の領土問題には中立」という立場をとっているが、中国の現在の主張はこの時の米国の決定に対する挑戦なのだから、「果たして『中立』でよいのか」という疑問は残る。

この様に、尖閣問題は、国際法の観点から見れば、どう考えても日本側に理があるのだが、中国側もこれを知っているからか、「この問題は法的な問題ではなく歴史問題だ」という議論をしている。しかも、驚くべき事に、欧米の世論を味方につけたいが為なのか、「戦勝国」という言葉まで持ち出しているのだ。

つまり、「帝国主義的な植民地戦争を引き起こした悪い国である日本の主張は、国際法とは関係なく排斥されるべき」であり、「戦争に負けた日本は、領土問題などに関しては戦勝国の言う事に全て従うべき」という「一方的で且つ相矛盾する議論」を平気で展開している訳で、まさかこの様な議論が国際的な支持を受けるとは思えない。(もしそんな事が起るなら、日本の国際広報能力があまりにお粗末だと言わざるを得ない。)

中国と韓国は、事ある毎に「歴史認識」という言葉を使い(上記の中国側の議論の前者の部分もまさにこれに基く)、日本の保守派の人々はこれに辟易している。しかし、私は、日本がこの問題から逃げるのは良くなく、本気で議論して決着を付けるべきだと常日頃から考えている。そうでなければ、日中、日韓の間には何時までもわだかまりが残り、「中国や韓国の学校で反日的な教育が続けられている」という「不適切な現実」も、何時までもなくならないだろう。

(本来、学校では、子供達に「自分達とは異質の考え方をしているかもしれない隣国の人達には、常に理解と敬意を持って接し、間違っても謂れのない悪口雑言を吐いてはならない」と教えるべきなのに、中国や韓国では、実際はその逆になっているのは本当に残念だ。)

そもそも、「歴史認識」の問題とは、「日本が過去に行った『韓国併合』『満州事変』『日中戦争』等を、どのように総括するのか」という「中、韓側からの問題提起」だ。彼等が最も恐れているのは、多くの日本人が「あれは別に悪い事(間違った事)ではなかった(だから、もう一度同じような事をしてもよい)」と考える事だが、それ以上に、「日本人が彼等の国で支配的な力を持っていた時に受けた屈辱(恨)を晴らしたい」という側面もある事は否めないだろう。

こういう感情は何も中国人や韓国人に限ったものではなく、世界共通のものだ。普仏戦争の敗北で屈辱を受けたフランス人が、第一次世界大戦後の講和会議で、ドイツ人に過酷に過ぎるとも言える屈辱の受け入れを強いた事などは、この典型例だ。(これに対し、第二次世界大戦で完膚なきまでに打ちのめされた日本人が、米軍の占領下で惨めな生活を強いられたにもかかわらず、米国に対してはさして悪い感情を持たなかったのは、淡白で柔軟な日本人の性格故なのかもしれないが、むしろ珍しいケースだと言える。)

日韓関係では、感情的にぶつかる事が多いのに対し、日台関係では、両国民の相互的な感情は極めてよい。この事から、日本では「中国人は『大人』であるのに対し、韓国人は偏狭だ」と考える人も多いが、それは違うと思う。

日本が併合する前の台湾は、いわば清や中華民国の「辺境」であり、ここに派遣されてくる政府の役人は、能力も士気も高くなく、多くの場合腐敗していた。それに対し、日本から派遣された児玉源一郎総督の下で民政長官を勤めた後藤新平は、清廉で科学的な構想力の持ち主であった上に、理想に燃えており、衛生、教育、土地改革、インフラ、産業(製糖業など)の各分野での近代化を大いに進めた。これによって、台湾の人々が、強引な同化政策には若干の違和感を持ちつつも、「日本の統治者は悪くない」と考え、その統治を前向きに受け入れるようになったのも頷ける

これに対して、韓国の場合は、「文」を「武」よりも上において、五百年以上にもわたって存続した李王朝が、中国(明・清)を宗主国とした上で、「儒教(特に朱子学)の教えを忠実に守る事については中国をも凌ぐ」と自負し、自らを「小中華」と位置づけてそれを誇りにしていた。その間、文化的には辺境に位置する日本(倭)は、多くの場合、一段格下に見られていた上、度重なる「倭寇」の襲来や「豊臣秀吉軍の侵攻」などがあり、迷惑至極な存在でしかなかった。

その日本が、他のアジア諸国に先駆けて見事な「明治維新」を行ったところまでは良かったが、力ずくで韓国に対する支配を強め、最終的には併合して、「日本語」や「神社」や「天皇」を強制するまでに至ったのだから、日本に対する反感や敵意が想像を絶するほどに強くなったのも当然であろう。もし第二次世界大戦で日本が敗北しなかったら、韓国人は、間一髪のところで、自らの言語も、文化も、民族的な誇りも、全てを失っていたかもしれなかったのだ。

これに対して日本人の側にも言い分はある。

  1. 日本は、辛うじて欧米列強の支配を防いだ明治維新の体験を、改革を志す中国や韓国の同志と分かち合おうとしたのだ。このどこが悪いのか?

    (孫文を支援した日本人は多いし、孫文も日本を革命の拠点として利用した。民衆の支持が得られず、結局は「日本の傀儡」と見做されて憎悪の対象になってしまった韓国の「開化派」の人達も、彼等を支援した日本人からみれば、「幕末の志士」にもなぞらえられる「勇気ある改革者」達だった。)

  2. 帝国主義的な膨張策は、欧米の列強が長年にわたってやってきた事で、日本は遅ればせながらこれに倣ったに過ぎないのだから、日本だけが悪者扱いされるのは理不尽だ。歴史認識と言うなら、日本だけでなく、欧米各国のかつてのアジア政策も等しく非難されて然るべきだ。

    (中国については、欧米各国が散々に収奪した後に日本が現れて、憎しみを一身に買う結果となり、韓国については、日本が最初で最後の収奪者になってしまったが、既に植民地化されていた東南アジアの一部の国々では、日本軍が解放軍として歓迎された一面もある。)

  3. 台湾の例に見られるように、「産業の近代化」などを促進した事は、部分的であれ「貢献」と評価されて然るべきだ。

しかし、これは全体の中の一つの側面に過ぎない。「韓国併合や、満州事変、日中戦争は、日本が自国の膨張主義の為に、時には謀略や恫喝も行い、隣国の主権を一方的に蹂躙した『恥ずべき行為』であった」という事は、日本が、最低限、国として認めなければならない事だ。この事を曖昧にしていれば、日本は何時までも中国や韓国の信頼を得る事が出来ないだろう。

日本の右派の人達は、敗戦で失った「自らの誇り」を取り戻したいという強い気持が先行して、「中国や韓国の人達の立場になって考える」という努力を怠っている。現実には、中・韓側に多くの事実誤認や一方的な見解があるのは事実だが、それを正すのは、先ず上記を認めた上でやるべき事であり、そういう事の指摘から議論を始めるのは正しくない。

中・韓が「日本の歴史認識」を曖昧だと難詰して、何時までもこの問題を持ち出してくるのには、それなりの理由がある。ヒットラーのドイツやムッソリーニのイタリアの場合は、終戦と同時に、彼等に弾圧されていた人達が解放されて政権を握った。この人達は、当然の事ながら、ヒットラーやムッソリーニの一派を糾弾し、彼等と正反対の政策を打ち出した。

ところが、多くの日本人には、「軍国主義時代の日本の指導者は、多くの誤りを犯したかもしれないが、ヒットラーやムッソリーニのような悪逆非道な事はしていない。(戦略上、彼等と組むしか選択肢はなかったが、精神的に『彼等の一味』であったわけではない。)自分達は、天皇陛下が『耐え難きを耐えて降伏せよ』とおっしゃったから降伏したのだ」という気持が強い。だから、多くの人達が、間違った道へと日本を導いた戦争指導者を批判はしても、彼等を激しく糾弾したり、憎んだりする事はあまりない。また、戦勝国が好き勝手な議論を押し付けた「東京裁判」は、公正を欠く裁判だったと考えている

戦後の政治を担った吉田茂元首相は軍部から敵視されていた人だが、後に首相になる鳩山一郎氏(鳩山由紀夫元首相の祖父)や岸信介氏は、戦時中も軍部に協力した人達で、戦後はその為に公職追放された人達だった。このような人達が首相にまでなるというような事は、ドイツやイタリアではありえない事だった。

天皇の地位は戦前とは大きく変わったが、なお「国民統合の象徴」として多くの国民に敬愛されているし、国旗や国歌も、戦時中と変わりはない。戦争を引き起こした責任者も含む全ての軍関係者を祀る「靖国神社」には、毎年多くの人達が参拝する。(亡くなった人達を追悼するのは「心」の問題であり、政治の問題ではないと考えているからだと私は思っている。)

多くの日本人にとっては、これは当然の事で、こういった全ての事を否定する人達は「自虐史観」に毒された人達に見える。(時には「国家」というもの自体を否定する「国際共産主義者」と同一視することさえある。)私とて、「天皇」や「国旗」や「国家」や「靖国神社」については、右派の人達の考えに近い。しかし、中・韓の人達がこの事に不安を感じている気持は、少なくとも私には痛いほど良く分かる。そして、その事を軽視するのは正しくないと思っている。

だから、もし私が日本の首相であったら、「公人としての靖国参拝」は行わないだろう。「重要な隣国の人達に不安を感じさせるような行動は慎む」のが日本の首相の勤めであると考えるからであり、その分だけ、自分の心の中で亡くなった人達に対して真摯に祈るだろう。

今回の結論を言おう。

独立国同士が「領土問題」を議論する時に、複雑で民族的な感情問題が絡む「歴史認識」の問題を持ち込む事は不適切であり、日本が主張する「国際法の考え方に従う」やり方の方が、欧米諸国のサポートも得られ易いだろう。だから、この姿勢を堅持し、粛々と、且つ細心の注意を払って、諸外国の理解を得るように勤めるべきだ。

しかし、「歴史認識」の問題は避けて通れない問題だから、相手の立場も十分に斟酌した「公明正大な議論」を行い、早い時点で決着をつけるべきだ。前述した「最低限必要な認識」を日本が国として確認したからと言って、尖閣諸島や竹島に関する「領土問題」で日本が不利になる事はない。