監査役の懐疑心と「社長との信頼関係構築」は矛盾するか? --- 山口 利昭

アゴラ編集部

日本監査役協会のHPにおきまして、「重大な企業不祥事の疑いを感知した際の監査役等の対応に関する提言 ─コーポレート・ガバナンスの一翼を担う監査役等に求められる対応について─」と題する、たいへん興味ある報告書が公表されております(内容は、どなたでもお読みいただけます)。監査役が不正の兆候(黄色信号)を感知した場合に、どのような行動に出るべきなのか、いわゆる監査役の有事対応に関する行動原則を示したものであり、これまであまり検討されてこなかったところに光をあてたものです。


近時、監査役の「監査見逃し責任」に関する法的責任が追及される事例が増えてきておりますが、たとえ訴訟に至らずとも、「もし監査役が適切な有事対応ができていれば、もっと早期に不正を発見できたのではないか」と思われる企業不祥事も散見されます。しかし、実際のところ監査役の善管注意義務違反といえるためには、いったいどのような監査役の行動が注意義務に反するものなのか、未だに不明なところが多いように思われます。こういった監査役の有事対応に関するガイドラインが公表されたことは、(もちろん法的な基準になるものではありませんが)監査役による積極的な有事対応を促し、監査役の善管注意義務、忠実義務の中身を考えるうえで、今後参考になるところではないでしょうか。

さて、監査役が感知すべき不正の兆候(黄色信号)に焦点をあてることは、監査役の善管注意義務を論じるにあたって有益であることは間違いないのですが、もうひとつとても有益なことがございます。それは監査役による「健全な懐疑心の保持」と「経営執行部との信頼関係の構築」とが矛盾しないようにバランスを維持するためのツールとなりうる点であります。

監査役がその職責を全うするためには、「健全な懐疑心をもって監査に臨むように」といわれます。取締役の職務執行の適法性を監視・検証することが監査役の本来の業務である以上、健全な懐疑心をもって監査に臨まねばならないことは当然のことと思います。しかし、現実の企業社会において、監査役が「懐疑心をもって監査に臨む」ということは結構むずかしいものであります。そもそも同僚の役員を「不正をやっていないか」という疑いの目をもってヒアリングする、ということになりますと、「まじめにやってるのにうるさいやつだ、あいつにはもう情報は流さない」ということで社内の重要な情報にアクセスできないことになります。また、架空循環取引等が行われていないか、という目で在庫確認を行おうとすると、「あなたは自社製品に誇りをもっていないのですか、そんないい加減な商品を自社が作るとでも思っているのですか」と、これまた現場責任者から嫌われれてしまい、協力が得られずに効率的な監査が不能となってしまうことになります。

監査業務の有効性・効率性を向上させるためだけでなく、問題発生時に監査役の要求を経営執行部に尊重してもらうためにも、監査役は日常監査の段階から、経営執行部との信頼関係を構築しておく必要があります。そこで監査役としては定例監査を通じて、経営執行部から情報を入手したり、または内部監査部門や会計監査人との連携を図ることで「不正の兆候(黄色信号)」を探すことになります。そして、不正の兆候に接した時点から、監査役は健全な懐疑心をもって非定例の深度ある監査手続きをとることになります。平時は役員や現場責任者の協力を得ながら情報を収集するわけですから、ここでは円滑な信頼関係が求められます。しかし、不正の兆候を感知した時点から、経営執行部に対する現実的な疑惑の目を向けることになります。

ただ、ここでも合理的な理由もなく疑いの目を向けるということは、監査役と経営執行部との信頼関係を破壊する要因になってしまいます。そこで、「疑われても仕方がないような合理的な理由があること」(つまり「不正の兆候」があること)をヒアリング対象の取締役に説明をすることで、経営執行部との信頼関係を維持しながら健全な懐疑心を働かせることになるわけです。また、今回の日本監査役協会による研究報告のようなものがあれば、不正の兆候を感知した場合には、監査役が動かざるを得ないことが行動指針として紹介されるわけですから、これも経営執行部との信頼関係を維持しながら監査業務を遂行することに資するものとなります。

このように、監査役が「不正の兆候(黄色信号)」に基づいて有事対応(非定例の深度ある監査手続き)をとった場合、かりに取締役の不正行為が明らかにならなかった場合であっても、「当社の監査役はまじめに監査業務を行っているのだ」という認識を経営執行部にもたれることになります。すくなくとも「なんかうるさいやつだ」と批判されることはないはずです。また、他の取締役や監査役が、有事意識を共有するきっかけになることも予想され、さらなる調査に進展することにもなります。不正事実が合理的に疑われるだけの資料の収集や、入手した情報による分析など、だれもが「不正事実を疑われても仕方がない」判断根拠をきちんと監査役が把握していれば、およそ経営者との信頼関係の破壊にはつながらないものと思います。

「不正の兆候」理論は、監査役のリーガルリスクが顕在化した場面で活用されるものと思われがちでありますが、このように健全な懐疑心を持ちながらも、他の役員との信頼関係を維持し、ひいては監査環境の整備を向上させる平時の場面でも活用されるものと理解をしております。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年10月1日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。