映画『ル・アーブルの靴みがき』を観る -- 中村 伊知哉

アゴラ編集部

アキ・カウリスマキ監督「ル・アーブルの靴磨き」。
カウリスマキ×ル・アーブルとあれば、観に走らねばなりませぬ。

港町、ベトナム人密航者と組むおちぶれた靴磨きの妻が死の床につくかたわら、ガボンから密航してきた少年を、追いかける警視の目をごまかしつつロンドンに脱出させようと、訳あってパン屋を開いた女や亭主を亡くした飲み屋の女や食料品店の亭主に助けられつつ、リトルボブのライブを開くなどの苦労をするうち、2つの奇跡が起きる話。

フィンランド人なのにとってもフランス映画っぽい人間模様や皮肉が満載です。


靴磨きったって、靴を磨くのは、冒頭に射殺されたギャングと、タバコふかしてダベる神父の二人だけ。今どき革の靴に値打ちを置くなんていうのはそういうヤツらだというメッセージとカウリスマキの立ち位置を説明なしに表現してるんだと思います。

映画の主題たる密航者にしたって、いつまでたっても解決しない欧州の移民問題や、このところの通貨危機、抜き差しならない極右の台頭、結果としての今年の仏大統領選など、政治的に読もうとすればいくらでも場末のバーで論じることができるネタの集まり。

それより、映像にまずニヤリとするのは、正面を向く人物をやや下から撮るわざとらしいバストショットの連続。そんなに小津安二郎がおスキですか。

ノルマンディーの町を舞台にした映画としては、ジャック・ドゥミ「シェルブールの雨傘」、クロード・ルルーシュ「男と女」のドーヴィル、カンヌ映画祭パルムドール受賞作が挙げられますが、本作品はノルマンディー色が最も濃いですね。カルバドスとアニス酒をさりげなくあおる人たち。

密航する少年を警視が見逃す。病む妻が恨めしく窓の外を見つめる。2つの奇跡が交錯するその舞台は、クロード・モネが「日の出」で描いた港です。批評家の批判にさらされ、不評に終わった第一回印象派展示に出展され、印象派の名前の由来になった作品ですね。今はパリOECD本部の近く、マルモッタン美術館に収められています。

ぼくがいちばん好きな画家、ラウル・デュフィを生んだのもル・アーブルです。神戸で展示会が開かれたのはまだぼくが大学生でした。魅入られ、その後あちこちの国の美術館で見回りました。パリ市立近代美術館、長さ60メートル、高さ10メートルの「電気の精」は毎年のように見に訪れています。ニースのデュフィ美術館が閉館したという知らせに驚き、移設先を尋ね歩いてたどり着いた時には小躍りしました。

そのデュフィの生まれ故郷には2度訪れたことがあります。ノルマンディー上陸作戦後の射撃と空爆で破壊され、ル・アーブルの中心市街は廃墟となり、連合国軍によって解放されたときには、ル・アーヴルはヨーロッパの都市で最大級の惨状を呈した都市だったといいます。コンクリートの父と呼ばれた建築家オーギュスト・ペレが再建した町は、復興と都市計画のシンボルです。2005年には世界遺産に登録されています。

ペレの作品はコンクリートを剥き出しの状態で仕上げる「打ち放し」が多く、コルビジェやアンタダらにも影響を与えたといいます。中心街は碁盤目で、幾何学的に配置されています。その中で威容を誇るのがサン=ジョゼフ教会。ペレ最後の作品です。100mを超える尖塔には鮮やかなステンドグラス。その光にたたずむと、他の都市にはない荘厳な心地になります。

ル・アーブルのもう一つのウリは、アンドレ・マルロー美術館。パリのオルセー美術館に次ぐ印象派コレクションの殿堂です。外光が鮮やかな白いオープンスペースには、デュフィ、モジリアニ、ルノアールらの素敵な作品が収められています。

創設は1961年。当時、マルローは文化大臣でした。作家であり、軍人であり、レジスタンスであり、政治家であるマルローのことはここでは書ききれませんが、そういう人物に10年近くも文化大臣を担わせ、その名を冠した美術館を作る。ポンピドーセンターを作ったり、ミッテラン図書館を作ったりする。為政者が「文化」を遺していく。フランスの文化に対する姿勢に、改めてため息が漏れます。

カウリスマキ監督の作品に、あれこれとル・アーブルの個人的な記憶が行き来し、ふくよかな余韻が広がりますます。そんな記憶はなくても、映画としてきちんと完成しているので、おすすめではありますが。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年10月15日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。
『ル・アーブルの靴磨き』公式サイト