日本維新の会の政策はなぜ変質するのか --- 島田 裕巳

2012年11月23日 10:45

これまでも、この「アゴラ」やツイッターで、日本維新の会については論じたり、ふれたりしてきたが、今回はじめて橋下徹代表代行から反応が返ってきた。

私のツイートは、「日本維新の会は、政策が変質してきているのではなくて、もともと『政策がない』と考えたほうがいいのではないだろうか」というもので、橋下氏からの返信は、「学者さんは暇なんだから、もう少し勉強した方が良い。大阪の改革を何一つ知らない」というものだった。


このツイートと返信にはさまざまな反応があったので、ここで私がいったい何を言いたかったのか、その点について述べてみたい。私のツイートは、日本維新の会に政策がないことを批判したものとして受け取られたのであろうが、必ずしもそうではない。批判ではなく、維新の会の本質を指摘したものとして考えて欲しいと思っている。

政党にとっては、政策が重要であると言われる。ただ、この政策というものは、政党の側が勝手に立案しても意味がないものである。政策は、その政党の支持者の利害に直接結びつくものでなければならない。安倍自民党総裁が、無制限な金融緩和を訴えているのも、それは公共事業に投じる財源を確保するためで、それは公共事業に携わる事業者にとっては利害に直結する政策である。

あるいは、公明党の場合には、言うまでもなく創価学会が最大の支持基盤で、大衆福祉の拡充が党是となってきたのも、創価学会の会員のなかには福祉の対象となる中下層の人間が多いからである。民主党も、連合が最大の支持基盤で、党は組合の利害を反映した政策を打ち出してきた。

ところが、維新の会の場合には、こうした明確な支持基盤というものをもっていない。もともとは地域政党であり、大阪を中心とした近畿圏を基盤としてはいるものの、それは地盤であって、特定の社会階層や社会集団が支持基盤を形成しているわけではない。

明確な支持基盤をもたない政党が採用する政策は、特定の集団の利害とは直接に関係しないものとなる。そうした政党では、特定の支持政党を持たない無党派層にアピールする政策を打ち立てなければならない。

ところが、無党派層というのは、政治から直接恩恵を受けられない立場にある人間たちで、この層の利害に直結する政策自体が存在し得ない。あるいは、民主党が政権交代を実現させる上で大きな意味をもった「子ども手当」のように、子どもさえいれば直接金が渡るような政策しかあり得ない。

子ども手当が崩壊したように、現在の財政事情では、そうした政策を打ち出すこともできない。そこで維新の会がとった政策が、「維新八策」で当初から強調されている「統治機構の作り直し」である。維新の会は、これが成功すれば、政治の在り方が根本から変わるとアピールすることで、今の政治に対して不満をもっている無党派層を引きつけようとしてきた。

しかし、統治機構の作り直しは、首相公選制をはじめ憲法の改正を必要とするものばかりで、維新の会とそれに同調する勢力が国会で3分の2の圧倒的多数を占めなければ実現できない。これまで一度も憲法の改正がなされていないことから考えても、実現の可能性はほとんどゼロに等しいものである。

「地方分権型国家」の確立ということも、大阪都構想とあいまって、維新の会の目玉の政策だが、各地方自治体に属している住民は同時に日本国の国民でもあり、その政策が実現されたとしても、そこから利益を得られるのは特定の階層に限定されない。その意味で、有権者にはさほど魅力のない政策である。

維新の会が統治機構の作り直しを強調してきたのは、それによって政治が大きく変わるというイメージを与えようとしてのことである。だが、そうした政策は、実現が極めて難しく、ほとんど困難であるという点で、夢、あるいはイメージにすぎない。

ただ、今日の社会では肥大化している無党派層の支持を取りつけるには、イメージ戦略がもっとも重要で、維新の会は一時はそれに成功した。原発からの脱却や企業献金を受けとらないといったことも、無党派層の支持を得やすい政策である。

しかし、そうした政策も、無党派層の直接の利害に結びつくものではない。したがって、「維新八策」全体を眺めてみても、具体性をもった政策というものは存在しないのである。

維新の会を支持しようとする無党派層は、そもそも具体的な政策に期待する人間たちではない。公共事業が増えても、社会福祉が充実しても、恩恵を被れない人間たちである。彼らが期待するのは、政治が変わるということであり、それによって閉塞した社会状況が打破されるということである。

維新の会が、無党派層の票を集めることで議席を確保し、政党としての存在感を示すには、政策ということはほとんど必要にはならない。維新の会は政策なき政党であり、そこに特徴があり、可能性があった。

ところが、政策なき政党であるにもかかわらず、政策ということにこだわりすぎた。現役の国会議員を取り込むときにも、他党、他勢力と連携するときにも、政策の一致を過剰なほど強調してしまった。実際には政策がないにもかかわらず、政策を錦の御旗として掲げてしまったのである。

現実には、公明党と早々と選挙協力を決めたときには、ほとんど政策の一致がないにもかかわらず、それに合意した。それが可能だったのも、維新の会には公明党の政策と衝突するほどはっきりとした政策が存在しなかったからである。

政策なき政党である維新の会には、どうしても譲れない政策などあるはずもない。次々と政策が破棄されたり、変更されたりするのも、そのためである。

明治維新は、政策によって二つの勢力が衝突したり、競いあったわけではない。それは、権力を奪取するための戦いだった。維新とはそういうものである。

維新の会が本当に「平成維新」を実現しようとするなら、権力を奪取することに専心し、政策などは無視すべきである。それが、維新の会に力を与える無党派層の求めているところにほかならない。

島田 裕巳
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」

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