橋下氏がじゃんけんで議員を決めるわけ

池田 信夫

橋下徹氏がみんなの党との公認調整を「最後はじゃんけんで決めていい」と発言したことに、与野党の非難が集中しているが、これは維新の会のコンセプトからいうと自然な発想だ。ニューズウィークにも書いたように、橋下氏を「君主」とする維新の会の意思決定システムでは、彼以外の議員は彼の命令に従う将棋の駒にすぎないからだ。


大阪で彼が人気を博した理由は「選挙で選ばれたんだから命令する権限がある」という権限論で、既得権を守る労働組合の抵抗を踏みつぶしたことだった。平松前市長のように、すべて話し合いで決めたら何もできない。そして日本では、それが「いい上司」なのだ。

こうしたまつりごと構造は、1000年以上前からみられる。普通の国家では、国王や大統領が決定して官僚がそれを実行する左のような構造になっているが、日本では右のように意思決定も実行も下部の「つかさ」が行ない、それを天皇に「上奏」する。天皇はそれを「勅許」するが拒否権はない。

この二つの方式のどちらがいいかは、先験的には決まらない。契約理論が教えるように、依頼人と代理人に大きな利害対立があるときは、決定の担保となる物的資本の所有権を資本家がもつ左側のシステムでないと物事が決まらないが、利害が一致している場合は右側のような長期的関係のほうが現場との距離が近く、ゆるやかな変化には対応しやすい。

逆にいうと、日本型システムを有効にするためには、メンバーシップを固定して関係者の共有知識や利害を一致させる必要がある。拙著でも論じたように、日本型の長期的関係が戦後の高度成長期に輝かしい成功を収めたのは、系列関係や雇用慣行などの固定性を強め、共同で享受できるレントを確保したためだ。

今こうした構造が不安定になっているのは、まつりごと構造の前提になっている退出障壁などの「外骨格」が崩れ、人材の流動性が高まってきたためだろう。こういう場合、トップダウンの意思決定の効率が高まる。ここでは決定者の命令を実行する代理人には意思決定の能力は必要なく、交換可能だからじゃんけんで決めてもいいのだ。

もちろん両者には一長一短がある。左側は日本でいえばソフトバンクやユニクロのようなオーナー企業で、意思決定のスピードが速く、失敗したら撤退も速い。方針はトップの独裁で決まるから、戦略やデザインの一貫性が高いが、トップが間違えると暴走を止める人がいない。右側の長所・短所はその逆で、大きな間違いは少ないが、意思決定が遅く凡庸なデザインになってしまう。

橋下氏が大阪で成功を収めたのは、こうしたワンマン型モデルが自治体には適していたからだが、中央官庁をこれでコントロールするのは無理だ。早くも公約がグダグダになっているように、橋下氏の側に相当な戦力がないとむずかしい。たとえ政権をとっても、民主党を撃退した霞ヶ関の拒否権に、あえなくつぶされるだろう。

しかしここまで来たら、実験してみる価値はある。幸か不幸か政権を取ることはないだろうし、橋下氏はまだ若い。ここで挫折しても、その経験を都市経営に生かし、主権国家を超える都市国家モデルを樹立してほしい。