書評:『評伝 ナンシー関』 --- 中村 伊知哉

アゴラ


評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」横田 増生(著)

ナンシー関さん。ぼくの1歳下。2002.6没。享年39。あれから10年。

「ナンシーのテレビ評の魅力は、これまで漠然と思っていたことを、的確に言語化してくれる点にある。人々の胸の中にあるもやもやとした感情を、平易な言葉と鋭利な論理で明快に説明してくれる。そうしてはじめて人はその事情を笑ったり、不愉快の理由を知って溜飲を下げたりすることができる。ナンシー関はその能力において、一頭地を抜いていた。」(本文より)


テレビのことしか書かない。それも、デーブスペクターやら小倉智昭やら川島なおみやら神田うのやら、論ずる対象はそうしたかたがたであって、読まなくても生活に支障は生じないわけです。サラリーマンの多くはその対象さえ知らなかったりするのです。ぼくもテレビの政策に携わっていたとはいえ、そのコラムに目を通さなければ政策立案に支障を及ぼすなんてぇことは一切なかったのです。

しかしぼくは、ほぼ全ての評論を追っていました。いつも気になっていました。それは宮部みゆきさんが言うとおり「ナンシーさんは テレビや芸能界のことだけを評論しているんじゃなく、社会を映す鏡としてのテレビを評論していた」から。テレビの、あるいはそこに登場するひとびとの、向こう側にある世相を、テレビやそこに登場するひとびとという素材だけを使って料理していたから。政治や経済や世界情勢を語らせても一級のものができたことでしょう。でもそうはしなかった。立ち位置を揺るがせない強さがありました。そして、名付け親のいとうせいこうさんが言う「ナンシーの文体の底にある、配管工がボルトで管をつないでいくような重々しい感触」が読み手をその磁場に絡め取りました。

土屋敏男さん「ボクがテレビ番組を作るとき、半分は視聴者を意識して、残りの半分はナンシーさんがどう見てくれるのかということを意識していました。」大月隆寛さん「みんなどこかでナンシーが見てると思えば、自分で自分にツッコミ入れて、不用意に何かを信じ込んだり、勝手な思い入れだけで突っ走ったりしなくなる。心に一人のナンシーを。」批評された芸能人だけでなく、作り手も評論家も、ナンシーのことを気にしていたのですね。

終生、肩書きは消しゴム版画家。

ミュージック・マガジンの表紙を飾った版画について「最初がエルビス・コステロだったんだけど、出来上がったら成田三樹夫に似てるとかいわれちゃって」。成田三樹夫似のコステロ、見てみたいなぁ、どっちも好きだったんだろうなぁ。どこかに残ってますかね。

体育の創作ダンス曲に坂本龍一「千のナイフ」を強硬に主張したり、あこがれの鈴木慶一さんとはじめてカラオケに行って「火の玉ボーイ」を歌ってもらったり、カラオケで「阿久悠しばり」をしてみたり、JR高崎線沿いの夏祭りで海老一染之助・染太郎の前座でバンド演奏したり、あの時分のあの界隈のあの系統のエピソードばかり。バブルの時代ではあるが、乗ってるわけでもなく、当然のようにそれが弾けるのもせせら笑うように眺め、その後の世相も淡々と切り取っていく。

でも、スイスイ泳いだわけでもないんですね。シンコーミュージックの君塚太さんがはじめての単行本を担当したとき、ナンシーさんがコートのポケットからぐしゃぐしゃに押し込んだ原稿用紙を取り出して手渡す場面があります。遅筆だったんですね。93年、毎日新聞で島田雅彦さんが担当していた企画に寄せた「ベビーカーを押しながら歩いている母親のタチの悪さ」の記事に抗議が殺到したことがあります。今ならネットで猛烈な炎上でしょう。外連味のない筆致だなぁとぼくも注目したことを覚えています。でも芳根聡さんによれば、ナンシーさんは意気消沈していたとのこと。やはり、そうだったか。ナーバスでなければ、あれは書けない。

版画から評論へ。アートから文芸に入ってきました。珍しいですよね。あ、「きょうの猫村さん」のほしよりこさんもそうか。油絵画家のほしさんとメールのやりとりをしたり話したりするうち、とてつもない言葉の才能があると思ってぼくはマンガを勧めたのですが、デビュー作で大ヒット。いまや文筆でもイケてます。前衛美術から小説に来た赤瀬川原平さんやパンクから小説に行った町田町蔵さんのような例もあるか。神様はたまに天才を生むんですな。

週刊朝日で三年間担当した山口一臣さんは、ポスト・司馬遼太郎が見つかっていないようにポスト・ナンシーも見つかっていないと言います。ナンシー後のコラムも自称テレビ評論家たちが埋めていきましたが、彼女のように、寄らずとも斬る血しぶき感は見あたりません。

小田嶋隆さんは「ナンシーは高い知性と観察眼がありながら、絶対に視聴者と同じ目線の高さからテレビを見て評論し続けました」「ナンシー以前にテレビ批評をしていた人たちにとって、テレビを大衆文化の中でも一番世俗的なものとして見下しているところがあって」と言いますが、ナンシー以後もそうなのではありませんか。

10年たって未だポスト・ナンシーが見つからないのは、テレビ自体が輝きを失っているからでしょうか。それが鏡として映した社会の低迷のせいでしょうか。それとも出版ビジネスの低迷のせいかでしょうか。あるいはその全てでしょうか。

彼女は2012年をどう切り取りますかね。テレビの後を追ってネットが隆盛する中で、うごめく人々をどう語りますかね。津田さんや夏野さんやホリエモンやきゃりーぱみゅぱみゅや初音ミクのことを。語らないのかな。やはり堀北真希の演技力や平清盛の視聴率やとくダネ!の司会交代やSMAPの五輪中継から切り込むのかな。

ぼくはナンシーさんにお目にかからずじまいでした。でも評伝に登場するかたがたの多くを存じ上げています。いとうせいこうさんとは同じ生年月日だし、島田雅彦さんも1961年3月生まれだし、分野は違えど、近い世代の人たちが近い界隈でうろついてきたということなんでしょう。

でも、その世代と界隈を引っ張るべきピースが夭折した穴は10年たってなお大きい。同世代を代表するもう一人の天才、岡崎京子さんに復活してもらうしかありますまいか。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年12月13日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。