「活断層」という不毛な議論で日本が滅びる

藤沢 数希

菅直人前首相による浜岡原発への超法規的な停止要請、そして、その後の意味不明なストレステストの実施などにより、日本のエネルギー政策は迷走した。こうして日本中の原発が再稼働できなくなったために、代替する化石燃料を輸入するため、年間3兆円~4兆円の負担増になっている。皮肉なことに、福島第一原発事故による最大の経済的打撃は、放射能汚染に対する損害賠償ではなく、こうして毎日買わなければいけない余分な燃料費となった。

民主党は、選挙対策からブームとなっていた「反原発」に傾き、原発ゼロを衆院選の切り札にしていた。その民主党の肝いりで発足したのが原子力規制委員会である。この原子力規制委員会は、日本の原発について活断層の調査を進めており、現在までに、日本原電敦賀発電所(福井県)、そして、東北電力東通原発(青森県)に活断層が存在すると認定した。筆者は、これは原子力規制委員会の暴走であり、「活断層」という言葉が一人歩きをはじめてしまったと危惧している。福島第一原発事故以降、日本を覆い尽くした放射能があるかないかという、科学的に意味がないだけでなく、日本経済に極めて大きな損失を与えた不毛な二元論が再び蘇ってきたのだ。


科学の知識が乏しく、定量的な議論をする能力が低い人材が、日本ではテレビ番組を制作したり、新聞記事を書いている。そうした人々にとって、福島の事故で放射能が放出されたので、日本は放射能汚染されて危険だ、という理屈が全てであった。放射能があるか、ないか、ということしか考えられないのだ。いうまでもなく、放射能は日本中、そして世界中にある。宇宙から降り注ぐ放射線、鉱石から出る放射線、食物の中に微量に含まれる放射性物質、大気中のラドンなどの気体分子…。こうしたもの全てが放射能を持っている。ここで議論すべきは、福島第一原発から放出された放射性セシウムなどが、どの程度の濃度で、それが人間の健康にどのような影響を与えるのか、である。放射能があるか、ないかの二元論は全く意味がないのである。結果的には、原発事故由来の放射性物質は極めて微量で、人間の健康に影響を与えるようなものではなかった。実際に、東京などから、西日本に引っ越した人もいたようだが、西日本の方が地質的に花崗岩が多いので、放射能は高いのである。幸運なことに、福島第一原発から放出された放射能による健康被害はなかったが、マスコミが増幅した二元論は明らかな実害があった。最初に述べた化石燃料費による莫大な経済損失はその一部だ

さて活断層である。これも放射能があるか、ないか、というのと同じぐらい不毛な議論だ。当然だが、原発を建設するために、電力会社などは十分に地質調査をしている。昭和53年策定の原発の耐震設計審査指針では、活断層を「5万年前以降」動いた断層と定義していた。それから平成18年に「後期更新世(13万~12万年前)以降」と変更された。そして、今回、原子力規制委員会はなんと「40万年前以降」と活断層の定義を大幅に拡大したのだ。仮に10万年に1度程度の発生頻度で矩形型の確率密度を仮定すると、次の100年に地震が起こる確率はわずか0.1%だ。そして、東日本大震災で証明されたように、日本の原発は地震に対して極めて強かったのだ。次の100年に地震が起こる確率が0.1%程度で、さらにその地震が起こっても、事故が起きない確率の方がはるかに高く、そして仮に事故が起こったとしても日本に対するダメージは致命的というほどのものではないのだから、化石燃料代と廃炉の莫大な経済損失を鑑みれば、この程度のリスクで原発を止めるというのは狂気の沙汰である。さらに、原発を止めても、プールに貯蔵された核燃料がある限り安全性は大して変わらないのだ。

このままでは日本中の全ての原発に活断層があると認定されるだろう。前回の衆院選で、不毛な反原発に対して国民ははっきりとノーと言ったのだ。民主党など、反原発を掲げた政党は全て惨敗した。自民党は、一刻も早く原子力規制委員会の暴走を止めるべきだろう。