「原子力規制委員」は、無能と言うよりミスキャスト!

2013年02月03日 10:23

池田先生は「暴走する原子力規制委員会」と言う記事で「原子力規制委員の人事の見直し」を提言され、石井孝明氏は「日本と米仏の原子力規制当局との悲しい力量差」(「アゴラ」記事)で、「霞ヶ関の規定が分かりにくく権限が曖昧で、その結果、法治ではなく人治が行われている」と指摘された。

学者4名、外交官1名で構成される現在の委員の履歴を見ると、夫々の専門領域では立派な実績を挙げた方々ではあるが、田原総一朗氏の表現を借りると「では、どうするのか」に対する答えを用意していない「典型的な日本のインテリ」の集まりで、決断と実行ができない」状態がが続いている。


この様な委員会の不全が、「猿も木から落ちる」と言った一過性の誤りではなく「豚に木登り」を期待する様な、ミスキャストにある事が問題を更に深刻化させている。

この現実は、「原発廃止の賛否」を超えた国民共通の大問題である。

何故このような事がおこるのだろうか? それは「原子力規制委員会設置法」が「不適格」な人物を選抜する様に作られているからだ。

日米の原子力規制委員会設置法の主な違いを比べてみると :
委員及び委員長の指名、任命 :

米国 : 
米国NRCは、大統領が指名し、連邦上院議会の承認を経て任命する米国籍を有する5名の委員からなり、その委員長は、委員の中から大統領が指名し、上院の承認を経て任命されるが、委員長職の解職権は大統領の専権事項とされている。

日本 : 
原子力規制委員会設置法には、「委員長及び委員は、人格が高潔であって、原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験並びに高い識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。 委員長の任免は、天皇が、これを認証する」あるだけで、委員の指名や委員長の任免の規定はない。

それにしても、設置法で定められた委員の資格が、「お見合いの釣り書き」のような抽象的な規定であるのが愉快である。
委員会及び委員長の責任と権限 :

米国 : 
委員長はNRCの理事長(CEO)及びスポークスマンとしての役割を果たし、委員会は原子力規制政策の作成や原子炉と核物質の安全管理の発展、関連ライセンスの発行及びこれ等に関連した法的な処理も行なう権限と責任を持つ。

日本 :
「原子力利用における安全の確保を図ることを任務とする」と抽象的に規定しているだけで、具体的な責任も権限も規定されていない。又、「前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる」と委員会を事務雑用係扱いした雑務規程を細かく設けている。
この様に、名前は米国と同様「独立行政委員会」であっても、法的に政府からの独立を担保されたNRCと異なり、環境省の外局として設置され、省内では「局と同程度」の扱いの日本の原子力規制委員会では、委員や委員長に「原子力規制」の役割を期待すること自体が無理なのかも知れない。

独立性 :

米国 :
NRCの政府からの独立を法的に担保する為に、NRCは職員の採用権を含む人事権、組織の改変、予算についての権限と責任を持ち、議会がその監督(Over Sight)に当たる事が規定されている。(独立とは、あくまでも政府からの独立を意味する。)

日本 : 
日本では、「独立」の定義がなく、又、規制委員会の「独立性」を担保する法的な規定も見当たらない為に、「独立性」とは気分的な物だと解釈するしかない。これでは、「政府」からの独立を法的に担保する米国との比較すら出来ない。

中立性 :

米国 : 
NRCは「仲裁機関」と異なり、自己責任で物事を決める「行政組織」である以上、「中立」と言う概念は成立しないと言う考えである。
然し、委員会の非党派性を維持する為に、米国伝統の「チェックアンドバランス」の法則が採用され、同一政党推薦の委員が如何なる時でも5名中3名を超えてはならないと規定され、更に、国民の意思を出来るだけタイムリーに反映する目的で、5名の委員は、毎年1名ずつ改選される(そのため、委員会発足当初の委員の任期は、1年から5年の5種類に分けられた。)

日本 : 
何も決定権を与えられていない為か、委員会の「中立」を強調するが、中立の定義も、中立を保障する法的な担保もない。
テロや武力攻撃のへの備え  ; 

米国 : 
緊急事態の発生には、諮問機関である国家安全保障会議(NSC)と協議しながら、大統領が国土安全保障省、国防省、NRCなど数ある関係省庁を統括指揮する仕組みが組まれている。

日本 : 
NSCが存在しない日本では、危機管理も縦型で、原子力規制委員会の「武力攻撃事態等」の責務は、第十条 の「会議」の規定で「委員長は会議を招集し 国民保護法第百六条の規定により必要な措置を講ずる」とあるだけで、何一つ具体的な項目はなく、原子力施設は、事実上丸裸である。

アルジェリアテロでも判る通り、何十万年に1回起きるか否かもわからない大津波を想定した「活断層」問題より、「武力攻撃事態等の発生」は遥かに現実性と緊急性を持った問題であるが、今の「原子力規制委員」がテロや「武力攻撃事態」に対応できる能力を備えているとは、到底思えない。

委員の資格審査

米国  :
NRC委員の承認審査は厳しい。余りに高圧的だとして批判を浴びて辞任した前委員長に代わり、昨年就任した新委員長のマクファーレン博士は、NRC初めての地質学者だが、上院での承認審査の厳しさは尋常ではなかった。福島事故の詳細について証言を求められ「貴方だったら何をしたか」と具体的に問いただされた他、使用済み核燃料の保存法の各国比較とその長短、テロ対策なども質問の対象になっていた。

日本  :
未だ「国会審議」が行なわれていないのでコメント出来ないが、最も注目を浴びた日銀総裁の承認審議でも、個人の能力や理念に対する質問は殆どない形骸化した質疑であった位だから、形式的な審査に終わる事は間違いないだろう。
比較したい事は未だ未だあるが、これだけ比べただけでも、日本の法律の曖昧さとお粗末さは明らかである。

つい最近、「原子力規制庁のナンバー3に当たる審議官が、公表前の文書を原電側に渡した」事件が起きたが、これも法体系の不備が原因である。

処が、警察庁のナンバー3が、暴力団に捜査内容を漏洩したに等しい重罪でありながら、その処分は、釣り専門誌に原稿を執筆し、記事1本あたり1万円の報酬を受け取ったなどとし昨年の夏に処分された、巡査部長と同じ「訓戒」であったと聞いて開いた口が塞がらない。

その巡査部長は訓戒を受け同日に依願退職したそうだが、審議官は出身官庁の「文科省」に戻ったと言う。

日本は間違いなく「狂っている」。「腐りきった」統治機構が、このようなミスキャストや不正の原因である限り、事件が起こるたびの「モグラ叩き」では日本は救われない。

今や、統治機構の改革は一刻の猶予も許さない緊急事態である。

2013年2月3日
北村 隆司

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