日本は「精神的高齢化社会」へ向かっている --- 岡本 裕明

2013年02月13日 06:00

最近、出身地へのUターンや地方に転職する若者が増えてきているという報道を目にし、日本は遂にそこまで来たか、というなんともいえない気持ちになってしまいました。

日本は戦後直後の苦しい時期にある選択を強いられました。都会に出るか、海外に行くか、であります。地方の疲弊は戦前から戦後直後を通じて悲惨であり、戦前は日本にこれ以上いても家族を養えないという理由から海外移住が増えました。サンフランシスコ、ブラジル、ハワイ、バンクーバー…、それは地方生活の苦しさが物語るものでありました。


海外移住といわないまでも都会に向かうというのは50年代、60年代では当たり前の流れでしたが、それはそこに生活の糧を求め、違う人生を求め、刺激を求めたのであります。ところが80年代に入り、就職活動にやや変化が出てきました。Jターンという動きです。Uターンは地元まで戻るという意味ですが、Jはその途中まで戻るというやや中途半端な動きでした。事実、それは一時期の流行でその後、止まってしまったはずです。

ですが、都会のライフに疲れた若者はバブル崩壊後、20年以上の閉塞感の中で派遣労働という肩身の狭い思いの中でもがきました。実は私はその頃、若者は再び海外に出る、と予測していました。なぜなら、日本への希望がなくなった時、人々は新しい世界を求めるというのは万国共通であり、日本でも戦前あった動きだったからです。事実、たとえばバンクーバーへ来るワーキングホリディの若者は2000年代半ばにはあふれんばかりの数でカナダ政府側の受け入れ枠も年間1万人ぐらいに増えた時期があります。

ところが、その枠の増加と共にワーキングホリディによる来加人数は激減の一途をたどります。今では確か、枠が年6500人ぐらいだったと思いますが、枠が埋まらない状態だったと思います。では、若者は諦めたのでしょうか?

そんな気がしないでもありません。日本は便利になりました。一人暮らしも楽だし、節約しようと思えばとことん安い生活費でも賄えます。楽しいことはあちらこちらにあるし、まさに天国であります。私が時々日本に行くたびにぬるま湯の心地よさに浸る快感だと実感します。

今、地方には何があるか、といえば、ストレスからの開放かもしれません。時間にせっつかれることなく、自然と戯れ、人間臭い人生を歩むことに新たなる価値を見出したとすればそれは日本がまさに「精神的高齢化社会」に陥ったということかと思います。

満足感とは金銭ではなく、ライフスタイルの総合的観点から考える余裕ができたとすればそれは日本人は実に出来た人たちである、といわざるを得ません。都会に出て成功者を夢見ることはいまや、格好良くないという風潮があるとすればそれはそれでひとつの価値観であります。しかし、本当にそれでよいのか、という疑念が付きまとうのは世代間のギャップだからでしょうか?

私は20年後、30年後の日本を考えた時、太平洋に浮かぶ昔繁栄していた小さな島国と思われるのかと考えるとどうもしっくり来ない、というのが正直なところです。ご意見お待ちしております。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年2月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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