海外留学で得られるものを捨てている日本の若者 --- 岡本 裕明

アゴラ

日本人留学生が減少し、中国や韓国勢の後塵を拝していることに対して教育界をはじめ、さまざまなところから懸念の声があがっています。例えばアメリカに留学する日本人は1990年代後半から2000年代はじめは46000人を越える水準であったものが今では20000人に満たないレベルに下がっているようです。アメリカだけに関して言えば留学生の数は日本が20年近く一番でしたがいまや、4位以下に下がってきているとのデータもあります。


理由は沢山あるでしょう。その中でも日本人がアメリカから学ぶものが少なくなったと考えた可能性は大いにあると思います。また、経済的に留学する余裕がなくなった人、あるいは留学そのものをまったく魅力的なものだと思わなくなったこともあろうかと思います。

なぜそうなったかといえば留学対象年齢者が育った家庭環境が既に一定水準以上に満たされていること、そしてゆとり教育で海外まで行って苦労して勉強することへの価値観が見出せなくなったことがあろうかと思います。幼少時代はやはり親の教育や周りの環境に左右されるものです。貧しくてそれを克服したくて頑張った、という美談のような話は良く聞きますが、結局どんな人も一定のモチベーションがないと努力をしようとしないのかもしれません。つまり、今の若者は「ある部分」が眠っていると思えるのです。

その「ある部分」とはハングリーさとか、競争するといったことであり、その流れの一環で留学したい、という目覚めもあったと考えられないでしょうか? 私が学生の頃、留学生はまだほんの一握りでしたが、異様にもがき苦しんだ話を聞きながらも苦労のすえ成果もそれなりに付随していたように思えます。それを聞いて私も留学を真剣に考えたこともありました。

その傾向が廃れた今、日本人は海外から学ぶことがないほど万全、万能になったのか、といえば全くそんなことはないのであります。確かに技術面では世界最高水準のレベルにあることは事実です。しかし、その高い技術を商品やサービスといった水平展開するのは決して得意だとは言い切れないと思います。また、物事の判断も過去の実績をベースに捉えることが多く、まったく新しい世界を創造するのは不得手なほうだと思います。役所や大手企業が「前例がありませんので…」というのはまさにその典型なのであります。

今、英語学習が再び注目されているようです。特にネットを通じて安い価格で個人教授してもらうサービスが伸びてきています。そこに見られるのは英語ぐらい出来ないと、という気持ちの表れかもしれません。私はその次のステップとして世界のものの見方、考え方を知ろうという動きが再度出てくれば再び留学意識は高まるのではないかと思います。

日銀の黒田総裁はなぜ、世界とうまく渡り合えるのか、と考えたとき、氏が国際感覚を磨き上げ、海外に交友を作り上げてきたからこそなせる業ではないでしょうか? つまり、英語が出来るだけではなく、自分の考えを伝え、説得し、人の話を聞き、議論するという国際社会で確実に求められる能力を長い海外生活で身に着けたのだろうと思います。

とすれば、それはタブレットやパソコンの画面を通じて英会話をするだけでは絶対に身につきません。さまざまな人とバトルする経験がモノをいうでしょう。その点、このカナダには本当にいろいろな出身国の人がいますのでそういう経験をするにはもってこいなのかもしれません。

別にカナダの宣伝をするわけではないのですが、国際感覚を磨きやすい環境が整っていることは確かかもしれませんね。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年5月16日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。