Web の文法がソーシャル、モバイルでは変化しようとする過渡期、メディアは、多様化するコンテキストへの対応と同時に一方で、ユニバーサルな情報インターフェイスの提供を求められる未来のメディアへといたる難問を、構造的にとらえ返してみる。
すでに「文脈的価値」として、「体験と文脈の拡張へ/メディアとコンテンツをめぐる新たな価値観の台頭」において、筆者の理解を示しましたが、本稿はそこから先を探ります。コンテキストに鋭敏なメディア、その変化に追随できるメディアの構造とはどのようなものかが主題です。
まず、メディアを語る“文脈”であるにも関わらず広告の話題から入ることをお許し下さい。
正統派のメディア人から顰蹙を買いそうではありますが、筆者は、メディアと広告は似通っているものと考えるのです。
コンテンツが含むメッセージを的確に伝えていくことと、広告が、同じくメッセージを伝えその結果としてヒトを突き動かす試みは相似形をなしています。
単純化すれば、コンテンツも広告も、そのメッセージを効果あるものとするために、特定の“だれか”を意識して最適化していくことをめざすのです。
ここにコンテキストという視点を差し挟んでみましょう。
米国のあるベンチャー企業の CMO である Tom Wentworth 氏は「Why Targeted Ads Must Account for Changing Consumer Context」(ターゲット広告は変化する消費者のコンテキストを説明できなければならない)でこう述べます。
どんなマーケティングでも成功の鍵は、パーソナライゼーションである。広告、そしてコンテンツは、(それぞれの消費者に)適切なものでなければならない。個人的な好みやニーズを反映したものでなければならない。……
(消費者である)あなたは、45歳の技術部門のマネージャーで、ジャズとマラソンが好きだ。しかし、同時に夫であり、息子であり、叔父であり、友人でもある。そして、あなたの購買行動はこれら多様なコンテキストを映したものだ。
マーケターは、単に“購入者”についてよく理解する者ではなく、購入を行うためのコンテキストを理解する者であることを求められる。
Wentworth 氏が述べるのは、消費者一人ひとりの中を複数の属性が流れているという当たり前の認識です。“IT 関連管理職で、高い可処分所得をもつジャズ好きのアスリート”という属性と、良き夫であり良き父である人間という属性とは、必ずしも交わらず並存する集合をなします。
数年前までのマーケティングが血道をあげて収集してきたものは、このような属性情報でした。このような静的な属性を積み上げたところで、コミュニケーションの精度という点である水準を超えられません。
さらに事態を難しくする要素に気づきます。
複数の属性を有する消費者は、刻一刻変化するコンテキストにも身を置いているのです(情報アーキテクトの長谷川恭久氏は、コンテキストを形成する要素を7つあげています)。
それには時間、場所、仕事中なのかオフかなどといったモードなどがあげられるでしょう。情報を積極的に探している時なのか、あるいは、届けられる情報を単に受け止めたい気分かなども重要なコンテキストを形成します。
過去、筆者はこう考えました。
メッセージが的確に読者に届き、そしてそのメッセージで読者が動く、そのためのメディアは、ターゲットされたメディアであるべきである。言い換えれば、メディアがコンテキストを限定、もしくは排除したほうが、そのメッセージ到達の確実性が高まると。
たとえば、情報を探すために設計されたメディアなら、情報を探すというコンテキストにある読者が訪れます。積極的に情報を探すコンテキストにある読者には、検索連動型広告のような効果を見込めます。
しかし、いま、このような考え方の訂正を迫られています。
コンテンツ探索の仕方が、ブックマーク、URL のタイプイン、もしくは検索エンジン経由というように、積極的な情報活動スタイルを確立してきた Web に対し、ソーシャルやモバイルでは、新しい情報世界観が浸透してきているからです。
モバイルの世界でも、多様なコンテンツ、情報が供給される点で Web となんら変わるものではありません。しかし、コンテンツへの接触点(インターフェイス)という点では、Web 以上にコンバージェンス(収れん)が進むと見ます。
コンテキストを特定するようなターゲットメディアが無数に並存しえる Web に対し、モバイルでは、そのような多数のメディアへのアクセスコストを軽減する統合的なインターフェイスが重要になってきます。
そのようなコンバージェンスの地点に最短距離で向かっているのは、Twitter や Facebookといったソーシャルメディアです。これらはソーシャルグラフが介在しつつ、そのまま強力なアグリゲーション(情報収集)メディアの役割も果たすようになってきました。
同時に、タッチインターフェイスやタイムライン形式がユーザーの情報探索コストを軽減するという点で、統合的なユーザーインターフェイスの役割を果たしつつあるのです。
このような動向に対し、従来からのメディア企業の多くのアプローチは垂直型で、コンバージェンスに対する備えが希薄です。また、コンテキスト無視、もしくはコンテキスト限定から抜け出していません。
垂直型とは、1)一つひとつのコンテンツ制作、2)その編成(編集)、そして、3)ユーザーインターフェイスという3層を、自ら一手にコントロールする以外を考慮しないモデルです。
結果的に、ユーザーのコンテキスト変化(たとえば、会社の机から通勤途上へ、あるいは限られたわずかな時間でいま、起きている事象を知りたい、逆に気になるテーマへの理解を深めたいなどの連続的な遷移)に追随するのに不自由さがついて回ります。これは、ユーザー(読者)ではなくメディアのほうがコンテキストを指定していた時代の遺制です。
無数に増えてしまったコンテキストに対して、その数だけ複数メディアを創り出そうというのは、不合理な話です。
そうなってくれば、このような3層構造を持つメディアづくりにおいては、それぞれの層を分離し、品質や機能を高め確立することが課題となります。
筆者の見解では、メディア自らの力でメディアを垂直統合的に整備しきるには、大きな困難がともなう時期にさしかかっています。
それぞれの層で、優れた機能やデザイン、大きな構想をもっと存在が次々に登場してきたからです。
第3層、ケースによれば、第2層までもがプラットフォームやサードパーティへと依存していく可能性が現実味を帯びてきているのです。
(藤村)
編集部より:この記事は「BLOG ON DIGITAL MEDIA」2013年6月24日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった藤村厚夫氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はBLOG ON DIGITAL MEDIAをご覧ください。