NOTTV異聞

松本 徹三

池田信夫さんの「NOTTVの謎」がよく読まれているので、今回はこれに関連する話を少し披露したい。全文が私の身の回りに起こった事の回顧録のようで若干気が引けるが、お付き合い頂ければ有難い。

池田さんの予言が当たって、折角のVHF帯が殆ど使われない結果になったとすれば何とも残念だが、いざとなればドコモはこの周波数を携帯通信用に使いたいと考えるかもしれないので、全くの無駄にはならないだろう。但し、それが他の事業者にとってフェアかどうかはまた別に話になるから、その時はその時で、慎重な議論が当然必要になる。


NOTTVがうまくいかないとすれば、それは、「電話やテレビが全ての中心だった時代」が終わり、「ネットの時代」が着実に到来しているという事だ。ネットがらみの事業であっても、失敗して消えていくものは多々あるが、基本的には凄いスピードで増殖している。これに対し、これ迄の「通信」や「放送」の形に拘るものは、成功の確率が今後ともますます低くなるだろう。

今から20年近くも前の事になるが、誰が言い出したのか「マルチメディア」という言葉が流行語になり、当時、伊藤忠の通信事業部長だった私は新設のマルチメディア事業部長に横滑りになった。私は、それなりに張り切って、次のようなことを言ったのを記憶している。

「これ迄バラバラに発展してきていた『通信』と『放送』と『コンピューター・ネットワーク』が統合される時代がくるわけだが、その為には、それぞれの世界が、これ迄の常識をかなぐり捨てて、技術的にもビジネス的にも全てをオープンに、且つ相互乗り入れ可能にするべきだ。『縄張り意識』は真っ先に捨てなければならない。しかし、それぞれの世界にどっぷり使ってきた人達には、なかなかそういう事は出来ないだろうから、商社のような全くシガラミのない企業が、この推進役として活躍するべきだ」

しかし、そんな事を考えていた私には、その後「試練」が待ち受けていた。或る日、かの有名な瀬島龍三さんから呼ばれて、「伊藤忠のマルチメディア戦略は何かね」とご下問を受けたので、そのような事を簡潔に述べた上で、「通信の全てを現在取り仕切っているNTTを超えるような会社を作る事も夢ではないかもしれません」と、一言余計な事を言ってしまった。そうすると、瀬島さんは不快感を露にして、「新しいマルチメディア部長はどんな男かと思っていたが、全く失望した。君はとんでもない思い違いをしている。伊藤忠の戦略はNTTとの提携だ。それからNHKとの提携だ」と言い切られた。

当時の瀬島さんは既に伊藤忠の第一線からは退いておられたが、NTTの社外取締役を勤めておられ、また、伊藤忠においても、相談役としてなお隠然たる力を持っておられた。その日はたまたまNTTの役員会で、海外進出の話に関連して「商社の力を利用するべきだ」という話が出ていたらしく、瀬島さんとしては、この「朗報」を担当の部長に早く知らせて喜ばせてやりたいと思っていたところに、肝心の部長が変な事を言うので、相当頭にこられたらしい。

当時の伊藤忠は、衛星(JSAT)や国際通信(IDC)でNTTに大変お世話になっており、島ゲジ会長の全盛時代だったNHKとも相当深い関係があったので、NTTやNHKとの関係強化は、短期的には「常識的な方向」ではあった。しかし、戦略家として名を馳せていた天下の瀬島さんに「戦略は何かね」と挑発的なご下問を受けてしまったので、つい「『常識を超えた』長期戦略の視点を開陳せねばならないのでは」と考えてしまい、大失敗をしてしまったわけだ。

勿論、私は、心の底では「折角『大革新』の機会が訪れているというのに、既存勢力を代表するNTTやNHKのコバンザメになるのが、どうしてそんなに嬉しい事なのですか? そんな事を何で『戦略』と呼べるのですか?」と悪態をついていたが、そんな事はまさか口に出せる訳もないから、這々(ほうほう)の体(てい)で退出するしかなかった。しかし、これが、それまでに考え続けていた「伊藤忠を辞めて独立したい」という私の気持に、最後の一押しを与えてくれた事を考えると、この大失敗は、私に取っては「塞翁の馬」だったのかもしれない。

さて、余計な話で紙数を使ってしまったが、話を元に戻すと、「通信」や「放送」の世界は、私が予測した通り、なおも自分の世界に閉じ籠もりがちで、「マルチメディア」の名に値するような融通無碍な世界は、未だに到来していないように思う。 NOTTVの構想にも見られるように、「通信」と「放送」を繋ぎ合わせる事はあっても、「全てを一旦壊して新しいものを作る」という形のものは未だ現れていないようだ。

通信業界や放送業界に身を置いている多くの方々から猛反発を受ける事も覚悟の上で、敢えて言わせて頂くなら、今にして思えば、「マルチメデイア」などという洒落た言葉は使わずに、「全ての情報を伝送するネットワークは、最終的には全てIP通信網(インターネット)になり、電話もテレビもこの中の一つのアプリケーションとして位置づけられるようになる」と、始めから言い切ってしまったほうがよかったのかもしれない。そのほうが、今後とも色々な回り道をする必要がなくなり、最も効率的な姿が早い時期に実現する可能性が高くなるのではないか、と思えてならない。

さて、いきなり本質論に入って、結論じみた事を言ってしまったが、「NOTTV異聞」などという表題をつけてしまったので、もう少し下世話に近い話も披露しておきたい。

2000年代の始めに、私の古巣のクアルコムはMediaFLOという携帯放送システムを開発し、日本のワンセグと欧州規格との三者で主導権を争う形になった。欧州規格はノキアが強力に後押しし、幾つかの携帯通信事業者がイタリア等で実用化を試みたが、うまく行かず早々と後退したのに対し、日本のワンセグは、「無償で地上波とのサイマルキャストをする」というビジネスモデルでかなりの成功を収めた。これでは誰も儲からないので、「成功したビジネスモデル」と言えるかどうかは疑問だが、少なくともユーザーにとっては、どうしても見たい番組を、テレビがない環境下でタダで見られるのだから、かなり魅力のあるサービスだったわけだ。

クアルコムのMediaFLOについては、当時日本法人の社長をしていた私には、本社から「何とかしろ」と相当のプレッシャーがあった。私は、最初は「ワンセグがあるので駄目(手遅れ)」と断ったものの、「待てよ、無料のワンセグと有料のnarrowcastを組み合わすのもアリかな」と考え直し、相当熱心に活動を始めた。その為に、総務省や日本の放送業界等では、私の事をその頃はかなり「危険人物」視していたらしい。

実は私が秘かに狙っていたのは、民放キー局5社が、有料放送と無料放送をパッケージして「儲かるビジネスモデル」を作る事であり、その為に、本社を口説いて「ワンセグとMediaFLOのデュアルモードチップ」を開発してもらう事まで考えていたわけだが、結論から言うなら、この試みは、「外国の技術を入れる事など始めから考えたくもない」民放の経営者にとっては、とても検討に値するものではなく、「そんな事を考えるなんて、松本さんもヤキが回りましたね」と事情通の友人から嘲笑われる結果となった。

その後、私はクアルコムを辞めてソフトバンクに移ったので、MediaFLOの推進役はKDDIの手に移ったが、KDDIは私のように性急ではなく、始めから「5年後に解放されるVHF帯を利用する」というオーソドックスなアプローチをしていた。たまたま米国でMediaFLOが使っていた周波数帯が、日本では、「携帯通信に与えられる帯域とUHF放送で使われる帯域の中間に位置した『利用方法不定』の帯域」に該当していたので、総務省では私がここを攻めてくるに違いないと踏んだらしく、早々とこの帯域を自動車業界に与えてしまったが、実はそんな必要は全くなかったわけだ。

ワンセグの視聴携帯がわかってくるにつれ、私は有料携帯放送の市場性に疑問を持ち始めていたが、それでも「ソフトバンクだけが蚊帳の外になってしまう」事は恐怖だったので、「勝ち馬に乗る」可能性を残しておく必要性を感じ、民放のISDBTmmを採用したドコモ陣営と繋がりをつけた(古巣のクアルコムには「ごめんね」と謝っておいた)。しかし、サービスのカバー範囲等が明らかになってからは、更に疑問が大きくなり、結局全てを断念した。

しかし、その間も、米国での進展には興味津々だったので、米国での状況のチェックは続けていたが、ここでも期待は大きく裏切られた。

クアルコムはバックエンドに巨額の投資をし、対応機種も十分そろえたが、販売を通信事業者に任せたのが失敗だったと思う。通信事業者には「直ぐに利益が上げられる新サービスになるかもしれない」という思惑があったらしく、始めから月額10ドル以上の料金プランで勝負したが、結果は散々で、さすがのクアルコムも最終的には事業の継続を断念した。これは日本での免許がドコモ陣営に与えられる以前の事である。

私は、時折、「もし自分が米国でのMediaFLOの責任者だったらどうしていただろうか」と考える事があったが、私なら、サービス開始後1年間は全て無料にしただろう。そうすれば、対応機種には「お得感」が生まれるし、多くの人が、暇な時の時間つぶしに、気楽にこのサービスにアクセスする事になる。

そして、2年目からは、大きなスポーツゲームやイベントに焦点を絞って、1回3分程度の中継を、1~2ドル程度のPay-per-Viewで提供しただろう。これなら、既に端末機の操作に慣れているユーザーは、衝動的に買ってくれるだろう。このようなサービスを徐々に増やしていけば、一人のユーザーが毎月支払う金額の合計額は徐々に上がっていき、「そろそろ月額一括払いに切り替えられた方がお得ですよ」というセールストークが、やがては出来る状況になっていただろう。

さて、そうは言っても、既に時代は変わった。オンデマンド・ビデオが安くなれば、放送型のサービスにユーザーが使う時間はますます限られてくる。しかし、これは、携帯放送の為に開発された技術や番組送出の為の施設が全て無駄になる事を意味しない。

周波数が常に逼迫している事を考えれば、多くの人達が同じ時間帯に同じコンテンツにオンデマンドでアクセスするのを許容する事などは「狂気の沙汰」だ。これには「放送モード」を使うべきは明らかだ。この為に、3GPPというモバイル通信用の標準化機関では、eMBMSという規格を既に作っている。MedaiFLOやISDBTmmの為に作られた施設は、このバックエンドとして利用するべきだ。

結局は、長年独自の世界を築いてきた「放送」も、「広義のインターネットの中で使われる一つのモード」と位置づけられたほうが、自然でもあるし、経済合理性にも合致する事になるような気が、私にはしてならない。