誰でも救急車で運んでもらえ、誰でも診てもらえる国が持つか?

田村 耕太郎

日本のお医者さんに感謝である。連日の猛暑で、熱中症で多くの方が救急車で運ばれ処置を受けていらっしゃるが、こういう対応をしてもらえる国は稀でわれわれは感謝の気持ちを持たないといけない。同意にこれだけの医療体制は維持の限界にまで来ていることも自覚すべきだと思う。


日本では医療費の増大が問題だと常に報じられるが、対GDPの医療費は8%で先進国の中では最も低い。これはシーリングがかかっているからだが、そこで負担を一手に引き受けているのが実は日本の医師なのだ。時給にしたら決して高くない賃金で長時間の要求の高い仕事をこなしているのだ。これから高齢者が増えればさらに彼らの負担は大きくなる。

週末を過ごした京都のホテルで、手首と手の平の間あたりにひどい痛みがあり、その夜は睡眠不足。最近ワークアウトし過ぎたせいかもしれない。そのせいで長い文章をタイピングすることが不可能になり、かなり困った。

京都に来た目的である、グロービスのあすか会議のパネリストを気合でやりきる。万全の状態もいいが、ハンディが有る時も開き直っていいパフォーマンスとなる時がある。

しかし、その後手首は腫れ上がり、そういう日に限ってたくさんの知人が握手を求めてきてうれしいが右手で握り合うたびにさらに激痛が走る。あまりの痛み耐えられず、京都から自宅を戻った後、病院に直行。レントゲンも撮ったが、今のところ骨折ではなく、捻挫ではないかとのこと。それにしても、足の捻挫なんか比べ物にならないくらいの手首のひどい痛さ。医師によると手首の痛みの方が足首の痛みに数倍ひどいらしい。痛み止めの薬を頂き服用。

痛みが治まった後改めて感心したのは日本の医療制度を支える医師の皆さんの献身的態度だ。その病院の救急にはその日もたくさんの患者でごった返していた。暑い日だったので、熱中症っぽい人も何人かいた。私と同時に、ライブで盛り上がり過ぎて足をくじいた若者が救急に来ていたが、かれは病院に連絡もせず救急に飛び込んできていた。なので、受付含めて正式な手続きをする必要があるのだが、それにいらだち「これがたらい回しってやつか」と毒づく。この若者は知らないだろうが、休日で連絡なくても少し待てば確実に診てもらえる医療が存在する国は世界でかなり稀有なのだ。日本人は「医は仁術」とか「医者は何があろうが患者を診て当たり前」と思っているが、そんなことを言っている国は日本以外にはない!

外国にいて、お金のない人、保険に入っていない人、こういう人がまともに救急車にも乗せてもらえない実情をこの目で見てきた。治療費だってべらぼうに高い。盲腸の手術でアメリカなら300万円だ。

日本の「待てば誰でも必ず安価に見てもらえる」というこの医療制度が、日本の医師の長時間労働にどれだけ支えられていることか?もっとわれわれは認識せねばならない。もう医師は限界までくたびれている。医師の長時間労働にこれだけ依存しながら、少しのミスも許さず医療訴訟を起こしまくるモンスターペイシェントも増えている。

そういう現実をみてしまった医学生のうち医師にならない人も出てきている。医学部に入ったものの医師に現実を見てコンサルや金融に行く人も後を絶たない。医学部に入るくらい勉強して頑張ってきた人間にはほかの選択肢はいくらでもあるのだ。医師に無理させればさせるほど医師は少なくなりわれわれは望む医療を手に入れられなくなるだろう。医師を長時間働かせてこきつかって文句を言えば確実に自分に唾を吐く行為になるのだ。

痛み止めのおかげで少し手首が楽になった私は献身的に休みの日に私を診てくれて医師の皆さんに感謝の気持ちを強く持った。診察の結果、手のひらの筋肉の肉離れという非常に珍しい症状だった。肉離れの痛さは半端ないので、どうりであの痛さになったわけだ。

でも自分が医師だったら休みの日でもここまであらゆる方々に献身的にできるだろうか?政治家も忙しいが、必ず具体的な結果を続けて出さないといけない医師とはプレッシャーが違う。本当にありがとうございました。

今回は詳述しないがこの素晴らしい医療体制は財政的にも限界がきている。今の国民負担ではもたない。医者と将来へのツケ回しで持っているこの医療体制についてわれわれはもっと知り議論していくべきではなかろうか?