書評:『パブリック』~ PrivateからPublicへ。「新しいP to P」の時代 --- 中村 伊知哉

2013年07月15日 23:11


パブリック ─開かれたネットの価値を最大化せよ

ずっと積んであった331ページの大著ですが、めくり始めたら一気に最後まで行きました。

印刷機以来のメディア進化によって生まれたパブリックとプライベートの概念がネットで破壊され再構築される、という分析です。


ぼくは筆者の位置に近い。PrivateからPublicへ。「新しいP to P」の時代だと思います。その視点がオーバーラップした部分を抜き出し、紡ぎつつ、頭を整理します。

●プライバシーとパブリック
本書は、プライバシー過保護への警鐘と、個人によるパブリック・コントロールの重要性を説きます。

情報をいかに秘匿するかより、パブリックにしないデメリットとコストを考える場面が来たということです。

まずは「プライバシー擁護派は、僕に慎重になるべきだと言う。何もかもオープンにすべきでない、と。」でも、「僕はパブリックな存在だ。僕の人生は、オープンな物語なのだ。」なのに、「口を開けばプライバシーが議論され、未だかつてないほど僕らのプライバシーは保護されているように思える–おそらく過保護なほどに。」そこで「プライバシーについての感情的な表現や、根拠のない恐れや、漠然とした言い回しを避け、プライバシーについて語るときにそれがどういう意味なのかを検証してみたい。」と説きます。そして、「プライバシーに固執しすぎればこのリンクの時代にお互いにつながり合う機会を失う」と指摘します。ボストン大学のN・ヴェンカトラマン教授「かつて企業とは、顧客や商品と呼ばれる資産をもつ事業部の階層だった。今ではそれが、つながりと能力という資産をもつユニットのネットワークへと変化している。」そう、それは個人と国家の関係だけでなく、企業を含む全ての社会構成員の問題です。

ただ、それはコミュニティにより相対的なものでもあります。

「たとえば、グーグルのストリートビューに近所の通りを移されるのを嫌がるドイツ人もいれば、みんなに見てもらおうとグーグルの車に写真を撮ってほしがるアメリカ人がいるのはなぜだろう?」「アメリカでは個人の財務情報は、おそらく医療情報の次に隠したいことだ。ノルウェーとフィンランドでは、国民の収入と税額が公開される。」「アメリカでは、被疑者の身元を公開し、ウェブに写真を載せ、プレスのカメラの前で連行する。ドイツでは、有罪になった犯罪者の写真にも、目の部分にグーグルマンが使ったようなモザイクがかけられる。」「2010年に、ドイツの連邦食糧・農業・消費者保護大臣であるイルゼ・アイグナーは、位置特定テクノロジーに顔認識機能を組み入れることを今後いっさい「タブー」とした。」「2011年の日本の地震と津波といった災害で、被害者の行方をたどったりできるのでは?それもトレードオフだ。」

日本でようやく成立したマイナンバー法も、ドイツ型、北欧型、アメリカ型と制度を比べればかなり違う。それはプライベートとパブリックの認識が各地でさまざまだからです。「社会はパブリックになればなるほど安全になる。こう言うと、多くの人が不安がる。テクノロジーが政府を助けて、弾圧的な政権でさえも、僕らを監視し、僕らの行動を利用し、僕らの意に反してパブリックになることを強制するような恐怖を呼び起こすからだ。」ただし、「同時多発テロの日、僕はワールドトレードセンターにいた。・・・監視に対する僕の許容範囲は広い。今僕らは社会として許容できる共通の範囲を探っているところだ。」ぼくも9.11にはマンハッタンにいました。その筆者との共通体験がパブリックに対する認識を近づけているのかもしれません。

●パブリックの変化とテクノロジー
「(17世紀までは)公的な地位にある男性だけが、パブリック=公人だった。……アメリカで「プライベートスクール」と呼ばれる特権階級のための学校が、イギリスでは「パブリックスクール」と呼ばれるのはそのためだ。」「軍隊で「一兵卒、つまり階級を持たない兵士」を「プライベート」と呼ぶ理由もそこにある。」ローレンス・M・フリードマン「中世の人々には、プライバシーの概念がなかった。普通の人にはプライベートな空間がなかった。家は小さく、混み合っていた。プライバシーは美徳と考えられてはいなかった。」かつて松田道雄さんが、日本の家屋構造が非プライバシーの関係を育んだことを記していましたが、中世欧州もそうだったというわけです。

そして、メディア技術がパブリックとプライベートを生んだといいます。

「テクノロジーは、歴史上のプライバシー騒動のきっかけをひとつに結びつける糸だ。」15世紀のグーテンベルクの印刷機、1870年代のマイク、1880年代の電話、1890年代の録音機とカメラがプライバシーを生んだ。「プライバシーが近代初頭のヨーロッパに生まれつつあったちょうどその時、パブリックネスもその姿をおのずと現し始めていた。……印刷機はもちろん、舞台、芸術、楽譜、印刷された説教、地図といった新たな道具が、人々を家族や社会階層や職業の別なく、興味やアイデアの周辺に集わせた。」

コンピュータとインターネットが再びこの状況を刷新します。パブリックを変容させます。パブリックがプライベートの向こう側にある他所ではなく、私たち個人の内側にあるものとなります。自らのパブリックに自ら参加します。こうしてパブリックは個人化し、拡張します。

「人々が新しいパブリックをつくる時、その概念もまた定義し直される。今では王は国家ではない。ニューヨークタイムズは世論ではない。政党は政治の中心的存在ではない。ハリウッドが文化ではない。」「昔も今も、新たなツールが人々を行動に駆り立て、パブリックな場での創造を促し、そこにパブリックな人々が生まれる。」「印刷機やカメラがパブリックとプライベートを生んだ。それをネット(グーグル、ブロガー、ツイッター、ユーチューブ、フリッカーといった奇妙な名前の僕らのツール)が破壊し、再構築する。」

これに対し、既存メディアがパブリックの会話を吸い取れていないことも指摘します。

「(19世紀の初頭)ジャーナリストは自分たちをパブリックの代表、市民と国家の間の架け橋だと勝手に思い込むようになった。」コロンビア大学のジェイムズ・ケアリー教授「報道機関はパブリックに情報を与えるものではない。パブリックこそ報道機関に情報を与えるべきだ。ジャーナリズムの真の対象は、パブリックの内部で交わされる会話そのものなのだ。/メディアはパブリックの使い方を誤った/ジャーナリストは、自分たちをパブリックの上位におき、……自分たちが客観的で、中立的で純粋だと思い込むようになった。」

ただし、エリザベス・アイゼンステイン「グーテンベルク以降まるまる1世紀が経ってはじめて、新しい世界像の骨格が見えてきた」とも説きます。「インターネットがもたらした変化はすでに巨大なものに映るが、僕らはまだその革命の初期にいる。まだ何も見ていないのだ。」そのとおりです。

●パブリック・コントロール
改めて、プライバシーとパブリックの関係が問われます。

「(プライバシーとパブリックは)相反するものではないからだ。プライバシーとパブリックは相互に作用するものだ。プライバシーを「パブリックでないこと」とは定義できないのだ。」アラン・F・ウェスティン「プライバシーとは個人、グループ、組織がいつ、どのように、どこまで、自分たちに関する情報を他者に伝えるかを決める権利である。」ダナ・ボイド「プライバシーとは、情報へのアクセスをコントロールすることだけではなく、それがどのように使われ、どう解釈されるかをコントロールすることです。」エリック・シュミット「もし誰にも知られたくないと思うなら、最初からしなければいい。」プライバシーとは秘匿するだけのものではなく、利用し管理する権利であり、そのプライベートをパブリックにするかどうかのコントロールは可能だというのです。

プライバシーを確保するコストが増大しているという事情もあります。サム・レッシン「プライバシーが欲しければ、現金、時間、社会資本、その他もろもろを一緒に払わなくちゃいけなくなった。」「プライバシー設定を管理するための努力と煩わしさというコスト。あえてパブリックにもソーシャルにもならないことで失われるチャンス。」善し悪し、というより、損得、が変化を加速している面があります。これに対し筆者は、「パブリックであることの倫理とは……透明であること、オープンであること、コラボレーションを促すこと、リスペクトにつながること、価値を与えること」といった規範を持ち出しています。

ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、「自分についての情報がどのくらいネットで公開されているかを心配するのは、ユーザーの33%にすぎない。この割合は低下傾向にある。」のだそうです。個人はよりパブリックであることを求めるのかもしれません(なお、同じ調査で「ネットユーザの42%がそれ以外の人よりもよく公園に行く」という結果がありました。ネット民は引きこもりではなくアクティブで、リアル面でもパブリックなのかも)。

ここで筆者は制度を要求します。「政府は公開をデフォルトとし、必要な時にだけ秘匿すべきだ。」「情報を秘匿したい場合は僕らの許可を求めなければいけないような法律だ。」ぼくも携わっている「オープンデータ」は、それに向けた運動です。政府・自治体の中にも、その効用と必要性を認識しているかたがたはいます。官民での取組が大事です。「ベス・ノヴェックは、「コラボレーション型政府」を望んでいる。「オープンガバメント」という言葉はあまり好きじゃない。」そう、オープンはルールであり、決めればできる。官の対応にすぎない。これが市民と混じり合ってコラボレーション型に進化するには努力が要ります。

最後に小林弘人さんの解説があります。本文の前に、こちらを読むことを薦めます。そこに、こう記されています。

「チュニジアのジャスミン革命やアラブの春のような独裁や強権による専制に対する反政府活動にソーシャルメディアが用いられたことは知られるところだが、日本では国難とも呼ぶべき未曾有の被災において、一般の人々がモバイルやソーシャルメディアを駆使して災害へ対応し、あるいは被災者やコミュニティのために協働した。パブリックネスの扉が自然と開かれたのだ。」

パブリックに対する欧米のアプローチが示される本書を読み解く日本の視座を与えてくれています。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年7月15日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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