「みんな」と「ひとり」 --- 中村 伊知哉

2013年08月08日 10:30

みんなの時代が来ました。

2006年末、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーを「You」とし、表紙にPCと鏡を掲載しました。鏡に映る読者一人ひとりがデジタルの力で威力を発揮する、だれもが主役になる時代。当時それはWeb2.0などと呼ばれました。

その後、ソーシャルメディアが爆発的に普及しました。みんながつながって、みんなの声が社会に直接の影響を及ぼすようになりました。米大統領選を左右し、アラブの春をもたらし、ロンドン、NYCなど各都市の暴動を演出しました。


コンテンツ産業は停滞気味ですが、ソーシャルメディアはソーシャルゲームも含め産業としても急成長。デジタル化が急進した95年からの10年間に、コンテンツの市場規模は5.8%しか拡大しなかったのに、情報発信量は20.9倍に膨張、その量はさらに拡大スピードを速め、ビッグデータと呼ばれるに至ります。

日本はその「みんな力」「ソーシャル力」の高さを示してもいます。2011年末には秒間2.5万バルス!でツイート世界記録を達成して世界を驚かせました。ついこの間、8月2日には14万3199ツイート/秒で再更新しました。初音ミクという、みんなが作ったり描いたり、演奏してみたり踊ってみたりしながらソーシャルメディア上で育てたスターがロンドン五輪の開幕式を飾る国際アンケートの1位を獲ったりします。

コミケやニコニコ動画というプラットフォームがみんなの創作・表現のプラットフォームとして磁場を形成しています。シスコが今年2月に発表した調査結果では、日本のモバイルユーザが発信するデータ量は世界平均の5倍で断トツ1位だそうです。

みんなの時代は、日本のチャンス、かもしれません。

その力を維持し、発展させるべきです。

社会全体の底上げ、を図るべきです。

そこで、今後10年を展望した政府・知財戦略を構築するための「知財ビジョン」では、コンテンツ人財の育成として、「子どもたちの発想力やコミュニケーション能力を養い、将来のクリエーターの育成を図る。」という方向性を明記しました。

また、クールジャパン政策の一環として開かれたポップカルチャー分科会で、ぼくが議長となって作った提言は、「みんな」を最も強調し、以下のように盛り込みました。

○みんなで    ・・・「参加」(短期)

世界中の子どもが知っているアニメもゲームも、海外の若者が憧れるファッションも、支えているのは消費者、ファンの愛情。クリエイター、キャラクター、事業者、そして何よりそれらを愛する国内と海外のファン。「みんな」の力を活かしたい。インターネットで多言語発信し、内外でイベントを開き、交流できる場や特区、さらには「聖地」を形作るなど、みんなが「参加」して情報を発信する仕組みを構築しよう。政府主導ではなくて、みんな。

このあたり、もうコンセンサスってことでいいでしょうか。

みんなが大事、ってことで。

はい、ではそろそろ、次に行きたいと思います。

先日、授業に来てくれた日テレの土屋敏男さんが、コンテンツに必要なのは「個の狂気」だと断じていました。コンテンツは、あくまで個の狂気がもたらす。

コンテンツの魅力が欠けてきたのは、個が、狂気が、薄まっているせいもあるかもしれません。みんな、の中に、個が埋没しているのかもしれません。

無名のタレント2名をだまして香港に連れて行き、イギリスまでヒッチハイクさせる、半年もかけて番組にする、なんて企画を思いつき実行する。電波少年のT部長は、プロデューサーという組織人でありながら、あからさまに狂気をたずさえた個であります。

2000年から2001年にかけての、21世紀の幕を開けるカウントダウン。日本テレビの中継では、みんなで一緒に秒読みをして、「明けましておめでとう!」を迎えたものの、実は2分早く、ええ~っガックン、となった事件。

「現場の上司にも、その上にも、スタッフにも言わず、やっちゃった」と土屋さん。「やっていいですかと聞けば、現場の上司は面白いと言うかもしれないけど、局としては完全にアウト。でも、思いついたらやりたくてどうしようもなくなってる自分がいて、やっちゃった。」

それは、狂ってます。今なら苦情が殺到したりコンプラ委員会が動いたりしてメンドくさいです。でも、それを押しのけて、クールポコ状態でやっちまった結果がコンテンツであり、やっちまうエネルギーを個の狂気と呼ぶ。

みんなの力では、できない。「ひとり」のもつパワーだけが突破できる、未知の空間。クリエイターは、その魅力に引き寄せられて、創る。

テレビが面白くなくなった、といいます。いろんな事情があるでしょう。でも、個がフルスイングする環境でなくなってきたことが大きな原因でしょう。

みんなの底上げは、教育の領域です。でもウルトラな「ひとり」を生むにはどうすればいいんでしょう。ウルトラな「ひとり」がフルスイングできるようにするにはどうすればいいんでしょう。対策はあり得るんでしょうか。

政府が唱えるように、高度コンテンツ人財を生むために、高等教育を整備する、コンテンツの制作を教える機関を充実することで、個の狂気が充満するか。そうは思えません。作れる「ひとり」は増えるでしょうけど、爆発する「ひとり」は別ルートから生まれそうです。

ではどうする。わかりません。わかりませんが、新しい表現のジャンルを創り出してしまうほどの「ひとり」が生まれてくるのは、何らかの環境や土壌、何らかの環境の条件があるのではないかという気がします。

近代絵画での印象派の出現。ファッション界でのココ・シャネル。映画でのゴダール。ポップミュージックでのビートルズやセックスピストルズ。マンガでの手塚治虫、つげ義春、大友克洋。ゲームでの宮本茂。

そのジャンルの本場で、それまでに出来上がり膠着した表現様式を、ぺろんとひっくり返して新ジャンルを生み出す、つまりパンクですが、そういう「ひとりひとり」が生まれてくる条件ってのが、ありはしまいか。

ソーシャルメディア時代のパンク、それはまずフェイスブックやツイッターやLINEを生み出したメディアイノベーターたちが当てはまるわけですが、その上での新しい表現を打ち立てる「ひとり」ってのはどういう人が、どこから生まれてくるんですかね。

「みんな」の時代の「ひとり」を生む算段、それをこれから考えてみたいと思います。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年8月8日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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