匿名と実名で行動が変わってしまう「残念な人」との付き合い方 --- 内藤 忍

アゴラ

数年前、何人かの共同で書籍を制作したことがありました。全員が仕事の傍らでの執筆ということで、なかなか制作が進まず、原稿のチェックもスケジュール通りに進まず、取りまとめを担当していた私は何とかならないか色々考えた末、あることを提案しました。

それは、書籍の巻末に執筆者として、全員の名前を入れることでした。


それまでは執筆を手伝っても黒子だと思っていたメンバーが、急に自分の名前が表舞台に出ることに変わった訳です。すると、それからは自分の担当パートをきめ細かくチェックして、修正事項を大量に依頼してくる「熱心な執筆者」に変身しました。

結果的に制作スピードを早めることができ、内容面でも充実した書籍に仕上がりました。

人間は実名の時と匿名の時で行動が変わる。もちろん、意識の高い人はそんなことはないのかもしれませんが、大半の人は残念なことに行動が変わってしまうのです。

これは、リアルな世界だけではありません。ネット上では、さらに顕著です。匿名性が高いツイッターのようなSNSでは、ネガティブな発言で気に入らない相手を罵倒するのが当たり前のようになっています。その一番の理由は、自分の顔が他人に見えないところにあります。

Facebookは匿名性が低く、友人のネットワークがあることから、顔が見えるメディアと言えます。このような場所では、過激な発言や非常識な行動は抑制されるのです。

ネット上での匿名による批判、例えて言えば「塀で隠れたところから相手に石を投げる行為」と同じです。自分は安全なところにいて、見えないようにしながら相手を攻撃する。バレないからやる、面が割れるならやらない、という子供じみた行動原理です。

先月の国政選挙でも、ネット上での匿名情報によって、意図的に間違えた情報が流されたり、根拠のない個人攻撃されたり、被害を被った政治家の人がいました。実名だったらこんなこと言えるのかと思うようなひどい内容もありました。

匿名性が認められる必要がある状況もあります。弱い立場にある人が告発をする場合や、発言によって発言者が生命に危険が及ぶような場合です。

しかし、日常生活で展開されている匿名による行動は、メリットよりデメリットの方が大きいように思います。それは匿名になることによって、責任感が低下し、「自分事」ではなく「他人事」になるからだと思います。匿名になると「残念な人」になってしまうケースが多いのです。

私も匿名の人からネット上で執拗に批判をされることがありますが、気にしないことにしています。その代わり、実名で寄せられた意見や批判には真剣に向き合って対処するようにしています。匿名と実名にはそれくらい、発言の重みに違いがあるのです。

編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2013年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。