日韓関係の改善は急いでも無駄

松本 徹三

「日中」の問題と「日韓」の問題には、「歴史認識」や「靖国」のような共通項もあるが、元々は別個の問題なので、「日中問題」についての議論はまた別の機会に譲る事にして、今回は「日韓問題」のみを切り離して考えたい。冒頭に、先ず結論から言うなら、私は「日韓関係の好転は当面無理だし、その必要もない」という考えに至っている。現時点では、双方の実務関係者は、これ以上の関係悪化を避けるべく、個々の問題を丁寧に淡々と処理していく事だけを心がけるべきだ。


日中関係についても基本的には同じ事が言えるだろうが、もう少し難しい判断を迫られる事があるかも知れない。それというのも、竹島(独島)については、「韓国が実効支配している現状」を変えようと、「日本政府の意を受けた人達が実力行使をする」等という可能性はないと思われるが、尖閣(釣魚)諸島については、「日本が実効支配している現状」を変えようと、「中国政府の意を受けた人たちが何らかの実力行使を行う」可能性もないとは言えず、事態が緊迫しているからだ。また、日韓間の経済的な相互依存関係はそれほど大きくはないのに対し、日中間には経済的に相当大きい相互依存関係がある事も考えなければならない。

さて、日本人の中には、韓国の朴槿恵新大統領を「反日の急先鋒」とまで呼ぶ人たちがいるが、これはあまりに単細胞的な見方だ。父君である朴正煕元大統領については「民主化運動を押さえ込んで強権政治を行った」という否定的な評価と「混乱を克服して驚異的な経済成長をもたらした」という肯定的な評価が交錯する一方で、彼が日本の陸軍士官学校出身で親日的な考えの持ち主だったのは事実だし、彼が大統領だった1965年に締結された「日韓請求権協定」に対する一般の韓国人の評価が必ずしも高くないのも事実だから、朴槿恵大統領には、この事に関連して色々と政治的配慮をしなければならないという事情がある筈だ。日本人としても、この辺のところはよく理解しておくべきだ。

朴槿恵大統領がこれまでの慣例を破って、米国の次の訪問先に日本ではなく中国を選んだ事についても、日本人の中には「中国を対日強硬策の後ろ盾にしようとしているのではないか」とまで言う人たちがいるが、これも意識過剰に過ぎる。韓国にとっての最大の懸念は言うまでもなく北朝鮮の動向であり、その北朝鮮に対して「生殺与奪」にも近い影響力を持っているのは中国なのだから、韓国の新しい指導者が中国の指導者との間にホットラインを持つ事を最優先に考えるのは、当然すぎる程当然だとも言える。

現在の世界は多くの「独立国」から成り立っており、それぞれの「独立国」はそれぞれに主権を持っているので、「核兵器の保有」とか「目に余る人権侵害」といった事がない限りは、他国の干渉を受けずに、何でも自由に行う事が出来る。しかし、その一方で、各国は自国の経済を滞りなく運営し、出来ればそれを発展させる為に、諸外国との間で商品の輸出入を行う必要があり、また、自国の企業が外国で自由に活動出来るように支援する必要がある。従って「自国内では何でもする事が出来る」と言っても、諸外国の利益を害さないよう、常に一定の配慮をする必要はある。

この為に、各国は「外交」を行う。自国にとって有益になるような形で外国との関係を構築するのが目的だが、相手も同じように考えているので、その目的を達成するのは容易ではない。しかし、外交を難しくしているのは、それ以上に、各国とも自国の「国民感情」に迎合しなければならないという「不都合な真実」が存在するという事だ。

因に、「外交」を左右する他のファクターとしては、「軍事力」と「法と正義」がある。「軍事力」は、昔程には強い影響力を持たなくなってきているとはいうものの、矢張り無視は出来ない。相手が「軍事力」をちらつかせた時には、自国側にも何らかの対抗措置がないと、状況が不利になるのを防ぎ得ないからだ。更に、「海軍力」は「洋上封鎖」を可能にするから、日本のような国では、経済活動全般に大きな影響を与える。これに対し、「正義」については、定義が曖昧で主観的なものにならざるを得ないし、「国際法」は整備があまり進んでいない。

さて、話を今回の主題である「日韓関係」に戻そう。

李明博大統領が誕生した時には、前政権時代とは異なり「日韓の協調関係が大いに進展するだろう」と、当初は相当に期待された。韓流ドラマや韓国のグループサウンズが日本で人気を博した事もあり、過去を引きずりがちだった韓国人の日本人に対する若干屈折した感情も氷解しつつあるように思えたから、全てに好ましい相乗効果が生まれる事も期待されていた。ところが、2011年の12月にソウルの日本大使館の前に「従軍慰安婦像」が設置された事に始まり、2012年8月には李大統領自身が竹島に上陸して大々的にパーフォーマンスを行い、更には「天皇陛下が訪韓するなら謝罪が条件」とまで発言するに至って、この期待は完全に消えてしまった。

「従軍慰安婦」に象徴される「弱い立場にいる女性に対する重大な人権侵害」という「多くの国が犯してきた、或いは見て見ぬ振りをしてきた、人類としての恥ずべき所業」を、自国でも同様の事を行っていた事については何の言及もないままに、あたかも「日本軍だけが犯した犯罪行為」であるかのように吹聴して、米国でまで宣伝活動をしている韓国人の活動家については、日頃「親韓」を自認している私でも心底怒りを禁じ得ないし、「天皇陛下の訪韓条件発言」に至っては、「天皇陛下は別に韓流スターのファンである訳でもなく、訪韓なんかしたいとは思われないでしょうから、ご心配なく」と言いたい気持になる。

これ以前にも、日本の首相親書の受け取りを拒否するという外交上極めて異例な事が平然と行われているし、最近は「原爆投下は神の懲罰である」とするコラム記事が韓国の一流紙である中央日報に掲載されたり、サッカーの国際試合で、また懲りもせず「政治宣伝の横断幕」を掲げたりという事が続いているので、普通の日本人も段々と韓国が嫌いになりつつあるのは致し方ないだろう。

嫌いにならないまでも、「『未来志向』という言葉は一体何処に行ってしまったのか? お隣同士の良いお付き合いを本当に希望しているのなら、60年以上も前の事をいつまでも繰り返して持ち出すのは、もういい加減にやめてほしい」と心の底で思っていない日本人は、先ずいないのではなかろうか? 韓国には「恨」という独特の文化があると言われても、諸外国が羨むほどに繁栄している現在の韓国を見ていると、相当の違和感を持ってしまう。

韓国における一部の反日家やジャーナリストが、「こうして圧力を加えていけば、日本人は次第に考えを変えるだろう」とまさか本気で考えているとはとても思えないが、それならば狙いは何なのだろうかと考えると、謎は深まる。こんなにもあの手この手を使って日韓の一般人の仲を割いて得をするのは、北朝鮮だけかもしれないから、或いはその筋の工作なのだろうかとも、ついつい思ってしまう。

そう言えば、このような反日家の原理主義的な言動は、先回の記事で書いたかつての日本の「進歩的文化人」の言動に若干似ていないとも言えない。最近の韓国のヒステリックなまでに反日的な言動は、諸外国の目から見ても明らかにちょっと異常であり、その分だけ韓国自身の信用を落としているとも思うのだが、もし「それも計算の上」だとするなら、これはちょっと怖い。

韓国の現代史を見ると、日本とは比較にならぬ程に「右派」と「左派」の亀裂が激しく、筋金入りの「左派」は至る所にいるし、産業界に入れなかったジャーナリストや文筆家、それに教育や法曹に携わる人たちの中には、特にそういう人が多いと聞く。実のところは、この人たちが、何となく「世論」とか「国民感情」というものの流れを作り、間接的に政治家にプレッシャーをかけている事は否めないのではないだろうか?

法曹界の問題は特に深刻だ。戦時中強制徴用されていた韓国人の元徴用工達が、その賠償を現在の新日鉄住金や三菱重工業に求める訴訟が、実はこれまでずっと行われてきていたのだが、これに対し、昨年、日本の最高裁に相当する韓国の大法院は、「反人道的な不法行為である強制徴用は、如何なる国際協定があろうと、その対象外となる」という判決を下している。つまり、「国内法は国際条約に優先する」という驚天動地の宣言をしたわけだ。こうなると、もう「外交」も糞もない。韓国を国として信用して、共に経済活動をしていこうと考える事自体が難しくなってしまう。

実は、日韓両国が国交正常化をした1965年に、両国間では、韓国政府からの日本政府に対する3億ドルの無償請求権、2億ドルの有償請求権、及び日本から韓国への3億ドル以上の民間ベースの経済協力(借款供与)が「日韓請求権協定」で確認され、その際に「国家ベースであると個人ベースであるとを問わず、その他の全て請求権は相互に放棄される」という条件も同時に確認されている。従って、この「国際協定」が有効である限りは、元徴用工たちは、日本の雇用主ではなく、韓国政府に賠償金を請求すべきは明らかなのだが、韓国の大法院は「そのような協定を結んだ事自体が不当」と切り捨てているのだ。

「従軍慰安婦」の問題も、実は法的にはこれと全く根を一つにする問題だ。韓国の大法院が「この問題の解決を計ろうとしていない政府の不作為は違憲」という判決を下した為、三権分立体制下の行政府を代表する李明博大統領も、何等かの行動を起こさざるを得なかった訳だ。つまり、現在の韓国政府は、対内的に「違憲」として非難されるか、対外的に「協定違反」として信用を落とすかの何れかを受け入れざるを得ず、そうなれば、「国民感情」を重視する限りは、「対外的に信用を落とすほうがまだマシ」と判断せざるを得なかったのだろう。

さて、日本政府はどうすれば良いか? 私のように韓国側に相当近い「歴史認識」を持っている人間であっても、「過去の日本の罪はそれだけ重いのだから、如何なる国際協定違反も受け入れざるを得ない」とまでは、とても考えられる訳はない。「全ての事は出来る限り法治主義によって処理すべき」という原則を国として堅持する限りは、日本が国として韓国側の要求を認める訳にはいかないのも当然だ。

ここで私が期待するのは、「両国間の紛争は極力避けるべき」と共に考えている筈の両国の民間企業等が、知恵を絞って「原理・原則に拘る事なく、被害を受けた人達を実質的に救済する」方策を考える事なのだが、「慰安婦問題」に関して折角作った「女性の為のアジア平和国民基金」も、何故か全く評価されていない事を考えると、これも上手く行きそうにはない。全ての裏で糸を引いている反日家たちの目的は、問題を大きくして対立を煽る事であり、問題を解決する事ではないように思えるからだ。

私がこの記事の冒頭で「日韓関係の改善は当面急いでも無駄」と書いたのも、「政治家も産業界も、国民感情(空気)には配慮せざるを得ず、一方、国民感情(空気)というものは、誰かが一旦ネガティブな流れを作り出してしまうと、これを一朝一夕に変える事は困難で、何等かのきっかけで全体の流れが変わるのを待つしかない」という諦観を持つに至っているからだ。もしも韓国という国が際立って特異な国で、何時までたっても今の状態は変わらないという事なら、それはそれで仕方がない。永久に待っていればよいだけの事だ。

但し、私は日本人だから、自分の国の政府と自国人に対しては注文をつけたい。「歴史認識の問題については『村山談話の再確認』を行って、これ以上揺るがない事」「靖国神社への政府要人の公式参拝は、近隣諸国の感情に配慮して自粛する事」「如何なる場合でも相手の立場を慮った品位のある言動に意を尽くし、『売り言葉に買い言葉』は避ける事」の三点である。これは、相手方の言動の如何に関わらず、日本人としての「誠意」と「矜持」にかけてやるべき事であると、少なくとも私は考えている。

蛇足ながら、個人的には更にもう一つ付け加えたい事もある。日本の産業人は、もっと迅速に決断し、もっと果敢に行動し、技術開発にもっと力を入れ、マーケティングにもっと工夫をこらし、老弱男女を問わずもっと働き、そういう努力を積み重ねる事によって、日本の経済力をもっと強くする事だ。どんな時でも、経済力の強い国が軽んじられる事はない。この事については、韓国の産業人から学ぶべき事も多い。