自著『コンテンツと国家戦略』に寄せて --- 中村 伊知哉

アゴラ

コンテンツと国家戦略 ソフトパワーと日本再興 (角川EPUB選書)

このほど「コンテンツと国家戦略」なる本を角川EPUB選書から上梓しました。

コンテンツ政策やソフトパワー論について、知財本部で議論していることを中心にまとめたものです。なぜ今これをしたためたか。序章から抽出するかたちで紹介します。


2013年6月7日、政府は「知的財産政策に関する基本方針」を閣議決定するとともに、「知的財産政策ビジョン」を決定しました。知財戦略の総本山として内閣官房に知財本部を設置して10年。その10年を総括し、今後10年の戦略を立てるものです。

私は座長として、知財戦略を担当する山本一太大臣ら政府代表らに対し、こう追加しました。

「コンテンツやITの政策を結合して「文化省」を作るのがよいと思います。荒唐無稽な意見かも知れませんが、韓国は新政権で IT政策や科学技術を統括する「未来創造科学省」を置くことにしました。国民を何で食べさせるかを端的に示しています。日本にもそのような腹づもりが求められます。」

霞ヶ関に省庁再編を促すのは、やりすぎ感があります。

知財本部の議論と並行し、「クールジャパン推進会議」が設けられ、対外戦術を別枠で練ることになりました。私はその下に置かれた「ポップカルチャー分科会」の議長も仰せつかりました。

その提言には「みんなが『参加』して情報を発信する仕組みを構築しよう。政府主導ではなくて、みんな。」と書き込みました。政府に頼まれた会議で政府主導を否定するのも、やり過ぎ感があります。

でも、ハッキリさせないと戦略を間違えます。直球を投げないと届かない気がするのです。

政府の委員会というものは、官僚の隠れ蓑だとか御用学者の集まりだとか、おおよそ役人の企みにお墨付きを与えるということで、世間の評判がよろしくない。ところが、われわれ知財本部コンテンツ部隊はそんなコントロールが効きません。よくもまぁ、効かない人ばかりを集めたものです。

ゲーム、音楽、映画、出版、IT、テレビ、芸能、法律・・・さまざまなバックグラウンドを持つ委員たちは、自説を投げつけ、アイディアを寄せ、歯に衣着せず政府にダメ出しし、政治家にもモノ申す。座長の私も突き上げられます。

しかし、学者たちによる浮世離れした世直し論ではありません。実態のリアリティーがぶつかり合うので、実に刺激的。これまで私は30を超える政府の委員会・審議会に参加したことがありますが、こんなにスリリングな経験は初めてです。

でも、そんな現場の熱い議論は共有されてはいません。議事録をチェックするなんて人は、研究者かとんがった業界人か何かのマニアぐらいでしょう。

それはいかにももったいない。

できるだけ委員のコメントを拾い上げ、政策を創り出す現場の雰囲気、われわれの危機感や焦燥感、を知っていただきたい。これが本書を著した動機です。

提言を繰り返してきました。でも、残っている問題が2つあります。

一つは「実行力」。

プランは豊かなのですが、それを実行に移し、産業や文化を潤わせ、具体的な成果を示す。これがまだ弱い。そのためには強力な政治リーダーシップが欠かせません。霞ヶ関、外国政府、利害関係者に対する指導力や調整力が必要です。

もう一つは「覚悟」。

コンテンツや知財というジャンルが日本を引っ張るという理解。日本が海外からこれで尊敬を受けているという認識。これで100年メシを食っていくという気合い。つまり、他の分野よりも政策の優先順位を上げて、知財立国するのだという腹づもりがまだできていないのです。

例えば、知財分野はTPPでも農業、繊維、工業、金融、通信などと並ぶ交渉分野です。この場合、他の分野を譲ってでも知財の利益を優先する覚悟が問われることになります。

しかし、事態は悪くはありません。この4年間に起きた最大の変化は、政府部内にコンテンツ政策の重要性が共有され、多くのプレイヤーが積極参加し始めたことでしょう。

われわれの会議でも、8省庁の代表が集い、それぞれが政策カードをテーブルに並べ、プランを立てるようになりました。以前ならどこが引き受けるのか譲り合いを見せていた案件も、今は取り合いの様相。

この熱気が「続く」ことを期待します。

知財計画の最終決定は、官邸で行われます。前回の決定に際し、総理以下、全閣僚が居並ぶ席に、私は和服+ハカマで向かいました。

そのとき私は、和服を裏向きに着ていました。パンクだから反抗した。というわけではありません。計画の提出に気合いが入りすぎて、裏向きに気がつかなかったのです。官邸を去るときに気がつきました。赤面して、永田町から赤坂方面に走り去りました。

でも、晩のニュースではもちろんそのまま流れました。チョー恥ずかしい。誰かに指摘されたら、新しい永田町ファッションだ、と言い逃れることにしました。

以前は蝶ネクタイだった私が和服になったのも、この知財本部が原因です。

2010年秋、会議で「クールジャパン」が話題となりました。コンテンツにファッション、食、観光など他ジャンルの産業を組み合わせ、海外にジャパンを届けに行く。その戦略いかん、と。

議論終了後、ふとした疑問を周りにぶつけてみました。

「クールジャパンとか言ってみんな洋服じゃね?」

複数の委員から「じゃアンタ和服で仕切ればいいよ」「アハハそうだね」という切り返し。

軽いジョークなのですが、根がマジメなので、じゃ次回やってみますか。コスプレのつもりでそうしてみたところコレが受け、これからもそうしろということになり、止めるキッカケを失い、今日に至る次第です。

和服というやつは、冬は寒いし、洋室ではあちこち引っかけてよく破れるし、不便この上ない。

実行力も、覚悟も要ります。

ただ、3年以上経ってみると、当初、霞ヶ関でひんぱんに守衛さんに止められていたのが、このごろはあまり不審者扱いされなくなりました。

成り行き上、これも「続く」ことになるのでしょう。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。