イスラエル、シャロン元首相空白8年間の「中東の動き」 --- 長谷川 良

アゴラ

イスラエルのアリエル・シャロン元首相が1月11日、死去した。85歳だった。2006年1月、脳卒中で倒れて以来、8年間、昏睡状況が続いていた。3次、4次の中東戦争では指揮官を務め、スエズ運河逆上陸作戦を指揮、母国の窮地を救うなど、イスラエルの英雄の一人だった。その後、政界入りし、ラビン政権、ぺギン政権下で閣僚を歴任した後、2001年3月、首相に就任した。そして運命の日(06年1月4日)を迎えた。


ところで、この8年間、中東情勢はどのように変化しただろうか。シャロン元首相が最後に8年間の中東情勢を振り返ってブリーフィングしたら、こういうのではないだろうか、と想像しながら簡単に振り返ってみた。

シャロン元首相が最も驚くことは、ニューヨークの国連総会で2012年11月29日、パレスチナのオブザーバー国家への格上げが賛成多数で採択されたことだろう。イスラエル、米国は反対したが、国連加盟国138カ国がパレスチナの「オブザーバー国家」への格上げを支持した。

元首相自身、パレスチナ国家の容認を認め、イスラエルがパレスチナを占領している事実を認めた最初のイスラエル首相だ。その意味で、元首相は現実的な政治感覚を保有していた。ちなみに、パレスチナ自治政府は11年10月末、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に正式加盟している。

イスラエルの入植政策は、ストップになったり、加速されたりで、時の政情に大きく揺れ動かされてきた。その点、シャロン政権時代から余り変わっていない。

シャロン首相の空白の8年間で中東情勢の変化と言えば、2011年1月、チュニジアを皮切りにエジプト、リビア、イエメンなどで吹き上げた民主化運動(通称アラブの春)だろう。ただし、“アラブの春”はここにきて大きな試練に直面し、エジプトではムバラク政権が崩壊したが、「ムスリム同胞団」主導のモルシ政権が誕生したのも束の間、昨年7月、軍が再び政権を掌握するなど、2転、3転している。ムバラク大統領とリビアの独裁者のカダフィ大佐の失権と処刑を聞いたならば、シャロン元首相はやはりびっくりするだろう。

一方、米国ではブッシュ政権からオバマ政権に変わり、米軍はイラクやアフガニスタンなど紛争地から撤退を進めている。シリア内戦問題への対応でも明らかになったように、オバマ大統領は決断力と指導力に欠けている。同時に、イスラエルと米国の両国関係はシャロン時代の緊密な関係とは異なり、隙間風が吹き出している。

シャロン元首相へのブリーフィングで忘れてはならない点はイランの核問題だ。シャロン氏の首相時代からイランの核問題は懸念材料だった。03年から今日まで10年間以上、国際社会はイランの核問題に頭を悩まされてきた。

ネタ二ヤフ現首相はイランの核関連施設への軍事攻撃すら示唆している。実際、イスラエルは07年9月、シリア北東部の核関連施設(ダイール・アルゾル施設)を爆破した。シリア側が否定しているが、国際原子力機関(IAEA)は「同施設は核関連施設」と受け取っている。

シャロン氏ならイランの核問題をどのように対応するだろうか。聞いてみたいが、もはや難しい。イスラエルにとって民族の安全は最優先課題だから、シャロン氏もイランの核問題に対しては強硬政策を辞さないだろう。

シャロン氏の冥福を祈る。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年1月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。