不可能な夢としての企業統治論

2014年02月25日 11:30

所有と経営の分離を前提にした企業統治においては、株主がもつ最終的な経営権は、専門の経営陣に委嘱されている。故に、経営陣としては、株主の利益を守ること、株主に適正な利潤を還元することが経営課題になる。企業統治論が、どうしても株主を頂点とした構図になりやすいのは、当然である。


しかし、大切なことは、ステイクホルダー全体における公正公平なる利害調整である。その公正公平性の確保に、本来の企業統治論の中核があるのである。問題の鍵は、ステイクホルダー相互の序列にある。

ステイクホルダーを単純化して、顧客、協力企業、従業員、銀行、国税庁、株主と並べて見ると、これが、弱い組と強い組の二つに分けられるのがわかる。顧客、協力企業、従業員の弱い組と、銀行、国税庁、株主の強い組である。強い組のうち、強すぎる国税庁は特殊なので抜こう。残った銀行(債権者)と株主は、企業の貸借対照表の右側、すなわち企業の資本構成を代表している。つまり企業資産の広義な所有者なのだ。

ステイクホルダー間の対立は、二階層になっている。弱い組(顧客、協力企業、従業員)と、強い組(銀行、国税庁、株主)との対立と、弱い組と強い組の、それぞれの中における対立である。

例えば、「派遣切り」は、大きくは、株主(資本)と労働者の対立だが、小さくは、労働者内部の正規雇用とそれ以外の対立である。いずれにしても、対立の本質は、いうまでもないが、立場の強いものと、立場の弱いものとの間の対立である。ワークシェアリングの議論の危険性は、労働と資本という本質的な力の格差を、労働内部の小さな相対格差に矮小化する可能性なのだ。

もちろん、弱い側は、消費者にしろ、労働者にしろ、あるいは協力企業にしろ、様々な法律で保護されている。しかし、企業統治の問題は、法律上の最低限の次元にはなくて、社会的責任としての高位な次元にある。違法ではないということと、社会的正義とは、同じではない。

理想的な企業統治のあり方は、顧客に社会的価値を提供した対価として受け取った売上が、協力企業、従業員、銀行、国税庁の順番に、適切に公正に支払われて、結果として、最終的には株主に適正利潤が還元されるという仕組みを実現することであろう。

このときは、誰も、他人の犠牲、他人の損失のもとに、自己の利益を得ることはないはずなのだ。しかし、どうしたら、それが実現できるのだ。不可能なほどに、難しいことではないのか。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
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