なぜ婚活パーティから男性が消えたのか --- 土屋 義規

アゴラ

Nキャスでこないだ、「婚活戦線異常アリ え!? 男がいない?」という特集をやっていたのだが、やっと世の男性は目が覚めたか、という感じだ。未だに女性の婚活パーティー利用者数は多いようだが、男性の利用者数は激減している、さてどうしよう! という特集。例えばあるパーティーでは、女性63名に対して、男性が20名しか集まらない。各社どのパーティーでも現在はこのような状況なのだそうだ。


婚活パーティーを主催する各社は、より女性に飢えている独身男性の多い職場へ営業を行うことが課題だと考えているらしく、自衛隊や警察などへの営業活動に力を入れている企業もあるというのだが、営業が足りないとか、そういう問題ではないと思うのだが。

そもそも、婚活パーティーへの男性の期待と女性の期待には乖離がある。婚活が始まった当初から一貫して女性は男性に対して「年収」や「学歴」「容姿」というステータスを求めるが、男性は「癒やし」を求める。男性はとにかく何時まで経っても幻想主義だから、突きつけられる目が円マークの女性たちの現実に、愛想を尽かしてしまったのだろう。そこには「癒やし」などは存在せず、「金」という現実しか無い。

私がもし婚活パーティーに誘われたとしても、金目当ての女性に値踏みされにわざわざ足を運ぼうなんて思わない。どれだけマゾヒストなのか。婚活パーティーの参加条件が「年収」や「学歴」になっているが、婚活パーティーを主催する各社は、パーティーのあり方を変えるべき状況に来ている。営業が足りないのではなく、男心をまったく分かっていないのだ。

実際、婚活パーティーにいつまでも残っているのはアラフォーの女性たちで、若い二十代の女性が婚活から卒業していくのは、男の幻想により近い存在だからに他ならない。痛い現実を人生経験の乏しい若い女性は求めない。アラフォーの女性たちは後が無いし、ここまで来たら妥協もできないと、男性にステータスを求めたがる。そういう女性たちが多く集まる場だと初めから分かっていたはずだが、一時でも男性が多かったということは、そういう現実を知らない(想定できない)男性が多かったということなのだろうか。不思議でしょうがない。やはり、一度は夢を見たいというのが、男なのだろう か。

婚活パーティーを主催する各社は、割に合わない現状になっているのではないだろうか。女性は、いつまで経っても応募してくるだろうが、現実を知られてしまえば、男性は慎重になって応募してこない。男性を集めるために必死に金を費やして営業しても、実りは少ないだろう。

女性ありきの婚活パーティーは、そろそろ逆転してもいいんじゃないかと私は思っているが、男性が女性に求めるものは果たしてなんだろうか? この特集にも出てくるが、「家庭に帰ってきてほっとできる関係」を求める男性が多いだろうから、話が合うとか、趣味を理解してくれるとか、料理が普通にできるとか、本当に家庭にいて窮屈ではない関係がほしくて、女性ほど容姿にも職歴にも最終的にはこだわらないだろう。私も欲を言えば背の低い女性が好みだが、付き合った女性は背が高い方が多かった。そんなもんだろう。

男性主体の婚活パーティーに切り替えて、パーティーの条件を「料理ができる」とか「○○の趣味を理解できる」とかにすれば、男性はまた集まるだろうし、結婚したくて必死な女性は、それなら私もいける、となって、WinWinな気がするのだが。女性はもう金や学歴などの身の丈に合わないステータスに固執するのはやめて、掴めそうな幸せを待っているのではなくて、自分から探しにいくように変わらないといけない。年収○○の婚活パーティーに参加することは、活動でもなんでもないということを誰かが教えてやらないといけないかもしれない。それは待っているのと何ら変わらない、活動するというのは自分が変わるということと同義だろう。自分が変わらずにパーティーの椅子に座っているだけでは活動でも何でもない。

男性主体のパーティーは前時代には多かったと思うが、女性の参加者が全然いなかった。それは条件が身長とかスリーサイズとか男性の性の欲望を満たす条件が主だったからだろう。過去の失敗をお互いに反省して、幸せな家庭を築くことを主体とした条件下で今また男性主体のパーティーにしてしまえ ば、案外、女性は群がるような気がしている。もてもてナインティナインのお見合い企画は、そういう感じがしていて嫌いではない(というか結構好きだ)。

あと、このNキャスの特集でやっていた親が子の代わりに行う「親同士の集団お見合い」が面白いと思った。誰かがお節介を焼くお見合いという制度は、現代ではなくなってしまったが、この制度の功績は、実は大きかったのではないかと思う。自分自身では気がつかない長所短所もあるだろうし、案外、自分が好きな女性=自分と合う女性、は一致しないものだ。本当に幸せを願ってくれる第三者の介入は、いつの時代も必要なんじゃないかと思わされる。私自身も独身だが、誰かに選んでもらった方が、良いのかもしれない。

土屋 義規
合同会社materialize
代表社員