日本の社会保障はすでに破綻している。これは著者だけではなく、多くの経済学者が指摘する問題で、もはや議論する余地もない。しかし政治的には、これを問題にする党が(野党も含めて)まったくない。消費税の増税に際して、政府は「社会保障の充実にあてる」と約束したが、社会保障の純債務は1500兆円もあり、増税と同時に大幅に社会保障を削減しないと帳尻があわないのだ。
政治が動かないのは、最大の被害者である若者が動かないからだ。今年生まれた赤ん坊は5000万円の借金を負い、その祖父は5000万円の贈り物をもらう。「世代間の助け合い」という名前は美しいが、これは巨大なネズミ講である。民間のネズミ講は犯罪だが、政府の運営する公的年金という名のネズミ講は、白昼公然と行なわれている。
この財政的な幼児虐待を止めるのはきわめて困難だ。もらう側の老人は政治的に強い影響力をもっているのに対して、はらう側の若者は数が少なく、最大の被害者は選挙権さえない。政治家もマスコミも、老人が実権を握っている。社会主義の末期と似たような状況だが、違いはチャウシェスクのような独裁者の代わりに、老人という多数の独裁者が民主的に若者を虐待していることだ。
本書は巨大なフリーライダーである厚生労働省の権限を分割して、社会保障会計をチェックする監査機関をつくることを提唱するが、これも政治家が許さない。日本の政治は「老人の老人による老人のための政治」として完結しているので、これを少数派の若者が民主的な手続きでくつがえすことは、かつての社会主義の崩壊のような「レジーム・チェンジ」がないと無理だろう。
望みがあるとすれば、財政が早く破綻して危機が顕在化することだ。この点で、日銀が150兆円以上の国債を保有して、数十兆円のテールリスクを抱えたのはいいニュースかも知れない。来週の言論アリーナでは、この絶望的な問題を打開する方法を政治経済学的に考える。