近隣外交の立て直し(再論)

松本 徹三

近隣外交は極めて重要な課題だが、現状はうまく行っていない。という事は、状況を好転させる為に何等かの策が必要だという事だ。この事については、2月16日の記事で相当真面目に論じたつもりだが、当然の事ながら、右派の人たちはこういう議論に相当強く反発する。彼等の言い分は簡単明瞭で、要言すれば下記のように読み取れる。

  1. 日本は悪くない。
  2. どこから見ても、相手がタチが悪い。
  3. だからそんな相手に迎合する必要は全くない。
  4. それで関係が悪くなるのなら、そのほうが正しい姿であり、そのままでよい(関係は改善しないほうがむしろ良い)。

という事になると思う。私も、1)から3)までは「その通りかもしれない」とも思うが、4)が大きな間違いなのだ。


そして、この際よく考えてみるべきは、このような考え方は、大戦前の日本の指導者や大衆の考えと、本質的な点で驚く程似ているという事だ。彼等は当時こう考えた。

  1. 日本が満州や中国本土で利権を拡大しようとするのは当然の事で、何も悪い事ではない。これを悪いというのなら、欧米列強は全て悪の権化だという事になる。
  2. にもかかわらず、蒋介石や満州の軍閥は時代が読めず、無用な抵抗をしている。彼等の目を開かせるには、彼我の「力の差」を見せつけるしかない。
  3. 欧米諸国がこれに介入しようとするのは理不尽であり、気にかける必要はない。どうせ彼等は武力介入は出来ず、最終的には既成事実を認めざるを得なくなるだろう。

しかし、結果はどうだったか。蒋介石は屈せず、米英は日本に対する石油の供給を停止する。石油がなければ日本の経済は立ち行かず、自慢の大艦隊も無力化するから、無謀とも言える米英との戦争を覚悟してでも、南方に侵攻せざるを得なくなった。

「ハルノートを突きつけられたのは、戦争を強制されたのと同じ事だ(だから、宣戦を布告したのは米国のほうだ)」と言う人がいるが、これは言い訳にはならない。元はと言えば、日本が米英の意向を無視して中国への圧迫を続けたから起こった事であり、当時の日本の「貪欲さ」と「見通しの甘さ」が全ての原因だった事は、残念ながら議論の余地はない。

「あの戦争はアジア諸国を欧米の植民地主義者から解放する為の正義の戦いだった」と、今でも本気で強弁する人たちがいるのは驚きだ。それなら、欧米諸国の真似をして中国を食い物にしようとなどはせずに、初めから米・英・仏・蘭に宣戦を布告して、東南アジア諸国の独立戦争を支援すれば良かったではないか? 実は、全ては「日本の中国での利権獲得の野心」から始まった事なのに、「あれは反植民地闘争の支援だった」などと臆面もなく言い募るのは、後付けの牽強付会もいいところだ。

勿論、現在の状況は当時とは全く異なる。既に、「世界規模での(国境を意識しない)市場原理主義」がかなりの市民権を得つつあり、経済的メリットを得る為には「軍事力」よりも「技術力」や「資金力」のほうが役に立つという認識が一般化している。「国家主権」「民族自決」「宗教の自由」等の理念もかなり一般化してきているので、この実現の為に軍事力が使われる事も少なくなっている。

中・韓と日本が「歴史認識」問題を巡って対立しているという事は、欧米人にとってはかなり理解し難い事だろう。英国人とフランス人がお互いを尊敬し合っているとはとても思えないが、アングロサクソン系の英国人が「かつてノルマン人がフランスから侵入して我が国を支配した事について、フランス政府は公式に謝罪すべきだ」等と言った事は一度もない。あれほど仲が悪く、何度も戦争を繰り返したドイツとフランスですら、今は殆どの事で共同歩調を取っている。

そもそも隣国同士は、関係が良好であればある程、経済的にも安全保障上でもメリットが大きいのだから、両国とも関係を良好に保つ為に色々な努力をする(我慢もする)のが普通だ。それなのに、現時点で切迫した利害の対立をもたらしているわけでもない「歴史認識」等という問題で、日本と中・韓の関係が険悪になっているのは、一体どういう事なのだろうか? 勿論それにはそれなりの理由がある。

先ず中国については、共産党政権の存在基盤が「中国の領土に侵入してきた日本の帝国主義者たちを打ち破った」事にあるのだから、事ある毎にこれを喧伝する必要があるのは止むを得ないとも言える。その一方で、中国政府のトップレベルにいる人たちは、一党独裁体制がいつかは崩壊するのが「歴史の必然」である事は百も承知している筈だから、どうすればこの時期を少しでも先延ばし出来るかをいつも考えているだろう。当面、「経済破綻の可能性」と「格差に耐えきれなくなった民衆の暴発」を懸念し続けなければならない中国政府としては、何でもよいから外に敵を作って、民衆の注意を外らしたくなるのも当然の事だろう。

しかし、韓国については少し事情が異なり、欧米人には殆ど理解不能だろう。北朝鮮問題という「大きな悲劇を招きかねない切迫した問題」を目の前に抱えているにも関わらず、本来は一体となって事に当たるべき日本と、「歴史問題」等といった「不要不急の問題」で殊更に事を構えている韓国の現状は、殆ど正気の沙汰とは思えない。にもかかわらずこれが現実になっているのは、恐らくは、多くの政治家が、「どんな場合でも反日的な姿勢さえ堅持しておけば、大衆の人気を損なわないのに少しは役立つ」と考えているからだろう。

安倍首相が当初盛んに勇ましい事を言ったので、朴大統領にはこれを牽制する意図もあったのだと思うが、慰安婦問題という「日本人の心の琴線に触れる問題」と結びつけた事も災いし、どう見てもこれは完全に逆効果だった。今は、これまでは韓流ドラマのファンだった人たちまでが、次第に「嫌韓」に傾いてきていている。その事は、もうそろそろ全ての韓国人に分かって貰わねば困る。安倍首相の復古主義的な傾向や右傾化を警戒し批判すべきは、日本人であって外国人ではない。韓国政府やメディアが口汚く罵れば罵る程日本の右派は力を増すというのが皮肉な現実だ。

韓国における現実を理解するには、その背景に「複雑に屈折した民族的な潜在意識」と「国内における右派と左派の大きな乖離」がある事を理解する必要があるが、これを完全に理解するのはかなり難しい。だから、「もう面倒くさいから、何を言われても放っておくしかない」と割り切りたくなる日本人は多いだろう。要するに「スルーする」という事だ。

しかし、現状を放っておけば、米国が心配するように、「気がついてみると、朝鮮半島は丸ごと中国に呑み込まれてしまっていた」という不測の事態も招きかねないから、それで良いとも言い切れない。いや、その事を最も警戒すべきは、本来は当の韓国人の筈なのだから、ここでも奇妙なねじれ現象が起こっていると言える。韓国人が「地政学」というものを少しでも勉強してくれれば、「日韓の連携が何よりも重要(半島国家は海洋国家と連携する方が有利)」という事がすぐに理解される筈なのだが、現状では全くその萌芽も見られないようなのが気掛かりだ。

そろそろ結論を言おう。いつも同じ事ばかり繰り返して申し上げていて恐縮だが、下記が現時点で日本の取るべき道だと私は思う。

1) 「日本は正しい。相手が悪い」などという子供じみた議論をするのはやめる。歴史認識については「村山談話の踏襲」の再確認で決着を付け、これ以上は言及しない。(過去の正当化をどうしてもしたい人たちは、今から50年ぐらい後に試みてみてはどうか。今は止めて頂くのが国益にかなう。)

2) 相手の置かれている立場をよく読み、相手に攻撃の口実を与えたり、刺激したり、挑発したりするような言動は慎む。(それ故、閣僚による靖国神社の公的参拝はやらない。)勿論、相手が調子に乗り、日本を甘く見るようになるような言動も慎む。要するに微妙なバランスが必要なのだ。特に尖閣問題については、この点で極めてデリケートな扱いが求められている。尖閣近辺での中国空軍との偶発的な衝突だけは、何としても防がなければならない。

3) 慰安婦問題については、もうこれ以上は何も言わない。被害者に対しては「アジア女性基金」で丁寧に対応する。韓国の「告げ口外交」が気になるなら、多くのチャンネルを総動員して、世界中の政治家や有識者に対して事実関係と日本の立場を丁寧に説明し、理解と同情を得るように努力する。国としてあらためて謝罪する必要もないし、賠償金を支払う必要もない。

4) 「尖閣諸島」の問題については、「紛争状態」は現実に存在しているのだから、存在しているものを「存在していない」と言い続けるような事はやめ、過去にも何度も相互に確認し合っているように、「現状は凍結し、問題の恒久的な解決については、ずっと先の世代の英知に期待する」と宣言する(これが当面の「偶発的軍事衝突」の可能性を回避する最良の方法だ)。但し、日本が実効支配している現状については些かの変更も許容しない方針を堅持し、あらゆる事態に慎重且つ峻厳に対処する。

5) 経済交流や文化交流については、民間と議連等の努力に委ね、出来る限りの拡大を図る(中国に関連しては、福田康夫さんの出番を作る事も一案かもしれない)。但し、相手が乗ってこないのなら、無理押しはしない。中国についてはともかく、韓国については、「一定期間は経済・文化の関係が極度に冷却しても止むを得ない」と割り切ってしまうのも一案だろう。これによって日本が経済的に失うものは当面殆どない。そして、「何を言っても日本側が無関心な状態」が数年も続けば、韓国人の多くも、次第に常識的で現実的な思考に目覚めていくだろう。

6) 上記と並行して、中・韓両国に対して「ヘイトスピーチの相互禁止」を呼びかける。具体的には、「お互いに考えの違いはあろうが、両国民が憎み合うのではなく、理解し合おうとする事は常に大切だ。両国政府は、このような考えに基づいて自らの言動を律すると共に、これに逆行するような国民の行為を取り締まるべき」という提案をする事だ(韓国と北朝鮮の間では、一時的ではあれしばしばそういう合意がなされているのだから、これに倣えば良い)。重要なのは、たとえ相手が乗らなくても、日本だけは一方的に粛々とこの原則を実行する事。

7) 安全保障の為の自衛力強化(集団的自衛権の確立も含む)は、善隣外交とは何等矛盾しない故、米国とのこれまで以上の緊密な連携の下に、これを粛々と進める。また、もう一つの隣国「ロシア」との「微妙で親密な関係」作りにも注力し、覇権主義への道を歩み出した中国への牽制として、必要に応じて何時でもこのカードを使えるようにしておく事が望ましい(但し、ウクライナ問題については、「如何なる場合も、武力による一方的な現状の変更には断固として反対する」という原則論は堅持する)。

上記の全ては、安倍首相がやる気になれば簡単に出来る事だ。長州軍閥の流れをひく地元の一部の有権者は失望するかもしれないが、彼等には他に投票する人はいないだろうから、これで多くの票が他党に食われるというような事にはならないだろう。米国政府は安倍さんを見直すだろうし、そうなると長期安定政権の基盤が強化される。私には、安倍さんが本当に国の事を考えている限りは、これをやらない理由は全くないような気がしてならない。