出版業界で食うというロックな生き方①「売れてないな」と思った本がベストテンに入る時代

常見 陽平

先日、下北沢B&Bで独演会を行った。『「できる人」という幻想』(NHK出版新書)の出版、および私の生誕40周年を記念した「演説会」だった。GWなのにも関わらず、超満員札止めだった。来て頂いた皆さんに感謝。その時のログから、出版業界の現状についての部分を、加筆・修正しつつ、やばい部分をカットしつつ、再構成したダイジェスト版を何回かにわけてお届けしよう。


出版業界の厳しい現状と、そこで生きるということがいかにロックな生き方かというのがわかるかと思う。

■ベストテン入りする本が売れていないという末期症状



ここに集いし学生・労働者諸君!出版業界の現状について、日々感じていることを、感じているままに伝えることにしよう。

先月、『最新版 就活難民にならないための大学生活30のルール』(主婦の友社)という本をリリースした。大学生活のガイド本だ。「最新版」とあるように、以前出た本のリニューアル版だ。

2010年にリリースした前作は、大学教職員、学生に絶賛された。おかげ様でロングセラーとなり、刷りを重ね、7刷2万部となった。いまどきの出版業界から言うならば、売れている本と言っていい。部数というのは、たまに話題作りを兼ねて、出版社が大量に刷ることがあるわけだが、増刷回数というのは、それだけ確実に売れたというわけだ。在庫も少なくなってきたのだが、そろそろ最新版ということで、データやファクト、学生の体験談の総入れ替えなどを行った最新版をリリースした。

率直に言うならば、出足は想定よりもかなり鈍かった。「売れてないかも」と認識した次第だ。

もちろん、就職をめぐる状況が改善しているなどの要因はある。前作がよく売れたので、もう既に持っているという人も多数いただろう。

厳しい状況であるが故に、私は著者として責任を感じていた。

内容は充実していると自負しているので、ぜひ手にとって頂きたい。私の生活が、かかっている。

ところが、である。驚いたことに、この本が大学生協の九州・中四国地区のランキングで人文部門である週の週間ベストテンに入ったのだ。最高7位だった。今でも19位である。

だから、売れる、売れないで言うと、「相対的」には「売れている」ということになる。しかし、そもそもの売れる絶対量が減っているとも言える。

まだまだこれからなのだが、新刊期間が終わった後、撤去されないことを祈っている。そう、新刊期間でジャッジされるので、正直、苦しい。

ここでは具体的な数字を書かないが、大学生協の書籍担当者の方から聞いた速報値によると、この春の書籍の売上の対前年比はなかなか厳しい状況になっている(あくまで速報値なのでまだ判断できないが)。

もちろん、大学生協ではなく、いまや日本一の書籍取扱量となったTSUTAYAなどで買っているのかもしれない。あるいは、電子書籍に流れているかもしれない。

ただ、どうやら大学生が本格的に本を読まない時代になったのではないか、ネットなどのコンテンツに流れているのではないか、他のことにお金や時間を使う時代になったのではないかとも言えないだろうか。

ましてや、これまで「上位校の学生ほど本を買う」と言われていた中、その法則も崩れつつある状態が見え隠れする(このあたりは、データを掲載できないが、行間を読んで欲しい)。

若者の書籍離れと言われるが、お金と時間の若者離れが激しく進んでいるとも言える。

最近、講演会にきた学生たちにも質問してみたが、「学生生活が忙しくなっている」というのもある。そう、講義の出席がマストになりつつあるし、アルバイトにサークルに、講義の宿題などをして、スマホでメッセージのやりとりをしていると、時間はない。

なお、4月は教科書販売シーズンだが、最近では学生のお財布の事情、理解度、あるいは個人のこだわりなどから、教科書は売らず、あえて自分の作成したレジュメが教科書がわりというケースも多いようだ(あくまでヒアリングベースの話であり、一般化した話ではないが)。

「出版不況」なる言葉が生まれて、かなりの時間が経つが、それが慢性化している状態というのは「不況」とは言えない。不況というのは、景気の循環などが存在することを示している言葉である。認めたくない事実だが、出版の、少なくとも一部のカテゴリはもはや、「不況」ではなく、「衰退産業」となっていないだろうか。

これが現実だ。

■著者は、編集者は、滾(たぎ)っているか?
一方、自戒も込めて言うならば、出版業界に関わる人間は、今、大ブレークしている新日本プロレスの中邑真輔風に言うならば、滾(たぎ)っているのかと言いたくなる瞬間がある。

いや、書店員さんは頑張っている。この大変な時代に、なんとか売ろうと、一生懸命やっている。

著者や、編集者は、滾っているだろうか?

私のニックネームといえば「若き老害」だが、もう1つ「イベント番長」というものがある。おかげ様で、私の著者としてのトークイベントはお客さんが入るし、ご好評頂いている。私はイベントに、魂をかけている。超満員なのにも関わらず、赤字になることもある。それだけ、手間暇もお金もかけているからだ。


3月29日にゲンロンカフェで行ったイベントは85名を動員し、大盛況だった。このイベントのために、CMも煽り映像も作ったし、物流のトラブルで届かなかったもののケミカルライトやクラッカーまで用意し、歌やダンスまで練習した。

プロとしてのこだわりだし、いじらしい言い方をするならば、私なりの本を売るための努力である。

世の中の著者や編集者は、どうだろうか。おなじみの仲間でゆるい話をして本を売りつけて終わる。ぬるいイベントが多くないだろうか。

イベントだけではない。そもそもの本が滾っていなければ意味がない。これは自戒を込めて、言うことにしよう。ただでさえ、出版業界は無理ゲー、クソゲー化しているのにも関わらず、そこで勝負する気概というのが、あるのだろうか。

先日、友人が選挙で当選した。挨拶に行った時、彼がポツリと言っていたのだが、もし、自分が良いと思うビジョンや政策を掲げる政治家がいたとしたならば、彼は応援する側にまわったかもしれない、と。しかし、そういう人はいなかった。だから、自分がやろう、と。政治家とはよく権力の象徴とされるが、それはそれで大変な仕事である。命と魂をかけている(すべての政治家がそうではないことは言うまでもない)。

私はその話を聞いて、猛反省した。

物書きであるということは、自分でしか書けないことを書いてこそ、だ。

もし、他の誰かが書いている素晴らしいアウトプットがあるなら、そういう本の書評をひたすら書くという生き方だってあるだろう。いや、その方が楽だし、効果的だ。みんな喜んでくれるし、自分だって悪い気がしないはずだ。

物書きであるということは、他の誰でもない自分でしかできないことを伝える、これが仕事である。もちろん、物書きのあり方というのは色々なのだけど。

滾ってないといけないわけだ。

つづく

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