集団的自衛権の憲法解釈変更の意図を考える

アゴラ編集部

先日5月13日に、石井裕也監督の映画『ぼくたちの家族』のPRのため、主演の妻夫木聡さんが、日本外国特派員協会が主催する外国人記者向けの記者会見に出ました。その場で、ある記者から「最近、家族をテーマにした作品に出続けているのは意図的に選んでいるのか」という質問があり、妻夫木さんが質問からズレた答えをしてその記者から「ダメ出し」をもらったらしい。妻夫木さんは「すみません」と謝罪し、質問の内容に的確に答え直した、というニュースを思い出したのは、15日の夕方に開かれた安倍首相の「集団的自衛権」に関する記者会見を見ていたときでした。


これについては各マスメディアがいろんなことを書いているし、ネット上にも多種多様な意見があるんだが、気になったのは、安倍首相に対する最初の記者の質問「これまでの政権が踏襲してきた憲法解釈を一政権が変えていいのか」に対する答えです。「立憲主義に則るのは当然」としつつ、プレゼンのパネル絵を示しながら「この船に乗っている子どもたち……」を守ることができないことを憲法が規定しているとは思えない、と言った。どこか、あいまいに言葉を濁していた印象があります。揚げ足を取るわけじゃないんだが、質問の答えになっていないわけで、妻夫木さんに「ダメ出し」した記者なら「今の答えはあまりよくない」と指摘したことでしょう。

もちろん、安倍首相はこの記者会見の中で、日本国憲法が定める平和主義の維持を強調しつつ、閣議や与党との協議、さらに国会での議論と国民への丁寧な説明を経て、法制局にも計って集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を慎重に進める、と明言したわけです。当方は、ある政権が歴代内閣が踏襲してきた解釈を変えることができるのは当然、と考えるんだが、ただ、国家が子どもたちや家族の生命を守る、という「情緒的な表現」を持ち出してきたときは要注意とも感じる。戦前の日中戦争の過程や最近ではクリミアの例を持ち出すまでもなく、国家が戦争を起こす際の理由の多くは在外国民や権益の「保護」だからです。

米国の外交軍事政策的な流れは、すでにネオモンロー主義的な「店仕舞い」の様相を呈しています。「世界の警察」を自負していたころの姿はなく、世界中でプレゼンスを減退させている。また、重要な市場である中国との関係もあまり刺激したくない、といった事情もあり、東アジアでの軍事的圧力を日本に肩代わりさせたがっている気配があります。

安倍政権が集団的自衛権のこれまでの「縛り」の一部を解きほぐそうとしているのは、もちろん一義的には記者会見で説明していた「事例」に対応することもあるのかもしれませんが、こうした米国からの要請もあるんだと思います。ただ、これまで在外邦人を米軍が救助した事例はないようですし、自衛隊のPKO部隊での「駆けつけ警護」も事例の想定が難しいようです。

また、安倍政権が掲げている憲法改正についても、憲法解釈を変更したという前例を作ることで、憲法改正反対派や国民の拒絶反応を和らげる効果も期待しているんだろうな、と思います。安倍首相は、日本国憲法はどんな場合の軍事行動も容認しているとは思わない、と歴代政権の解釈を踏襲しつつ、日本と日本国民に重大な危険が差し迫ったときの「限定的」な武力行使は可能、という部分だけ解釈の変更を進める、と言っています。この前提である日本国憲法の内容に変更が加えられた場合、前段の解釈も変更されるのはごく当然の流れでしょう。

見えない道場本舗
「選択肢を賛成2つ、反対1つにすれば、前者が増える」「中間の選択肢を用意する」…世論調査に関するこの記事がぶっちゃけすぎ(朝日新聞)


Human Evolution ‘Definitely Not’ Over, Expert Says
livescience
米国スミソニアン博物館の研究者、Briana Pobinerという人類学者が、人類は進化し続ける、と言ったという記事です。ヒトの脳の容量は女性の産道の大きさに規定されているんだが、帝王切開により脳の大きさに対する制限が解除されることも影響するらしい。実際、中国の新生児の46%が帝王切開で生まれている、と言っています。ウイルスによる遺伝子への一種の「刺激」が進化に寄与する、という学説からは、温暖化で極地の氷が溶け、そこから未知のウイルスが蘇ってヒトの進化に影響を与えるのでは、という話を紹介。さらに、異性への好みの変化による「性選択」もヒトをより進化させる圧力になり得る、と言っています。しかし、我々はいったいどういう方向へ「進化」しているんでしょうか。

Take Notes by Hand for Better Long-Term Comprehension
psychologicalscience
長期的な記憶のためには、キーボードで入力するより、手書きのメモのほうがより効果的、という話です。ちょっと考えれば当然のような気もするんだが、実際に学生を使い、TEDの講演を見せて実験してみたらしい。そうすると、講演内容をより理解していたのは手書きメモを取っていた学生のほうだった、というわけです。個人的には、キーボードは頭の中の考えを「出力」することに適しているような気がする。手書きはすでにもどかしい。逆に何かを頭の中へ「入力」するためには、手書きのほうがいいんでしょう。

Can making your wine listen to music improve its flavour?
the guardian
味覚の感覚、というのは個人差もあり、他者がどう感じているのか、まったくわからない、ということで一種のブラックボックスです。『ミシュラン』なんかのグルメの関連情報にしても「美味しい」と誰かが判断して初めてそれを「美味い」と思うような人もたくさんいる。この記事では、ワインに音楽を聴かせると熟成される、という「バイオダイナミクス」なる「科学」を紹介しているんだが、日本でもモーツァルトを聴かせて作る焼酎とか、牛に音楽を聴かせるとか、同じような亜流が世界中にあります。この神戸大学の津田明彦准教授らの研究によれば、音楽によって物質の分子配列が変わるらしい。しかし、これってどうなんでしょう。

Refreshing rationality: Why NOT believing in conspiracies is a sure sign of mental retardation
Natural News
いわゆる「陰謀論」というものがあります。ユダヤ人謀略説、とか、大地震は「地震兵器」が引き起こした、とか。荒唐無稽な陰謀論はともかく、陰謀を巡らす人々、というのは実際にいます。この記事では「陰謀論」と「陰謀」の違いを考えている。この違い、なかなか難しい。中には単なる「陰謀論」と片付けられないことも多い。日本のある歯科大では、入学してきた学生に「日本で水道水にフッ素を混入させないのは歯磨き粉業界や歯科業界の『陰謀』」と教えているらしいんだが、これについても諸説紛々。簡単に「陰謀論」と片付けることもフッ素混入を主張する人を笑うこともできないようです。


アゴラ編集部:石田 雅彦