福島除染、年5mSv目標を新提案・中西準子氏【言論アリーナ・本記】

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GEPR編集部 (GEPR版

福島原発事故の後始末で、年1mSv(ミリシーベルト)までの除染を目標にしたために、手間と時間がかかり、福島県東部の住民の帰還が遅れている。

どのように問題を解決すればいいのか。日本の環境リスク研究の第一人者である中西準子博士(産業技術総合研究所フェロー)に、アゴラ研究所の運営するウェブテレビ番組「言論アリーナ」に出演いただき、池田信夫アゴラ研究所所長との対談を行った。

放射線のリスクを科学的に考える–反公害運動50年の歴史から


言論アリーナ要旨「(上)除染目標は年5mSvに
(中)「絶対反対」の政治運動に疑問
(下)除染対策でコストと効果の分析を


中西氏は、福島の除染の目標を、追加で年間5mSvとするのが妥当と主張。さらに政府が公表する推計被ばく量が過大に評価されていることの是正を求めた。さらに冷静なリスク評価、コストの計算によって、問題を冷静にとらえることを訴えた。

なぜ5mSvを主張したか

中西氏は日本の環境リスク分析を1960年代から先駆的に行い、反公害運動を科学者として支援した。福島原発事故では、原子力発電には懐疑的な姿勢を示すものの、福島の放射線リスクについての検証を進め、積極的に発言している。(著書『原発事故と放射線のリスク学』など)

中西氏は、5mSvの新提案では、健康影響、除染費用、除染の限界などさまざまな要素を考慮したという。そして生涯の追加被ばく量を、健康影響の出始める可能性が指摘される100mSvを超えないことを考えた。「リスクゼロではないが、他の化学物質との比較で、許容可能かつ現実的な数値」としている。

現在、政府は除染目標を被ばく量年20mSvとする一方、長期的には1mSvと表明。しかしその期間を明示しなかった。そして各自治体が自主的に年1mSvまで除染を始めたことを、2012年の民主党政権時代に追認してしまった。国としての除染目標が、あいまいな状況になっている。

政府が全費用を持つ福島県浜通りの除染特別地域には、事故前に約9万人の人が住んでいた。国の当初計画通りに行っても、コストが一人当たり5000万円かかる計算になるという。また同地域全体では2兆円。仮に年1mSvにするとなると、どのくらい費用がかかるか分からない。「いくら何でもそれは、社会的に許容することは難しい」という。

「一つのリスクを減らすと他のリスクが高まる『リスク・トレードオフ』という現象が起こりがち。今の福島では、不可能な除染による費用の増加、帰還の遅れなど、放射線のリスクを下げようとして、他のリスクを増やした状況になっている」と指摘した。

また、屋外で計測した放射線量(空間線量)で政府は被ばく量を推計、政策を立てている。しかし、実際に住民が影響を受ける実効線量はかなり異なると指摘した。政府の数値は過大に示されており、正確な被ばく量に基づく政策の立案を、中西氏は政府に求めた。

国民が正確な情報に基づき、自分の意思で決断を

中西氏は、下水道政策の見直し、化学物質の管理などで、政策提言を重ね、日本の政策を合理的な方向に変えてきた実績がある。ただし、それは政策当局者の主張を受け止めた上で、合理的な提案をすることによって受け入れられたという。

「絶対反対の主張を政治的な運動体は好む。しかし現実をなかなか動かさない。反対だけでは、何も生まれない」。過去の反公害運動では「ファクト(科学的事実)が私たちの武器だった。ムーディッシュ(雰囲気的)なものではいけないと常に考えていた」そうだ。

また原発事故後、原子力の反対運動と放射線リスクの問題が同時に語られ、感情が先行して、合理的な政策検討を政府が行わなかったことを指摘した。「誰もが善人になり、除染の現状がおかしいことを言いださない。責任から逃げているようだ」と述べた。

「あらゆるリスクについて、国民の一人、自分の意思で、納得の上で、物事を議論し、調整し、選択するフェーズにきていると思う。この放射線をめぐる問題を乗り越えることで、日本にリスク分析が定着することを期待したい」としている。

「リスクゼロというのはなかなか達成できない。安全や危険と二項対立ではなく、どのくらいのリスクなら許容でき、全体としてのリスクを最小化する前向きの発想をすること」。これがリスクを考える際に重要なことだと述べた。

原子力をめぐる議論は、感情が先行しがちだ。福島の放射能対策の問題も、科学的な事実検証よりも先に、原発の賛否の問題によって、結論がゆがめられてしまう。さらに安全か、危険かの単純な答えを求める人が多い。

リスクを分析し、その中で最大幸福を、社会のステークホルダーが協力しながら獲得する。中西氏が研究と環境保全運動の経験の中から得たリスクに向き合う知恵を今こそ、この問題に活用すべきではないだろうか。

中西氏は、その経歴から、社会の不正義と戦ってきた「闘士」というイメージがあった。その業績にもかかわらず、東大で約20年間助手のまま留め置かれるなど、人事上の不当な扱いを受けたが、研究活動を続けた。最終的には東大工学系で最初の女性教授になり、横浜国大教授などを歴任した。

実際に話すと、温和で物静かな女性だった。社会を変える勇気は、勇ましい言辞やパフォーマンスではなく、静かな思索と持続する意思と結びつくと、筆者は感じた。

(ジャーナリスト・石井孝明)