普通の人の常識の目で見た東電「全員撤退」問題の真相

渡邉 斉己

菅元首相は、9月1日のブログで、「東電撤退問題」報道について次のように主張しています。

「3月15日の午前3時ごろ東電撤退について、相談したいと言って来たのは海江田経産大臣」。「海江田大臣は『わたしは、そのときは福島第一原発の全員の退避の申し出だと理解した』と記述(海江田ノートp58~59)」している。また、「他のメンバーも『現場から撤退したいという趣旨』と理解」している。

「私自身、東電が撤退又は退避を検討したことがおかしいとは思っていない」。しかし、原発事故では「大量の放射性物質の放出が続き、東日本が壊滅する可能性が高かった」ので、「15日早朝清水社長を呼んで『撤退はあり得ない』と言った。その後、5時半ごろ東電本店に行って、『何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して見過ごすことはできない』と訴えた」。

相変わらず、自分が「15日早朝清水社長を呼んで『撤退はあり得ない』と言った」とか、東電本店での自分の発言についても、「撤退して(事故を=筆者)見過ごすことはできない」と訴えただけ、などと曖昧な言い方で自己弁護していますね。


すでに各種調査で明らかになっていることですが、東電本部は、3月14日夜の吉田所長の報告を受けて、「各号機のプラント制御に必要な『人員のみを残し』、その余の者を福島第一原発の敷地外に退避させる」ことについて「認識を共有」していました。清水社長は武藤副社長よりその報告を受けていました。(『政府事故調』p202~204)

従って、清水社長が海江田経産大臣、枝野官房長官に電話をかけ、退避について了承を得ようとした時、全員撤退と言うはずがありません。しかし、海江田経産大臣は「全員の退避の申し出だと理解した」といいます。ただし、海江田氏は2014年8月19日の記者会見で「私は(経産相当時に)撤退ではなく退避という言葉を聞いた。撤退という言葉がどこから出てきたのかは今となってはつまびらかではない」と言っていますから、氏自身「早とちり」の自覚を持っているのかもしれません。

まあ、常識的に考えれば、清水社長の「退避の了承を求める言葉」を「全員撤退」と受け取るほうがおかしいと私は思います。もし、そのように聞いたのなら、なぜ「全員撤退ですか?」と問い正さなかったのか?政府報告書は「この時、清水社長は『プラント制御に必要な人員を残す』旨を明示しなかった」と言っていますが、問い正しさえしていれば、誤解はすぐに解けたはずです。実際、枝野官房長官は「仮眠中の菅総理を起こす少し前に、吉田所長の意向を確認し、残留して頑張る意向であることを確認」しています。

にもかかわらず、海江田氏をはじめとする官邸のメンバーは、どういうわけか清水社長の電話を「全員撤退」と受けとめ、菅首相にその旨伝えた。菅首相は「即座に、撤退は認められない」と言った。そこで、同日4時頃、菅首相は官邸に清水社長を官邸に呼んで「福島第一原発から撤退するつもりであるのか尋ねた」。清水社長は「そんなことは考えていません」と明確に否定した。

これで、官邸の「全員撤退」の誤解は解けたはずです。にもかかわらず、菅首相は、15日早朝、東電本店に設置された統合対策本部を訪れた際、次のような言葉を、怒りにまかせて喚き散らしたというのです。

「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ。撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」。

この菅首相の発言は、翌日16日の新聞に報じられました。当然のことながら、これは、「福一の現場職員が事故対応をやめて逃げようとしたのを菅首相が止めた」言葉として報じられました。私は、この日のブログに「東電が撤退姿勢を見せるはずもないわけで、こうした非常事態には、トップは専門家の奮闘を期待しそれを激励するのが本当ではないでしょうか」と記しました。それが当時の私の「常識的な」判断でした。

ところが、それからしばらくたった2011年9月8日、「枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った」というニュースが報じられました。

私は、もしこれが事実なら、あるいは「東電本社は、事故対応に見通しを立てることができず」、そこで、「作業員の安全を図るため政府に撤退を申し出たのかもしれない」と思い、翌日のブログにそう記しました。その頃、「自衛隊と米軍にその後の対応を委ねる構えだった」との報道もなされていましたので・・・(毎日新聞 3月18日(金)2時33分配信 )」。

この日の私のブログのまとめは、「部下を殺すことに責任を取りたくなかった東電本社。一方、現場を放棄することなく「特攻」志願者を募った現場指揮官、と言う図式。従って「こうした東電本社の無責任な態度に、菅首相が「撤退などあり得ない」と幹部に厳命したことは、首相としては当然のこと」というものでした。

ところが、その後の調査で、菅首相は、先に紹介した通り、東電に「全員撤退」の意思がないことを知っていたことが明らかとなりました。ということは、東電本社における氏の言葉は、東電の全面撤退を押し止めるためのものではなく、単に東電本社の職員に対して”全社員が一丸となって命がけで事故対応に当たれ”と「叱咤激励」するためのものだった(実際は怒りにまかせて喚き散らした?)ということになります(このことを私は2012年8月のKH氏との論争で知った)。

ではなぜ、「撤退などありえない。・・・逃げてみたって逃げ切れないぞ」などと、あたかも福一の現場職員が全員撤退しようとしたかのような発言をしたのか。それはおそらく、”イラ菅”と評される氏の性格が然らしめたもので、この時氏は、東電に対する不信感と怒りの感情に支配されていて、それが、東電の幹部を目の前にして、先に「全面撤退」を聞いた時の怒りが蘇り、それが件の喚き散らす発言になったものと思われます。

そして、これが事実なら、次に問題となるのは、この氏の発言が、翌日の新聞に福島第一の現場職員が事故対応をやめて逃げようとしたのを菅首相が止めたと誤って報じられたことについて、なぜ氏は、”それは誤解である”と訂正しなかったか、ということになります。実際福一の現場職員は逃げておらず、菅首相もそれを知っていたのですから、それを訂正しなかったということは、”福一の現場職員を踏み台に自分だけヒーローになろうとした”と疑われても仕方ありません。

この事実関係について、菅氏は、平成23年4月18日、25日、5月2日の総理自身の国会における「撤退問題を廻る菅首相と清水社長とのやりとり」に関する答弁で、清水社長を官邸に呼んで尋ねたら「そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだと言うことを言われました。(4月18日 参議院予算委員会)」と言っています。

しかし、これが、平成23年9月の新聞社のインタビューでは、「そして、東電の清水正孝社長を呼んだ。撤退しないのかするのかはっきりしない」と、先の証言とは違った言い方をしています。

また、平成24年5月28日の国会の事故調査委員会での関連答弁では、清水社長を官邸に呼んで確認した内容について、「私が撤退はありませんよと言ったときに、そんなことは言っていないとか、そんなことを私は申し上げたつもりはありませんとかという、そういう反論が一切なくてそのまま受け入れられたものですから、そのまま受け入れられたということを国会で申し上げたことを、何か清水社長の方から撤退はないと言ったということに少しこの話が変わっておりますが、そういうことではありません」と言っています。

しかし、今日までの各種の調査結果を総合すれば、菅首相らが、当初、東電が「全面撤退」しようとしていると思い込んだのは官邸の誤解であり、菅氏は、そのことを清水社長に問いただして確認していた、つまり、菅首相は、東電本部に乗り込む前に、東電には全面撤退の意思がないことを知っていたのです。にもかかわらず、その後菅氏らは、この事実を曖昧にぼかし始めた。

その意図は、もしこの事実が明らかになれば、先に指摘したように、マスコミが「東電の全面撤退を菅首相が止めた」と誤って報じたのを菅首相が訂正しなかったのは、「命がけで事故収束に当たっている福一の現場職員を踏み台に自分だけヒーローになろうとした行為」と批判される恐れがあった。だから、清水社長が撤退を否定しなかったと言って、東電本部での自分の発言を、清水社長の所為にしようとした、そのような解釈が可能となります。

冒頭紹介した菅氏の言葉は、こうした氏の戦略に沿ったものではないか。それは「全員撤退」と官邸に誤解させたのは、東電の「黒幕的経営」を象徴する清水社長であって、氏は、「全員撤退」と受け止めた官邸の誤解を払拭できなかった。東電本社における菅首相の発言は、そうした状況を踏まえてなされたもので、逃げ腰の東電に「決死の覚悟」を迫るものだった、そう菅氏は弁明しているのです。

しかし、こうした弁明は世間に通用するでしょうか。確かに、官邸が「全員撤退」と誤解したのは事実です。しかし、この誤解は、菅首相が清水社長を官邸に呼んで問いただした時に、清水社長が「撤退など考えていません」と答えたことで氷解したはずです。

このことについて、その場にいた斑目原子力安全委員長は、次のように証言しています。
「それまで、私は政治家に全員撤退と聞かされているわけです。・・・しかし、清水さんが部屋に入ってきて”撤退など考えていません”と言ったのには、本当にびっくりしました。かくっときて、次にやっぱり撤退ではなかったのか、と思いました。ほんと撤退などあり得ないことですからね」(『死の淵を見た男』p260)

また、菅首相が東電本店で「撤退などありえない!命がけでやれ、逃げてみたって逃げ切れないぞ!」と言う趣旨の発言をしたことについて、菅氏自身は次のように説明しています。

「逃げ切れないぞ、というのは、そういう意味ではありません。日本が崩壊するんだから、日本自身が逃げられないって言うことなんです」「私は、総理大臣として言っているのであって、別に福島の現場の人に対して言っているのではない。あそこで言ったのは、あくまで事故収束を諦めたらダメだ。他の国に任せることはできない、つまり日本人が逃げ切れないってことなんです。誰が悪いなんて、私は言っていない」(前掲書p265)

お判りでしょうか。この「全員撤退」問題の真相、それは、菅首相は、現場が撤退しないことは事前の清水社長の説明で知っていた。なぜ、東電本店で「撤退などありえない!命がけでやれ、逃げてみたって逃げ切れないぞ!」と喚いたかと言えば、それは、つい”カッ”となって喚いただけということ。それがマスコミに菅首相が東電の全面撤退を阻止したと誤って報じられた。しかし、官邸はそれを訂正しなかった・・・。

おそらくそれは、東電本店で”カッ”となって我を忘れて喚き散らした自らの醜態をカムフラージュするため、マスコミがそれを「逃げようとする東電を菅首相が止めた」と誤って報じたことを奇貨として、だんまりを決め込んだ結果なのです。しかし、踏み台にされた者は黙っていない。吉田調書はそれを物語っているわけですが、菅元首相はこれに対して、それは清水社長が「撤退について否定しなかった」ためだと、その責任を清水社長に転嫁しようとしているのです。

これが虚偽の証言にならなければよろしいですが。
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