全身を布で覆うイスラムの女たち --- 長谷川 良

アゴラ

気候と服装の関係からいえば、ブルカ(イスラム女性の全身を覆う服装)は灼熱のアラブにあった服装といわれているが ここでは聖書学的観点からブルカについて考えてみた。

欧州の街角を歩いていると、全身を布で覆って歩くイスラムの女性に出くわすことがある。行き交う人々はチラッとその女性を目で追う。イスラムの女性はそのような視線を浴びながら歩く。イスラムの女性の服装問題はキリスト教社会の欧州では時たま、メディアの話題となってきた。極右派政党は「公共の場でのブルカ着用を全面廃止すべきだ」と要求している。特に、全身を布で覆う姿は西側社会では異様な姿として受け取られていることは間違いない。


当方は全身を布で覆うイスラムの女性の姿をみて、大げさな表現をすれば、女性の歴史を見る思いがする。人類の始祖アダムとエバは神の戒めを破って「食べるな」といわれた「善悪を知る木の実」を食べた。その後、戒めを破ったアダムとアバはエデンの園から追放された。神はアダムに対しては「汗を流して日々の糧を得なければならない」と警告し、エバに対しては「産みの苦しみ」を与えている。

ところで、「善悪の木の実」を最初に食べたのはエバであり、その罪をエバはアダムに伝えたというのがキリスト教の「原罪」の発生ルートだ。現代社会によく見られるように、アダムがエバを誘惑したのではない。そのためというか、エバは歴史を通じてその罪の償いの道を歩まされてきた。肌を隠し、身を慎んだのもそのためだった。

イスラムの女性は意識するかしないかは別として、エバの罪を誘発した肢体を隠すことで罪の繁殖を防いできた。夫以外の男性にその肢体を見せないことが義務つけられたのだ。

キリスト教会でも久しく女性蔑視の歴史が続いた。「教会の女性像」の確立に中心的役割を果たした人物は古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)だ。彼は「女が男のために子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟いている。そこには明確に男尊女卑の思想が流れている。現アルジェリア出身のアウグスティヌスの思想は「肉体と女性」蔑視が根底に流れているといわれる所以だ。イタリア人法王レオ1世(390~461年)は「罪なく子供を産んだ女はいない」と主張し、女性が性関係を持ち、子供を産むことで原罪が継承されてきたと指摘している。

女性蔑視の思想は中世時代に入ると、「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225~1274年)に一層明確になる。アクィナスは「女の創造は自然界の失策だ」と言い切っている。現代のフェミニストが聞けば、真っ青になるような暴言だろう。この時代になると、カトリック教会の女性像には女性蔑視が定着する。魔女狩りもその表れだろう。女に悪魔が憑いたというわけだ(「なぜ、教会は女性を軽視するか」2013年3月4日参考)。

しかし、1960年代後半から起きた女性解放運動ウーマンリブに大きな影響を与えたフランス実存主義者シモーヌ・ボーヴォワールはその著書「第2の性」の中で、「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と主張して、世界の女性の解放をアピールした。西側社会では女性たちの人権と自由は次第に拡大し、今では肌を出すことも躊躇しなくなった。メディアもそれを促す。女性の肌は商品化してきた。ここにきて、男性も裸を出すのを躊躇しなくなった。世は男女とも裸で溢れている(「男たちがその『肉体』を披露する時」2013年8月23日参考)。

裸の社会に突然、全身を布で覆ったイスラムの女性が現れば、「可笑しい」「女性の権利の蹂躙」といった批判が飛び出すのは当然かもしれない。西側社会では決して自分たちの「裸の文化」が可笑しいとは考えず、肌を隠す文化が前世紀的な伝統と揶揄する。

旧約聖書の「創世記」を読むと、アダムとエバも罪を犯さなければ、「裸でいても恥ずかしくなかった」(創世記第2章25節)という。罪を犯した後、裸を恥ずかしく感じたというのだ。全身を布で覆うイスラムの女性は罪を犯したエバを継承した女性たちの歴史を垣間見せているといえる。ちなみに、西側の「裸の文化」は、エバが天使長ルーシェル(蛇)に誘惑されたような状況を再現している。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。