通貨(つうか)とは、流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された決済のための価値交換媒体。(Wikiより)
紙幣という「紙切れ」が北米では財布の中にせいぜい数十ドル(数千円)しか入っていないという人は大変多く、預金が銀行にあり、それをデビットカードなりクレジットカードなりで紙幣を介さない形で使う人が大半であります。しかし、基本は紙幣があろうがなかろうがその国の通貨をベースに計算されたお金が銀行ないし財布に入っています。
「紙切れ」になったのは持ち運びに便利ということに他なりません。物々交換の時代は交換するモノをお互いに持ちよらなくてはならず、江戸時代より前は米や野菜がそのお金のようなものでした。
欧米では金(ゴールド)が珍重されますが、重く保存も大変です。紙幣、あるいは「プラスティック」(クレジットカードや銀行カードを昔、そう総称しました)はそういう意味で大きな改善であったわけです。
私が海外に出かけ始めた80年代初頭、日本でドル現金を多少両替し、あとはトラベラーズチェックなるものをごっそり持って行きました。今の人はこの旅行小切手なるものの存在を知らないかもしれません。クレジットカードは「インターナショナル版」なるものがぽつぽつ出始めたころです。この数十年だけ見てもいかに世の中でお金が地球上を自由に飛び回っているか、そしてすべての人にとって基軸通貨なるドルが便利であるか、わかって頂けるでしょう。
83年ごろソ連でドルショップなるものがありました。そこに行けば西欧のものが買えるのです。ソ連の敵、アメリカの通貨だけが使えるドルショップがモスクワを始めあちこちに存在していました。あるいは当時、ポーランドでは強制両替制度があり、滞在期間中一日当たり何十ドルか(金額は忘れました)ポーランドの紙幣、ズロッチに交換しなくてはいけませんでした。ポーランドの外貨取得のためです。ところが私にとっては使うところが全くなく、出国時には札束(3、4センチぐらいありました)となってしまうのですが、原則紙幣の海外持ち出しは禁止。ただ、うまく持ち出し、最終的にオーストリアのウィーンであり得ないぐらい酷い為替レートでドルに換えた記憶があります。
つまり、基軸通貨ドルというのは実に便利な存在であり、特に新興国では自国通貨よりもドルというのは常識で、一昔前は南米各国やメキシコでも非常にありがたがられたものです。
このドルは何気なく全知全能の神のようなパワーを持ったお金のように思えますが、アメリカ政府が一株も所有していない連邦準備銀行が発行し、世界経済の血液となっているのです(1ドル紙幣にはプロビデンスの目が描かれてあり、「神の全能の目(All seeing eye of God)」ということになっていますが)。
アメリカにしてみれば地球上の血液であるドルは「純血であるべき」と考えるでしょうが、ユーロなどの混じり気も多少あります。ただ、ユーロはアメリカからすればお友達ですから許せますが、中国元やロシアルーブルを許すか、といえばそれは厳しいものがあるでしょう。なぜならば中国元やロシアルーブルという血液はどこまで信用できるのか、という大きな疑問符がつくからです。
ソ連はルーブルよりもドルを信用していました。中国元はこれから国際化を進めるのでしょうけれど使えるようになればよいというものではありません。通貨の真の価値は永続的に揺らぎないものでなければなりません。ところが両国とも政変でも起きれば一夜にして全てがひっくり返る可能性を秘めています。中国が十分大国であるとしてもそれは体格の問題であって、ディスクロージャーを通じて13億の国民が一定の満足度を持ち、民主的な決議によって物事が決定されるというプロセスが圧倒的に欠落しています。これが中国元が国際化しにくい理由でもあるのです。
韓国ウォンがなぜローカルカレンシーかといえば為替介入などを通じて政府が不自然な力を通貨の価値にかけることが可能なほど規模が小さいから、ともいえるのです。円が為替介入しなくなったのはアメリカから怒られたこともありますがそれ以上に市場のパワーが政府の介入のパワーを凌駕しているためほとんど意味をなさないということなのであります。つまり、円は成長したとも言えそうです。
通貨の世界も実に奥深く、ドル基軸通貨が崩れることは当面なさそうな気がいたします。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。