様々な意味で「岐路」に立つ朝日新聞 --- 岡本 裕明

アゴラ

朝日新聞がついに社長記者会見を通じて3つの問題について謝罪をしました。また、本人を含む関係者の処罰についても言及しました。併せて政府が東京電力の原発事故に関する「吉田調書」を公開したこともあり、本件に対する国民の関心は否が応にも高まっております。

多分、多くの日本人がそれぞれ思うところがあると思います。それはそれで尊重したいと思います。

私が気にしているのはマスコミの対応と朝日そのものの将来がどうなるのか、であります。


今のところ、激しく反応しているのが産経。毎日も乗っかっていると思います。一方、日経と読売は比較的事実関係の報道に留まっているようです。また、テレ朝が朝日批判に転じたという報道も入っています。

新聞、メディアの中では朝日新聞の作り上げた地位、イメージは公平な目で見ても「高いはず」で名門高級紙であります。つまり、ライバルからすれば部数、売り上げを伸ばすにはチャンスであり、ここで一気に巻き返しを図るという展開を期待しているのかもしれません。部数日本一の読売はそのあたりは注意深く、また、日経は経済専門紙として一定の距離を置いています。また、同紙も脛に傷がないわけではないですから今後本件に触れたとしても必要以上には刺激しないと思います。

マスコミの一般大衆への影響は多大であります。三つの問題、つまり慰安婦報道、池上彰氏記事事件、原発吉田所長報道問題が時期が重ねって次々と起きてしまったことが朝日の立場を完全に追いやってしまった印象があります。部数第二位で国民への影響が強い新聞社として極めて大きな誤報、しかも慰安婦にしろ吉田報道にしろ海外に悪いイメージを広く作り上げてしまったことに対する責任は免れられません。

報道機関が誤報をするのはよくあることで珍しくも何ともありません。日経新聞など一面トップ記事が誤報であることも時折ありますが、それに対して日本で騒がれないのは記事に専門性と特性があるからであります。ところが一般紙の場合、知識人、ビジネスマンから主婦、学生、子供や老人、更には海外の一般メディアとのリンクなどその影響力は果てしないものであります。よって報道機関の最大の反省点は「誤報対策」ではないでしょうか?

今回の吉田調書報道に関して朝日新聞の木村伊量社長が「秘匿性が高かった。直接、目を触れる者は限定していた。取材した記者たちは専門的な知識を有する。他のデスク、記者は見なかった。結果としてチェックが足らなかった。」と述べている点において他社を出し抜く個性を出したかったようにも思えます。勿論、同紙も営利企業ですから当然の行為でありますが、間違えた後の対応がまずかったという事は否めません。

想像ですが、私は新聞記者は一般サラリーマンと違い、個人の資質が出やすい一種の「文化人、芸術家肌的職人気質」なのだろうと思います。よって自分の記事に対する誇りは高く、「間違えでした」とは言えないものがあるのでしょう。特に朝日新聞の記者はプライドが高いですからなおさらなのかもしれません。

さて、今後です。

頭を下げるというシーンは何十回と見てきています。これで体質が変わった会社もありますし、だめだったところもあります。企業がなぜ体質改善ができるかといえば過去を全否定できるからです。まるで人間が入れ替わるがごとく、であります。では、朝日新聞の記者がそこまで変れるか、これが最大のポイントでありましょう。企業は目標が設定しやすく数値の管理もしやすい商品を通じて審判することができますが、新聞の場合、記事の一つひとつに読者数やポイントがつくわけではありません。販売数や経営という大きなところでしか判断材料がない点において編集部を中心にどう体質改善し、どうやって目に見えた効果を確認するのか、ここが難しい所ではないかと思います。

折しも新聞業界は儲からず、世界レベルで見れば廃刊や売却されるケースも多い中、同紙が新聞という体裁を維持し日本にオピニオンを通じて影響を与え続けることができるか、岐路に立っています。個人的には復活してもらわねば困ります。なぜなら言論はあらゆる意見があってこそ落としどころが見つかるのであって右側のメディアばかり並べばバランスは悪いでしょう。「左があるから右がある」という立場に立てばここは朝日新聞に大いに奮起して再起してもらいたいと思っています。

少なくともマスコミのこれ以上のチープな朝日批判は一旦止めにしてもよいかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。