新聞は「広く浅く」から「専門化」へ --- 岡本 裕明

2014年09月24日 12:23

朝日新聞に対して国民の厳しい審判が下されたばかりでありますが、同紙に限らず、新聞社が今後も生き残れるかどうか、根底から揺るがされるその立場について考えてみたいと思います。

ヤフーなどインターネットに掲載されるニュース記事は一昔前は配信元が新聞社やメディア媒体主体であったのですが、最近、個人が増えてきています。そしてその個人もその道のプロだったり専門家としての経験からブログなどを通じて投稿されている場合も多く、内容がしっかりしているものが充実してきています。あるいは、新聞では読めない裏情報や詳細のストーリーに出くわすこともしばしばであります。


インターネットのニュース欄は特によく読まれる記事がアップされやすくなっているため、良い記事を書ける専門家はますます読まれるようになる好循環に入っています。一方、新聞社発の情報は徐々に減っている傾向にありますが、それは記事が汎用的で深みが足りないこともあるかと思います。天気のニュースでもスポーツ解説でも経済でも政治でも「もう一歩深読み」したい願望はあるものです。また、営利の新聞は記事の全部を見せないという事もあるのでしょう。

私は時差の関係で日本の早朝と昼のワイドショーをインターネットテレビで割とチェックしていますが(バンクーバーの昼と夜にあたります)、昼のワイドショーは専門家を入れてトピックスをかなり深堀しています。そして池上彰氏の影響もあるのでしょうが、「わかりやすい」解説が主体となっており、恥ずかしくてこんなこと聞けなかったということも「なるほど」と分かるようになっています。

印刷された新聞はそこにしかないニュースの深さがあったのですが、電波メディアが速報の優位性を利用し、どんどん新しい情報を流すことで新聞は劣勢に立たされていると言ってもよいでしょう。台風情報やスポーツはやはり最新の情報が知りたいものです。それは新聞社がいくら印刷と配達の効率化を進めても絶対に勝てないのであります。

ではそれでも新聞の優位性は何かといえば実によくオーガナイズされた紙面構成で全てのことを「ざっと」網羅するには最適であるという事です。この「ざっと」という言葉に違和感を感じられる方も多いと思います。一昔前は新聞の社説を読めとか、日経を読んで就職試験を突破しよう、と言われていたわけですからそれは「熟読」の原点であったはずです。それが「ざっと」に変わったのはグローバル化でニュース量が膨大に増えているはずなのに紙面のページの都合で記事分配量を増やせないため、記事の肉厚が薄くなったこともあるでしょう。更には一部新聞社のフォントの大きさは「老眼鏡なしでも読める」やさしさがある反面、字数が減っているのです。

つまり、人々が「深堀」を求めているのに対して新聞社はどんどん「浅堀」になっているところにギャップがある気がしています。

新聞社の記者には数限りがあります。編集方針もあるし、文章校正もしなくてはいけません。つまり、高度のフィルターが何重にもかかった純度の高い「エキス」である反面、面白みに欠けることを招いているのかもしれません。

日経新聞が生き残れるのは高い専門性と競合新聞がないことにあります。では一般紙も特徴をもっと前面に出してみたらどうでしょう。いわゆる右寄り、左寄りというポジションではなく、政治記事なら当紙にとか、社会面の充実度は日本一とか、主婦のための新聞とか、いわゆるテイストを出してみたらどうでしょうか?

広く浅く、国民誰でもターゲットというマーケティングの時代は終わりました。切り捨てる部分、絶対死守の部分を持つ勇気も大事だと思います。

新聞社が生き残れるのか、あるいはその生き方がどう変わるのか、まずは朝日新聞の編集がどう変革するのか、ここに注目していきたいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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