死後75年を迎えたフロイト --- 長谷川 良

アゴラ

欧州最古のドイツ語の総合大学、ウィーン大学本館から徒歩で15分も行けば、精神分析学の創設者ジークムント・フロイト(1856~1939年)の博物館に着く。精神分析学のパイオニアの功績を称え、ウィーン市では博物館の現通り名・ベルクガッセからフロイト通りに改称しようという声が出てきている。

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▲フロイト像(フロイト博物館内)フロイト博物館のHPから


そのフロイトが亡くなって9月23日で75年目を迎えた。フロイトといえば心理学や精神分析に従事する学者や専門家以外の人にもその名は良く知られているが、フロイトは今日、精神分析学者の中では「もはや古い」と受け取られ、余り顧みられなくなってきたという。

当方は学生時代、フロイトの夢解釈や快不快原則などの著書を読んでその分析に新鮮な感動を覚えたが、年をとるにつれ「フロイトの見方が余りにも一方的であり、人間の実態を掴んでいないのではないか」と思うようになった。

その不満の最大の点はフロイトには宗教の世界がまったくないことだ。ジークムント・フロイト大学でノイローゼ心理学研究グループを主導しているラフェエル・ボネリ教授(Raphael M Bonelli)はオーストリアのカトプレス通信とのインタビューの中で、「フロイトは宗教を病理学のように考えていた。その世界観は物質主義であり、人間に真の自由を認めていない」と説明している。

フロイトは「宗教は強迫ノイローゼだ。その教えは幻想に過ぎない」(「フロイト著「一つの幻想の未来」)と述べ、宗教が人間に与えるものは全てネガチィブだと考えてきた。フロイトは、全ての原因を自己の限られた無意識の世界に帰し、自己を超えた世界や領域に対して無関心だったという。フロイト自身はユダヤ人出身だったが、ユダヤ教に対して批判的で、ユダヤ人の妻が宗教的なことをすることを禁止させていたという。

ボネリ氏は「フロイトが生きていた時代はチャールズ・ダーウィンの進化論を通じて人間観が形成されていた時代だった。フロイトもその世界観の影響から逃れることは出来なかった」と指摘している。

そのフロイトの欠点を弟子や後世の精神分析学者たちが補完し、さまざまな学派を形成しながら、現代の精神分析学を構築していったが、精神分析学の発展史に言及すれば、フロイトを除いては考えられないだろう。特に、我々に無意識の世界の存在を鮮明に明らかにしたフロイトの功績はやはり大きい。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。