古来、歴史というものは、為政者が「自分がれっきとしたその国の支配者である事」を外に示し、その拠って立つところを正当化し、または自分の業績を誇ったりする為に書かれたものである。近代においては、国民を一定の方向に誘導する為にも、そういう歴史を国民に教える事が重要であるという意識が強くなった。という事は、そういう歴史が事実を伝えているという保証は全くなく、むしろ多くの捏造が含まれていることが多いという事を意味する。
現代においても、多くの国でなおその傾向は残っていると言ってよいが、基本的に学問と言論の自由が保証されている国では、歴史学者や一般人が純粋に真実を求めて研究し、その研究の成果を発表することが一般的になっている。勿論、それならば、このような「国から自由な学者たち」が書いた歴史は真実に近いかといえば、必ずしもそうとは言えない。もし筆者に民族意識が極めて強かったり、特定の宗教に帰依していたり、マルクス主義のイデオロギーを信奉していたりする場合は、真実を曲げてでも自らの主張を全面に押し出すからだ。
しかし、このような事は、歴史を学ぶ事の価値をいささかも減殺するものではない。更に言うなら、「歴史的な事実以上に多くを学べる教材は他にはない」と言ってもよいぐらいである。自然科学であっても人文科学であっても若干は歴史に学ぶ事はあろうが、社会科学においては圧倒的にそうである。これは、自然科学における「観察」と「実験による仮説の証明」に該当するものであるとも
言えよう。
思想と歴史は相関するが、この相関関係を知る為には、「歴史から出発して個々の事象の本質に迫る」やり方と、「個々の事象の本質を洞察するに際して歴史的事実を参照する」やり方の二つがあるが、そのどちらもが重要だ。しかし、ここで何よりも重要なのは、「歴史」とは「歴史的な事実」でなければならず、「語り手の価値観によって色付けされたもの」であってはならないという事だ。特に教育現場で教えられる「歴史」は、次代を担う若者たちのものの考え方に大きな影響を与えるので、この原則を堅持すべきなのだが、実際には正反対の場合が多い。
ここで幾つかの例によってその事を検証してみたい。
第一は、大戦前の日本の「皇国史観教育」である。「皇国史観」とは、一言で言えば「日本は世界に例のない万世一系の天皇が統治する国である」「天皇は高天原に降臨した神々の末裔であり、世界(八紘)が一つ(一宇)になる時、当然その頂点に立つ」「生まれながらにして天皇の臣民である日本国民が、天皇に絶対的な忠誠を尽くすのは当然であり、天皇の為に戦った英霊は靖国神社に祀られて永遠に国家と一体となる」という事だから、客観的な事実を語っているとは言えず、言うなれば一つのドグマに基づく「信仰」のようなものである。
科学的に言えば人間の祖先は類人猿であり、天から降りてはこなかった事が広く知られているし、昭和天皇は大戦後に「人間宣言」を行い、自らの神格を否定している。また、現在の日本の古代史学者の通説は「三王朝変遷説」であり、「万世一系」も概ね否定されている。また、韓国併合にあたって屡々引用された「神功皇后の三韓征伐」の故事等も、実際には、ずっと昔に加羅地方等から海を渡って来た倭人と半島の沿岸部に残留していた倭人の個々の伝承から影響を受けた「恣意的な作り話」であるという説が有力である。
しかし、明治政府は「富国強兵」の為には天皇を神格化して国民に「絶対的な忠誠心」を植えつける事が必要と考えて、「皇国史観」を国民に教え込んだ。また、欧米のキリスト教に比肩するような「国家宗教」が必要であるという観点から、「国家神道」を作ろうと試み、その総本山ともいうべき「靖国神社」を建立した。終戦と共にこのドクトリンは完全に崩壊したが、「神道」をこのドクトリンとは関係のない一般の宗教だと誤解した米人神父のお陰で辛うじて破壊を免れた「靖国神社」には、未だその痕跡が若干残っている。
第二は、1800年代の後半にカール・マルクスが唱え、瞬く間に世界中に多くの信者を得た「唯物史観」である。これは、一言で言えば「生産力が何らかの要因で発展すると、従来の生産関係との間に矛盾が生じ、その矛盾が突き動かす力により生産関係が変化する。具体的には、これが階級闘争を生み出し、それが革命への原動力となって、資本主義社会は社会主義社会へ、そして最終的には共産主義社会へと移行する。これらの事は個々の人間の意志とは関係なく、歴史的な必然として起こる」という事だった。
その後に実際にロシア革命が起こり、ロシアのプロレタリア独裁政権は第一次五カ年計画を成功させて、一時はこの史観の正しさが実証されつつあるかのように思えた。これに勇気付けられた各国(特に発展途上国)の左翼勢力は、国際共産主義を標榜するコミンテルン体制の下に結集し、これが東西冷戦を激化させる一つの要因ともなった。
しかし、その後の歴史的な事実は「計画経済下では生産性は著しく低下する」「独裁的な権力は必ず腐敗して多くの不公正を生む」事を証示し、その一方で「資本主義国家も、民主主義体制下にある限りは労働者階級の利益を無視できず、独禁法や労働組合法などによって資本家の行動原理に歯止めをかける」という現実も理解されるに至った。この為、現時点では、この史観をなお信奉する人たちは世界中でも極めて稀である。
また、これまでの左翼勢力の看板の一つであった「平和主義」、即ち「戦争は各国の資本家が国外に市場を求める為に起こすものだから、世界中のプロレタリアートが団結する体制下では戦争はなくなる」という考えも、「右翼であれ左翼であれ、権力者の支配欲には歯止めがかからない」という現実の前には色褪せてしまった。
こうして、行き場のなくなってしまったかつての唯物史観の信奉者たちは、現時点では、「大きな政府による手厚い社会保障」「労働組合を通じての経営者に対する牽制」「環境保全の観点からの産業至上主義への牽制」等々、唯物史観とは何の関係もない方向に力点を移しつつある。(尤も、日本の一部の左翼には「隣国の左翼勢力と提携して、かつての天敵であった自国の旧体制に対する執拗な攻撃を継続する」という不可思議な傾向が今なお残っているようだが。)
第三には、昨今のイスラム過激派による「復古主義」だ。彼らの主張(史観)は極めて単純明快で、「現在の西欧文化はアラーの意思に反するものであるから、断固として排除されるべきであり、この為に必要な全ての行動は、アラーの意思に従うものである故に正しい」というものだ。
最近猛威を振るうに至った「イスラム国」などは、右手に剣、左手にコーランを掲げてアラビア半島から各地に向かい、「改宗か死か」を迫った「かつてのカリフたち(ムハンマドの後継者たち)」の姿をそのままなぞらえているかのようだ。彼等にとって唯一重要なのはアラーへの信仰であり、「多様な価値観」などは認められるわけもないし、「科学」も「歴史的事実の検証」も何の意味ももたない。
蛇足ながら、最後に一言触れたいのが、現在の韓国を毒している「自虐史観」だ。私が何故これを「自虐」だと呼ぶかといえば、日本に併合されていた60年間がもたらした全ての事柄を、「丁寧な検証」や「公正な評価」とは一切関係なく、「日本の帝国主義者たちが行った悪行」と「それによって受けた韓国民の被害」のみに集約させて、それを極限にまで膨らませた上で、いつまでもこれを国民に対する歴史教育の中核においている事だ。自分たちの過去を全て「他国のせい」にして、「それを攻撃する事(反日)」にいつまでも最大の価値を見出そうとしているかのような現実は、客観的に見れば明らかに「主体(チュチェ)性の欠如」であり、「自虐」でしかないように思えるのだが如何だろうか?
勿論、日本が米英に対し無謀な戦争を仕掛け自滅してくれなかったら、韓民族は完全に「皇国史観」をベースとした大日本帝國の体制の下に同化吸収され、その言語や文化も根こそぎにされてしまうという危機一髪の瀬戸際にあったのだから、「この事を忘れたり軽く考えたりしてはならない」と自戒すべきは当然だろう。しかし、そうであるなら、「日本人はそんなにも悪い奴らだったのだから、土下座して謝るべきだ」といった無意味な感情論に何時までも囚われる事なく、まして況や、現時点における自国の尊厳を貶めるような「賠償金の請求」等にいつまでも拘る事なく、「過去の二国関係において(自国の体制を含め)客観的に何が問題だったのか」「これからはどのような努力をしなければならないか」を真剣に考える事こそを、若い世代に教えるべきではないのか?
さて、上記では「誤った史観」ばかりを槍玉に挙げたが、それでは「望ましい史観」「望ましい歴史教育」とはどのようなものであろうか? これが今回の議論のテーマなので、最後に下記のようにまとめておきたい。
独裁国における歴史教育は独裁者が自分の都合の良いように教えるのが当然だが、民主主義国においては、あくまで「一般大衆が自国の将来の為に賢明な判断が出来るようにする」事が眼目であるべきだ。「賢明な判断」の為には「過去の事柄がどういう経緯(判断)によってもたらされたのか」を客観的に審らかにして、そこから学ぶのが一番効率的だからだ。(というか、それ以外に良い方法はないからだ。)
しかし、その為には、あらかじめ一定の価値観を前面に出して、その方向に国民の価値観を誘導しようとするような事は厳に慎むべきだ。何故なら、民主主義の原則は、人にはそれぞれに異なった価値観(何を「善」とし、何を「悪」とするかの判断を含む)がある事を前提とし、各人がそれぞれの価値観に基づいて「国の政治の方向を決めるのに参画する」事であるからだ。この原則はどんな時でも曲げられてはならない。
従って、歴史教育においては、まずは「事実」を何よりも重視し、その信憑性が疑わしいものについては、その事も明確に伝えるべきだ。次に、多くの歴史的事実は、そういう歴史を生んだ多くの人たちの判断や行動によってもたらされたものなのだから、そのような「過去の人たちの判断や行動」を「現時点で歴史を学ぶ人たちの評価の対象」とするべきは当然だ。評価しなければ、そもそも歴史から何も学べない。
しかし、ここで重要なのは、歴史について語り、歴史を教える側の人たちは、そういった「評価」は、元来「絶対的」なものではなく「相対的」なものである事、即ち「評価は人によって異なる」事を丁寧に説明しなければならないという事だ。歴史を語る人たちが自分たちの強い思いを訴えたいと思うのは当然だし、そうする事自体には何ら問題はない。しかし、その際には、「異なった考えがある事」も同時に紹介し、自分が何故それは誤りだと考えるかを論理立てて説明する必要がある。
歴史教育は民主主義を正しく機能させる為になくてはならないものだ。従って、民主主義を標榜する国が、国としてこれを推進し、これに「関与」するのは当然だ。しかし、そのような「関与」は、上記の原則に従った「公正なもの」でなければならない。日本を含む各国の歴史教育の現実は、このような観点から厳しく検証されて然るべきだ。