クルーグマン博士、謝罪の真意 --- 岡本 裕明

アゴラ

日本でも人気のあるノーベル賞経済学者、ポール・クルーグマン博士がNYタイムズへの寄稿で「日本への謝罪」というタイトルでコラムを打っています。英文の原文を読む限り、私はどうも、これはアメリカへの警告に読めるのです。

コラムの趣旨はクルーグマン博士やFRB前議長のバーナンキ氏は日本の低成長率から抜け出せない政策についてこき下ろしていたものの、今になって欧州の方がもっと酷い、だから日本ばっかり責めて申し訳なかった、というものであります。


このコラムで三つの例が背景に考慮されています。一つは日銀が2000年8月に当時の総裁、速水氏がゼロ金利政策を解除し、それが引き金となり、日本がデフレの病に突入したこと。二つ目に2011年に欧州中央銀行が政策金利を1.5%に引き上げ、欧州の不況の引き金を引いたこと、三つ目がスウェーデンにおいて日本研究をしていた中央銀行副総裁の忠告を無視して利上げしたことにより経済低迷に繋がったことであります。

つまり、指標上、景気が回復していると見えて、中央銀行としては経済の健全性を確認したと思って利上げしたらとたんにどんでん返しを食らったという事であります。そしてクルーグマン博士は欧州もスウェーデンも日本から学ぶと言ったのにちっとも学んでいないじゃないか、と言っているわけです。

これは私には強烈なFRBに対するけん制の様に思えます。つまり、10月でもって量的緩和の終焉をしたアメリカにとって次の焦点は否が応でも「いつ上がるアメリカの金利」の読み合いになっています。これに対して経済指標だけでそう簡単に判断してはいけない、既に三つの間違いが現に存在するのだから、という事でしょうか?

今のところFRBは利上げについて何らヒントを示していません。イエレン議長はあくまでも経済状況を見て判断する、としています。

では、日本が今回金融緩和を行い、欧州も多分近いうちに再びそうしなくてはならない状況を想定しましょう。そうすると金利の高低差は既にアメリカの高、日本、欧州の低となっている中で、金利の高い方に向かうお金の性質を考えればドルへの高すぎる期待値を更に推し進めることになり、グローバル経済を歪めることにすらなると考えられるのです。

それはすなわち、既に懸念を示し始めている円ドル水準であります。アメリカの許容範囲のほぼ上限に達しているとみられる中で市場関係者が指摘する115円、あるいは120円といった水準に進むことをアメリカが政策的に了解するのかということも大いに疑問であるのです。

一般に量的緩和など金融政策で緩め誘導をするとインフレを引き起こし、不動産などの上昇を引き起こしやすくなると考えられています。しかし、欧州の失業率を考えると賃金が上がり、健全なるインフレが直ちに起こるとは考えにくいのであります。同じことは日本もそうで、おとといの緩和発表で不動産関係の株がとんでもない暴騰をしたのでありますが、問題は誰が買うのか、という点が置き去りにされているのです。

国内における賃金上昇が期待できず、税の引き上げに物価高とくればフローの経済で生活をしている20代から40代の人にとっては経済学でいう「効用」を満足することができなくなります。仮に住宅ローン金利が低下したとしても非正規雇用者のローン審査の壁は厚く経済的効果は外資が享受しやすい状況になります。

つまり、円安がもたらす日本の物価高とは外資が日本の不動産なり、直接、間接投資を通じて事業展開することを促しますが、ご承知の通り、諸外国の投資家のスタンスとは「儲け一筋」であって国内産業を育成しようとか、日本の雇用改善に協力しようなどという事は毛頭考えていません。

話を戻しましょう。クルーグマン博士がグローバル経済は一国だけが良い思いをすることはないと考えているのであればアメリカの利上げは日本と欧州の経済回復を手助けをしてから利上げを考えてもよいのではないかとも言えないでしょうか? アメリカの一人勝ちはこの時代にはもはや想定できないのであります。全員が勝つか、全員が負けるか、そんな世界になってきたというように私は感じます。博士はどう思っているのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年11月2日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。