肌の色の違いだけではないアメリカの人種問題 --- 岡本 裕明

2014年11月29日 15:17

ミズーリ州のファーガソンで今年8月に起きた白人警察官による18歳の無防備の黒人少年が射殺された事件で白人警官が大陪審で不起訴処分とされたことに伴い、同地を中心にアメリカ各地で黒人の暴動が起きています。また、今月22日にはオハイオ州でソフトエアガンを持っていた12歳の黒人少年が駆けつけた白人警察官に射殺されています。その際、このエアガンをもった黒人を警察に通報した人に警察が「犯人は黒人か白人か?」と二度にわたり確認している録音も公開されています。


アメリカにおける黒人と白人のトラブルは根本解決にはまだ距離が残っていると言わざるを得ないのですが、この問題を考えていると果たして「色」の違いがことの本質なのだろうか、と疑問に思うことがあります。

人は必ず防衛本能を持っています。もしも危険にされされるような事態、予想がつかない状況に陥ると冷静な時には考えられないような行動に出たり、大きなリアクションをしたりするものです。例えば森の中でクマに出会ったら誰でも冷静さは失うでしょうし、逃げると同時に自己防衛として何か武器になるものを手に取るでしょう。

私にはファーガソンの事件はこれと同じことのように思えるのです。一昨日、この白人警官がテレビ番組のインタビューに出ていたのを見たのですが、司会者が「撃つ以外に手段はなかったのか」との質問に「絶対にない」と言い切っているのが実に印象的でありました。白人警官にしてみれば黒人が武器を持っていて自分に向かってくるかもしれないという先入観と恐怖が自己防衛本能を出したのであろうと思えます。

アメリカの銃社会が再三再四、問題になりますが、行動予見できない相手が来たら即座の対応をする為に必要である、という一部の政治家の強い押しもあり、どれだけ悲惨な事件が何度起きようともこのルールを変えることはないのであります。

この防衛本能は白人とアジア人の間にも当然存在します。これも「色」の違いの為、と言われますが、そうではないような気がします。カナダで白人とアジア人のやり取りを第三者的に見ていると途中でまどろっこしさを感じる時があります。それは英語という言葉の問題ではなく、言葉そのものに含まれる定義と常識観がかなり違うことによる認識の不一致であります。

アメリカのWASP(ホワイトアングロサクソンプロテスタント)はなぜあるのか、といえばWASPにとって楽だからであります。私もWASPと言われるエリアで数年仕事をしたことがありますが、都市部に比べて大きな違和感を感じました。同質化しにくい理由の一つに相互理解が欠如しているからでしょう。よそ者が来た、という噂は瞬く間に広がる点においては日本の農村部でも同じはずです。都会に出ている子女がたまに実家に帰ると数日後には集落のひと皆が知っているのと同じです。

では、このよそ者感覚はコミュニケーションをすることで解決するのでしょうか? する場合もあるし、ない場合もあると思います。例えば私が20年来仕事で付き合ってきたあるカナダ人は大のアジア人嫌い。同僚でも顧客でもアジア人だけは避けるぐらいの人ですが、なぜか私とは仕事をし続けました。理由は相互理解ができているので私はアジア人でもOKにしてもらっているのです。つまり、例外的扱いであります。

この問題の根本原因の一つは宗教による本質の相違が大きいと思います。歴史をさかのぼれば宗教の相違を理由にした戦争は何度起きているでしょうか? 最近ではアメリカとイスラム過激派の相違が目につきますが、これはコミュニケーションだけでは乗り越えにくい問題である気がしています。

黒人についても同じで「行動が読めない、だから射殺する」という非常に簡単な図式が何度でも起きてしまいます。これを解決するには二つしか方法がありません。一つは日本の様に民族をほぼ単一にし、心地よい社会を維持する方法、もう一つはカナダの様にモザイクの移民国家を作り上げ、相互理解を深め、個の尊厳をより高めるとともに「マジョリティ」の支配がない世界を作ることでしょうか?

私は両方の国を行き来している中でカナダのシステムは非常によくできていると思っています。日本がこのような国になることは何百年かけても難しいだろう、と感じます。それは覇権という発想もあるのかもしれません。カナダでも東部に行けばイギリス系フランス系の問題はかつて大きく盛り上がりました。ここ西部はカナダ政府がヒンターランド(後背地)としての扱いをしたため、歴史的に開発が非常に遅れたことやアジアからのゲートウェイとして急速な発展をしたことで独特の街づくりとなっています。

但し、一つのコンドミニアムにさまざまな国籍の人が住む中で管理組合の運営はどうなっているか、といえばなぜか、白人が主体性を持っているのはキリストの教えを通じて社会貢献するという発想なのかもしれません。

人種間の問題の根は深く、その解決は容易ではないのですが、少なくとも「色」の違いによる理由というのはあまりにも短絡的な発想である気がします。ファーガソンの事件を見て「ならばなぜ、警官は防弾チョッキをいつも身に着けないのか?」という反論も可能でしょう。日本人に作らせたら薄くて軽く、弾丸を通さないチョッキが開発できるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年11月29日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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