「徳政令」という選択 --- 井本 省吾

アゴラ

私の知る非上場の大企業に銀行から借りて、それをそのまま預金している会社がある。ただし、借金よりも預貯金の方が多いから、実質無借金である。正確な数字はわからないが、借金500億円、預貯金600億円といったイメージだ。

では、なぜ銀行融資を受けるのかと、その会社のオーナー経営者に聞くと、こう答えた。

「ウチは非上場企業。その分、上場企業よりも信用力が劣る。阪神大震災や東日本大震災並みの地震など大きな災害があって大量の資金が必要となった場合、銀行は貸し渋るだろう。借金した預貯金でも、うちの貯金なら自由に使える。それを取り崩して急場の運転資金や事業所や倉庫の再建資金として活用したい」


支払い金利と預金金利の差額は「イザというときのための保険料」というわけである。だから、信用力がもっと高まって、それほど借金が必要ないとなれば、返済すればいい。

日本の財政構造もこれに似ている。国の借金は1000兆円あるというが、個人金融資産は1600兆円もある。内訳は株式や債券、保険などいろいろあり、最大なのは預貯金で900兆円弱もある。

日本の借金がGDPの2倍の水準でも格付け機関の評価がそれほど下がらないのは、この点にある。借金の大半は国民の貯金や保険、年金から拝借しており、ギリシャのように他国から借金しているわけではない。日本国を冒頭の企業のように、1つの企業と見立てれば、いつでも返済できるのだ。

例えば──。ある日曜日の夜、総理大臣が緊急記者会見を開いて、預貯金の半分450兆円を棒引きにすると宣言すれば、国の借金は一気に550兆円となり、財政破綻の懸念は大幅に遠のく。鎌倉、室町時代にしばしば実施した徳政令である。

これは評論家の日下公人氏が、国借金が200億~300兆円くらいだった頃から提唱していた財政再建策である。日下氏は昨年末に発行した著書「日本と世界はこうなる」(ワック)でこう書いている。

<預貯金が消えても人間は生きていける。しかし、月給がなくなったら暴動が起きる。大切なのは預貯金よりも、月々の生活をまかなう月給である>

逆に見れば、預貯金の半分が消えても暴動は起こらないと、言っているのだ。卓見である。月給がそのままなら後は働けばいい。勤勉な多くの日本人はそう思ってあきらめる。

国の借金が膨れ上がったのも、もともとは国民が自前のカネ(税金)でまかなわなければならない公共事業や年金、医療・介護費などの社会保障費、教育費を、国債を出して借金に頼ったからにほかならない。借金を上回る金融資産があるのに、自前でまかなうのはイヤだという気持ちが、借金財政を膨張させたのだ。

そういう国民の心理を知って、有権者に甘い政策をとり続けた政府がいけないのだが、そういう政府にしたのは国民の責任である。だから、その借金を減らす目的で預貯金を棒引きされても多くの国民は「やむをえない」と考えるだろう。徳政令が出ても、暴動は起きないだろうと見る根拠の一つでもある。

ただし、「年金だけでは生活に余裕がない。不足分は貯金を取り崩してしのいでいる」という庶民も少なくない。だから、金融機関のペイオフ(預金保護)と同様に、1000万円までは徳政令の対象としないことにする。

1500万円の預金があった場合、半減させるのは1000万円を除いた500万円。その半分だから250万円。1250万円は手元に残るという形とすれば、(有権者の多い)年金生活者の不満もそれほど大きくはならないだろう。

預金を持ち家の頭金にしようと思っていたという人もあるだろう。そこで、1000万円超3000万円までは減額幅を30%とする。つまり3000万円の預金がある人は3000万~1000万円=2000万円の3割(600万円)を棒引きにするので、手元には1000万+1400万円=2400万円が残る。5割なら2000万円なので、その差400万円分が助かる勘定だ。

もとより3000万円以上は棒引き幅を半分とする。つまり、金持ちは大損するわけで、その怒りは大きいだろうが、残り半分でも大金だから、生活に困るわけではない。

もう一つ、大きな問題がある。個人金融資産の半分弱は、個人事業主の「事業用資金」と言われており、事業拡張の元手が半減する事態は痛いだろう。

この不満を弱めるための工夫も必要だ。個人事業主が投資資金などを求めた場合、当該事業主の預貯金の減額の範囲内で、政府保証のゼロ金利で銀行融資を受けられるようにするのはどうだろう。

ただ、個人事業主がどんな事業に投資するのかという問題は残る。政府が保証するなら、危ないジャンク債に投資しようと考えるかも知れない。

その辺の線引きは難しい。一方、資産の大半を株式や不動産、金、美術品などに振り分けていた資産家は徳政令でもあまり損しない。「それは不公平だ」という批判が起こることも間違いない。

というわけで、いろいろ検討すると難しい問題があることは確かだ。だから、時の政権担当者は徳政令を出さない可能性の方がずっと高い。国民に大きな犠牲を強いる徳政令を出せば、首相は辞任し、内閣は崩壊する可能性大だからだ。

有権者がいやがる徳政令よりもインフレによって実質的に政府の借金を減らした方が大きな不満を受けない。だから、インフレにした方がいいと考えがちだ。物価が2倍になれば、借金は事実上半減する。それでいて、徐々に上がるインフレなら国民の非難はそれほど高まらないだろう。

安倍政権はそう考え、それに呼応するように、黒田総裁率いる日銀が異次元の量的緩和によって大量の国債を買いまくっているのかも知れない。

なるほどインフレが2倍程度に収まるなら、それもいいだろう。だが、マネーの膨張によって一度インフレが始まると、物価をコントロールすることは難しい。10倍、100倍にまで拡散してしまうことが多い。戦後直後のインフレもそうだった。

悪性インフレ、狂乱物価が広がった時の国民の損害は計り知れない。年金生活者は一気に困窮し、企業倒産の多発、失業者の増大、信用不安の増加、社会不安の増大と、様々な問題が噴出する。

預金半減という徳政令は国民に多くの犠牲を強いるだろうが、物価急騰による社会の混乱に比べれば、被害の幅は小さいはずだ。

今後政府の借金が大きく膨らみ、このままでは悪性インフレ必至となった時、徳政令に踏み切る度量のあるリーダーは(安倍首相を含め)出るだろうか。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2014年12月7日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。