予防原則というナンセンス - 『恐怖の法則』

池田 信夫
恐怖の法則: 予防原則を超えて
キャス サンスティーン
勁草書房
★★★★★



エネルギー・環境問題でよく出てくる話に「予防原則」がある。その意味は曖昧だが、もっとも強いバージョンは少しでもリスクがあるものは禁止すべきだという原則だ。これはナンセンスであり、リスクをゼロにするには自動車も飛行機も禁止しなければならない。

他方、もっとも弱いバージョンはリスクの決定的な証拠が欠けていることを規制を拒否する理由にしてはならないという原則だ。たとえばCO2と気候変動の因果関係についての証拠は不十分だが、それはCO2をいくら排出してもいい理由にはならない。これは自明で、具体的な政策の根拠にならない。

しかし政治家もメディアも、人々の恐怖に迎合してゼロリスク(強い予防原則)を求める。これは恐怖の大きさに反応して確率を無視するバイアスがあるためだ。たとえば交通事故で死ぬ確率は原発事故よりはるかに高いが、人々は前者に恐怖を覚えず、後者を防ぐために「原発ゼロ」を主張する。

もう一つのバイアスはトレードオフの無視である。副作用のリスクを減らすために抗癌剤を禁止すると、癌で死ぬリスクは増えるが、両者を比較衡量しないで過剰な規制が行なわれることが多い。

こういうバイアスを是正する方法として費用便益分析があるが、著者は必ずしも賛成ではないという。すべてのリスクが定量化できるわけではないからだ。たとえば人命の価値をいくらとするかには、客観的な基準がない。しかしリスクを定量化することは「原発ゼロ」のようなバカげた政策の抑止力にはなる。

もう一つのルールは、法的根拠がないかぎり市民的権利を侵害してはならないという法の支配だ。言論の自由も財産権も、立法府の授権なしに制限してはならない。民主政治は不完全な制度だが、これを飛び越えて「正義」を主張せず、客観的データにもとづいてリスク管理するしかない。ハイエクもいったように、法の支配とは権力の濫用を防ぐ消極的自由の保障なのである。