日本人はなぜ目線を合わせないのか?

岡本 裕明

私が入学試験や就職試験の面接を受けたころ、いわゆるハウツーものの本に目線は相手のネクタイの結び目に合わせるとされていました。最近では相手の目を見るように、となっていますが、日本人にはなかなか難しい「技」ではないでしょうか?


回転寿司店に行くと日本とは思えないあることに気がつきます。それはお客さんが次々と声を上げて注文しているのです。では、カウンター式の普通の寿司屋でそれができるかといえば価格の問題もあるかもしれませんがなかなか出来なかったりします。理由は目線ではないか、と思っています。回転寿司に行くと目の前は湯飲みが並び、その上には皿が積み上がっていて握っている人の顔は見えてもちらっと見える程度となっています。一方、手の動きは非常によく見えるようになっています。自分の頼んだものがどのように握られるかチェックは出来るが注文する際に相手の顔や目を見るのは苦手な人にはうってつけなのです。

ラーメン屋の自動販売機。何故自販機か、といえばもちろん、コスト削減、お金を扱うことで手が汚れるのを防ぐという意味合いもありますが、お客がカウンター越しに注文しなくてもよい仕組みに大きな意味合いを感じています。つまり日本人はシャイでその「一線」を超えるためのビジネスの知恵と言ったらよいでしょうか?

目線が合わず手だけのビジネスは案外多いような気がします。パチンコ屋の両替所やファッションホテルの受付もそうでしょう。

我々は一を聞いて十を知る、と言いますが、それは逆に言えば相手の顔を見て考えすぎてしまうことも多いのかもしれません。この人は良心的だ、機嫌が悪そうだ、仕事に覇気がない、人相が悪い…など顔や顔つき、目線から語るものは非常に多いものです。客側は逆に気を使い、時として遠慮してしまう事すらあるのです。だからこそ、顔や目線を感じないビジネスは日本ではやりやすいのでしょう。

会議では発言できなくてもメールではかなり辛辣なことまで書いてしまう人は結構多いものです。会議では多くの人の目線を気にしなくてはいけません。自分の意見に賛同してもらえれば気持ちはよいのですが、反対も多いと思えば挙げたい手も思わずすくんでしまうこともあるでしょう。ですが、メールならば言いたい放題の一方通行。だからブログなどで時として炎上が発生してしまいます。

バンクーバーで私が現場で顧客対応をする時、あることを意識しています。英語で説明する際に意識的にまるで光線が出るほど目ヂカラを入れてしゃべると相手は分かっても分かってなくても案外同意しやすくなるのです。これはしゃべる側の自信が相手を抑え込むということで経験則で発見しました。

外国で仕事をすれば相手とのやり取り、交渉は相手の目と目とやり取りになります。私が説明を受けたり、説得させられているときは逆にその視線から外れたいと思うこともしばしばです。

「見て見ぬふりをする」のが得意なのも日本人であります。道に10円が落ちていたら通り過ぎます。100円なら拾う人が7割ぐらいでしょうか?1000円札ならほとんど全員が拾うはずですが、それは人の目と自分の得の天秤であるとも言えます。目の前の人が突然倒れたら、これも自分の得との計算が働きます。今急いでいるから、あるいは関わりたくないからと見て見ぬふりをする人は案外多いものです。しかし、もしも他に通行人が全くいなかったら多分、声をかけ、救急車を呼ぶ人が大半でしょう。これは人の目がないから行動に移せるという見方ができるかもしれません。

電車でスマホに没頭するのは目線を外したいという意識もあるでしょう。四人掛けの席に座れば向かいの人と絶対に目線を合わせません。スマホがなければ寝ているか、窓に目線を向けます。これが外国人同士なら知らない同士で思わず会話してしまうことになったりします。エレベーターに乗ると多くの人は顔を上げ、その目線は階数を知らせるドアの上の表示板に釘づけとなっています。

こう観察すると日本人の目線とは非常に興味深く奥深いものがあるとも言えます。これをビジネスにうまくつなげると回転寿司の様に成功するのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 3月11日付より