都構想3:藤井はん、大阪人は嘘かほんまか知ってまっせ

北村 隆司

報道によると「せっかちで、喧嘩っぱやく、お節介」な江戸っ子気質にすっかり染まった関西人の藤井教授は、仁義(本物の江戸っ子の大事な気質)も切らずに「橋下氏ほど危険な人物はいない。橋下氏が内閣に入ったら亡命する」と、橋下市長にいちゃもんをつけたらしい。

これを聞いて直ぐ思い出したのが、「氷河期はもう来年から始まる」と宣言して物議を醸した「ロシアの学者」のエピソードである。


彼が「学者」の肩書きを振り回した理由は、引用できる学問的実績も無い彼には、「学者」の肩書きが何も知らない他人を信用させる一番手っ取り早い方法だと考えたからだ。

ところが、この「学者」がロシアの巨大エネルギー企業である 「ガスプロム」の研究所に勤務する人物だと判ると、「氷河期はもう来年から始まる」と言う彼の“学説”は、検証を待たずに一気に信用を失って仕舞った。

もっと正確に言うと、信用を失ったのは「学説」そのものと言うより、研究の動機を疑われた「学者」自身であった。

「地球温暖化説」が定着すると「化石燃料の消費」が減少し、エネルギー原料価格が低下する事で大損害を受ける「ガスプロム」が雇用主では、利益相反の疑いは否定できず、「学説」そのものの「真偽」よりも、著者の信用とモラルの高さが問われる事は、学問の分野でも同じだという良い実例である。

長い周期や複雑な要素が絡んで起る「地球温暖化現象」の証明には、長期に亘る研究が必要である事を知るこの「学者」は、金と時間を掛けて反論研究をするより、いかにも真実味があり、世界の耳目を集めそうな「風評」を流して「地球温暖化説」の信用を傷つける、いわば「迎え火論法」ともいえる戦法に出たのである。

もし、彼の信用や研究の動機が疑われなければ、彼の学説が「地球温暖化説」に大きな打撃を与え、省エネ政策の行く末にも影響を与えた可能性も充分あった訳で、これを考えるとかなり狡猾なプロットだと言える。

この点、職務上直接関係のない「大阪都構想」を非難する目的だけで態々大阪に出張しては、狂った「闘犬」の様に相手に噛み続ける藤井教授の行動は、その動機も資金源も不明なこともあり、腑に落ちない点が多々ある。

ある記事によると、藤井教授は国会での公述や講演などで話す際は、重要な箇所は語気を強め、抑揚を付けた熱血溢れる弁舌を見せるそうだが、「学者」と言うには稀有なこのパフォーマンスも、自信の持てない「自説」を偽装する為に工夫した「演技」だとすれば、その言動にも不思議に一貫性が出て来る。

他の新聞には「藤井氏が掲げる都構想の『市税流出』論に橋下徹大阪市長らが『現実的でない』などと批判すると、藤井氏は『京大をなめてもらっては困る。弾圧には絶対に屈しない』とボルテージを上げた」と言う記事が出ていたが、この記事から判断すると、相手を口汚く非難しても、自分への批判には異常に興奮する性格の持ち主のようだ。

それとも、批判に論理的に応える能力や合理的思考能力にも欠ける事を認識した藤井教授が、自分の能力不足にいらついた結果なのだろうか?

また「維新・足立議員の国会質疑に基づく主張の不当性について」と題する、藤井教授自身のブログを読むと、その「精神不安」や「自信の無さ」「見当違いの八つ当たり具合」がよく理解出来る。
以上述べて来た事からも判る通り、藤井教授の特徴の一つは、相手の批判には「虚つき」だと決め付けて「喧嘩」をふっかけながら、肝心の論議、説得、対話などの努力を避ける事である。

「しょっちゅうウソをつかれてしまうあなたへ」と言う著書を持つパメラ・メイヤー女史(Pamela Meyer)は、「虚言癖」を持つ人を見分けて多くの犯人を見つけて、一躍その名声をあげた人物だが、彼女は「突如『自分は学者』などとやけに具体的な事を持ち出す人は、先ず警戒せよ」と述べている。「嘘つきの見分け方」と言う彼女のプレゼンテーションの動画は、藤井教授の性格を知るには大変参考になるのでここに添付しておきたい。

「学者として」とか「京大をなめてもらっては困る」等と口走る藤井教授は、まさにこのパターン通りの人物かもしれない。

世の中は益々複雑化して、「嘘」と「大袈裟」の見境がつき難くなってきたが、藤井教授の奉職する京都大学のある京都地裁は、今年の1月に「XXX社の広告は、社会一般に許容される誇張の限度を大きく超えている」として、広告の差し止めを認める判決を下した。

この判決の対象となった製品広告は、薬事法で効能が決められている製品の広告だが、「学問の自由」の原則で保護された「教授職」にある人のコメントは、どんな粗悪なコメントでも差し止め請求は出来ないし、また、してはならない。

そして、この原則は「藤井教授」のコメントにも適用されるべきは言うまでもない。

民主社会でこの種の粗悪な学者の発言を阻止するには、国民の自覚と質に期待する他に無く、特に、マスコミの質が極度に劣る日本の場合は、国民の良識にかかる責任は誠に重大なものがある。

その点、合理的で、商品選択に厳しい値切り上手な「大阪人」の真贋見極めの眼力には、大いに期待したいところである。

そして藤井教授には「藤井はん、大阪人は嘘かほんまか知ってまっせ」とお伝えしておこう。

こうして「特定の人物」を批判(非難)する事は、後味の悪さも尋常ではない。

「批判精神」は民主主義の「主食」の様な必需品であり、国民が全力を注いで守らなければならない貴重品である。

ただし、批判と非難は違う。

批判には合理的な反論が可能でも、「非難」には「沈黙(無視)」か「非難」で応えるしかない。

本稿は「批判」を心がけた心算だが、使った言葉の激しさから「非難」ととられる恐れもあり、その場合は真摯に反省して次回の糧としたい。

もし可能であれば、藤井教授ももう少し知性的、合理的な論議が出来る様に可能であれば努をして欲しいものである。

注:最近の日本では、オレ、オレ詐欺に続いて各種の新型詐害が続発していると言う報道がありましたので、「嘘を見破るには、巧妙な嘘つきの10の特徴を知ろう」と言うブログ記事を添付しておきます。藤井発言の真贋の見極めや、新型詐欺の被害防止に役立てば幸いです。

2015年4月9日
北村 隆司