どう評価する、統一地方選 前半戦

岡本 裕明

統一地方選前半を終えてメディアがピックアップした言葉は「低い投票率」であります。本来であれば地方ごとの結果についてそれぞれの喜怒哀楽があるものですが、自公系の現職現知事全員当選となれば新聞記者のペンも滑りが悪くなりそうです。


いわゆる投票率は戦後直後の80%台から長期トレンドで見事に下がり続け今では40%台となっています。ずっと下がり続けるところに不気味さすらありますが、もう少し中を見ると知事選の投票率は神奈川県で40.72%、福岡県で38.85%となるなどいわゆる都市圏の投票率が低いのが目立っています。県議選でも埼玉37.68%、千葉37.01%と明らかに他県より5-10ポイントほど低いのです。唯一の例外は大阪で45%ほどありますが、これは維新という選挙民に考える余地を与えてくれるおもしろさがあるからかもしれません。

首都圏の低投票率の理由、いくつもあるかと思います。例えば多くのサラリーマンのベッドタウンである埼玉、千葉、神奈川において県の施政方針がご主人の勤務する東京都とリンクせず、そのメリットを享受できないことは昔から指摘されていました。

ただ、私はこの低い投票率は昨年12月の安倍首相の行った解散総選挙と同根だと思っています。それは「投票しても何も変わらない」、そして「とりあえずは変わる必要もない」と考えている国民、市民が多いのではないでしょうか?

何度か申し上げていますように安倍政権の最大の強みは経済であり、それが目に見えて好転していることは誰にも否定できないことです。新聞の社会面あたりの街の声からは生活はまだ厳しいといったコメントが見られますが、これはある意味人間の性で満足できる状態にはなかなかならない上に、新聞は反対コメントも載せる必要があるのです。安倍政権を好きではないとする人の多くは経済が理由ではなく、集団的自衛権や憲法改正、原発政策あるいは外交姿勢といった点ではないかと思いますが、長期低迷の経済を動かし、農業を変えるなどの功績は一般的に高く評価されていると考えて良いでしょう。

その中で地方統一選はどういう位置づけかといえば中央の流れに沿いながら地方再生を進めていくこと以外の何ものでもありません。

日本の歴史を紐解けば封建制度とは切っても切れない関係があります。その長く続いた制度は形式上は江戸時代で終焉したとされますが、実態は今でも残っていると考えられます。それは中央政府の政策に対して地方政府は表向きの自由度と裏向きの束縛は周知の事実であり、中央政府が強ければ強いほどその拘束力は極めて堅固なものになるのです。それは沖縄の基地移転問題を見てもよいでしょう。

中央政府はあの手この手で地方を中央の支配下に置こうとします。これらは日本の政策において中央にキャリアと称するエリートを固め、地方創生といいながら地方にそれらエリートをばら撒かず、謀反を起こさせないよう支配しているところに完璧な戦略が見て取れます。

つまり、地方の時代とは中央と蜜月の関係を作り上げることで果実を得、地方の知事、議員に安泰をもたらす構図でありましょう。だからこそ現職知事が全員ほぼ無風下で当選できるともいえます。ならば安倍政権が盤石である限り統一地方選挙が盛り上がる理由は全くないし、投票率が最低であるのは自明の理であります。

この流れをどうとるか、意見は分かれると思いますが、個人的には今は日本が一丸となる必要性があると思います。この「一丸」も議論を呼ぶ表現でありますが、私のいう意味は日本人の強みである勤勉さ、努力、清貧、ひたむきさ、平等といった「らしさ」を日本全体で考え、まとめあげ、全ての日本人が世界に誇れる平和、安全、経済力、国民性、思想の豊かさを再構築するという事であります。

よって統一地方選挙そのものは他のニュースにかき消されそうな勢いですが、今回は団結という意味で私は良しとします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 4月13日付より