トリクルダウンも相手次第 --- 井本 省吾

アゴラ

だいぶ以前の話になるが、私の新聞記者時代、ある中堅小売業の社長にこんな話を聞いた。

ウチの会社のある店に中年の女性従業員がいる。このおばさんは商品知識を覚えないし、接客も下手、店頭での陳列方法も拙劣。要は、あまり使い物にならんないのだけど、唯一、優れた才能がある。商品の梱包作業をやらせたら、右に出る者がないほど短時間に見事にきれいに仕上げる。だから、その才能を活用する形で今も働いてもらっている。人間は、なんか長所がある。経営者やマネジャーの仕事はそれを生かすことだ

この会社の利益率は同業の中でもトップクラスだった。従業員の才能を徹底的に引き出す経営に長けていたからだ。一人何役もこなせる器用な人間にはそれ相応に働いてもらう。当然、器用人間の給与は高く、梱包しかできない従業員のそれは低い。でも、クビを切ることはしないから、梱包上手のおばさんは安心し、かつ自分の才能を生かしてもらえるから、満足して働いているという。

同社は能力による給与格差もケタ違いというほど大きくはしていない。なぜか。格差を大規模にすると、不満やねたみが強まって、チームワークが崩れるからだ。一部のエリート社員を厚遇するより、全員のチームワークを高めた方が収益は上がりやすいと考えているのだ。

だが、それは企業内部だから言えること。チームワークに関係が乏しい取引先の従業員との格差は開いても頓着しない。

企業が単純作業の職場を別会社として切り離すのもそこに原因がある。同一社内ではチームワークの協調が乱れるため、単純作業者の給与もそれほど下げられない。別会社として切り離すことで、能力に見合った形で格差を広げることが可能になるというわけだ。

それが冷酷な市場原理、と言える。企業の外にある部品や商品の仕入先に対しても、社内でないからこそ厳しい価格引下げを要求できる。それも継続的な取引のない取引先、その場だけのスポット買いの方が強く値下げを要求できる。

なぜか。長期継続取引をしている仕入先は広い意味のチームだからだ。あまり無茶な要求をして、「では取引を止めます」と尻をまくられたら、すぐには他から調達できなず、困ってしまう。だから、値引き要求はおのずと限度がある。当座の一度限りの取引先はチームの一員ではないので、大幅な値下げ要求ができるのである。

前回、「トリクルダウンは常にある」とブログで書いたが、以上見たように、トリクルダウンの伝播、おこぼれの量は取引先ごとに違って当然だ。二次下請け、三時下請けになるに及び、おこぼれが少なくなるのもチームとしての関係が薄れるからだろう。

同じ企業内の人間の給与格差をそれほど大きくしないのはチームワークの尊重ばかりではない。袖振り合うも他生の縁、何かの因縁で巡り合った同じ釜のメシを食う仲間同士の関係は大事にしたい、という気持ちも働いているだろう。

その気持ちは企業が別となり、組織関係が遠のくにしたがって薄れるのは人情。その分、トリクルダウンの量が減るのはやむを得まい。

で、トリクルダウン効果は知れているという人がいるが、そもそも給与や利益は他人(他社)に頼るものではない。自力で稼ぐものである。独自性のある商品(部品)を持っていれば、企業は必ず適切な値段で買うはずだ。

いずれにせよ、トリクルダウンがないとは言えないし、その量が少ないとも言えない。

トヨタの例で言えば、トヨタの部品メーカーA社に他の自動車メーカーが高値で大量注文を出したら、A社はトヨタにも同様の高値を要求し、ほかにめぼしい調達先がなければトヨタはその要求を呑むはずだ。そういう事態が来るのは景気が上昇基調にある時。つまり、景気が上向けば、トリクルダウン効果は確実に高まるのである。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年4月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。