前回(都構想否決についての感想1 - 私利私欲の独裁者)の続きです。
■シルバーデモクラシー
人口が多い老人世代の意見が通り易い、シルバーデモクラシーであったと言えなくはないです。しかし、可決されていれば、老人世代は損をする立場でありましたし、老人は変化を好まないのも当然です。
それよりも、(老人が損をするならば、逆に)恩恵を受けるはずの若い世代に、反対票を入れた人が相当数いたことの方が問題です。
その理由について考えてみたい。
■議論かケンカか、抗議か圧力か?
『日本人はxxx』というステレオタイプ、レッテル張りは良くないけれど、やはり、独特の国民性を持っている。聖徳太子以来の「和を以て貴しとなす」は、今も、根強く生きているでしょう。
もちろん、「和を以て貴しとなす」ということ自体は、日本の誇るべき文化で壊す必要はありませんが、これを曲解というか、変に刷り込まれている人が大勢いるということに問題があるのです。
その問題が、如実に表れたのは、藤井さんと橋下さんの(議論ではなく)ケンカではないかと思います。
内容的には、藤井さんがウソを含むトホホな反論を発表する。
橋下さんが、「公開討論に出てこい!」といつもの橋下節でわめく。
藤井さんは、出てこない。
橋下さんが、京大に抗議する。
藤井さんが、圧力を掛けられたと抗議をする。
……
藤井さんが議論の場に出てこなかった以上、これはケンカでしかありません。
情けないほどの低次元のケンカでしたが、内容の如何にかかわらず、力がある方がファイティングポーズを取ることを【圧力】と捉える考え方。これは、自民党がTV局を呼び出したときにも起きました(民主党時代は、もっと呼び出してましたけどね……)
ウソに対する抗議を【圧力】と言われたら、ウソをつく方が圧倒的に有利になってしまいます。
似たことは、最近も多数起きていました。
上杉、武田、と並べると戦国武将みたいでかっこいいですが、上杉隆や、武田邦彦など原発事故で一山当てた連中は、平気でウソをつき、議論を避け、攻められると「圧力を掛けられたぁ~」と明後日の方向に逃げ込めば良い、という戦法を取ってきました。
橋下さんは、ちゃんと説明すれば、橋下さんを「独裁者」と見ている層は無理でも、他の市民は「ウソをついて、なんとみっともない!」と見てくれると思っていたかもしれません。しかし、橋下さんを「和を乱す悪い奴(【圧力】を掛けて苛めている悪い奴)」と受け取り、その後の橋下さんの説明を受け付けなかった人たちがいたようです。
■揉めている時点でアウトと考える
「橋下は揉め事ばかり起こす」こういう意見が、実際にありました。
例えば、「給食問題でも見てみぃ~、冷たいもん食わして可哀想や、橋下は何でもせく(急ぐ)からあかんねん」などと言ってる人も、大勢いました。そう言ってたのは一般市民です。大阪では、散々アンフェアな報道が行われていましたから、それに乗せられた部分もあるでしょうが、そういう判断基準の人も多いということです。
常識的に考えて、何十年も給食がない問題を解決する(議会で通し、予算を付けて、指示を出す)ところまでは市長の仕事ですが、「冷たい・不味い」は業者や、担当課長レベルの問題です。全部が市長の責任であったとしても、プラス(メリット)とマイナス(デメリット)を比べれば、比較にならないはずですが……。
プラスは見ないが、トラブっていることだけは見るというタイプの人が、かなりの割合でいるようです。
(そういう考えの人たちのことは、私は全く分からないのですけれど……)そう確信をもって言えるのは、今回の住民投票について、「住民を真っ二つにして和を乱した」という批判をしている人が、評論家から大阪市民に至るまで、かなりの割合で存在するからです。「将来について考え、議論することは悪」という、とても理解しがたい、恐ろしい考え方を持っている人が、少なからず存在する。今回の住民投票で、そういう人が、投票結果を動かすほどもいることが分かった訳です。
「議論を悪(トラブル)」と考え、トップはトラブルを抑えることが仕事である、という考え方は、「老人は変化を嫌う」というある意味当然の結果より、私にとっては衝撃的で恐ろしい結果でした。
■55年体制から?
しかし、よくよく考えてみると、実はこの議論を避ける戦法を使ってきたのは、何も左寄りの人たちだけじゃない。例えば、古くは原発問題です。
議論をするより「絶対安全です」で押し切って補助金を出しておけば良い、というように、自民党(右寄り保守系)も同じ戦略を取ってきたのでした。
何でも反対、適当に躱して補助金と、お互いに予定調和のプロレスをやっていたのが、いわゆる55年体制です。これらは、「和を以て貴しとなす」が、おかしな方向で刷り込まれている、あるいは、おかしな方向で利用した結果だと思います。
「議論をトラブルと捉え避ける」というおかしなことがまかり通ってきたのは、55年体制ができた(嵌っていた)高度成長期には、衝突を避け、議論を避け、プロレスを見せることで様々な問題を先送りすることが、総合的に見れば合理的に作用していたからでしょう。高度成長期は、たとえ一切の利権を持っていなくても、「努力すれば、今日より良い明日が来るに違いない」と全員が思える時代でしたし、経済成長がその問題を覆い隠してくれていました。
その影響がまだ続いているようです。55年体制は崩れてしまいましたが、「議論を避ける」ことを「正しい」と思っている人たちが、私よりも下の世代にも存在することが、日本の一番の問題ではないかと思います。
しかし、残念なことに、低成長時代、急速な少子高齢化の人口減少時代に入った現在は、衝突を避け、議論を避け、問題を先送りすれば、確実に破綻が待っています。衝突を避けている場合ではないのです。
■議論は和を乱すことではない
橋下さんは、「日本の民主主義を相当レベルアップさせたと思う」と仰いましたが、これはウソではありません。
今までは、議論する経験すらしてこなかったのですから……。
しかし、まだまだ小学生レベル。もっともっとレベルアップしなければなりません。
今回の住民投票を検証する過程で、この議論を悪とする考え方を、一番の問題として、よく考えなければならないと思います。
特に議論をする際、
「誰が言った言葉か」が重要な人
議論とケンカの区別がつかない人
意見・反論とウソの区別がつかない人
抗議と圧力の区別がつかない人
利点があっても、トラブル(和を乱す)を異常に恐れ踏み切れない人
(和を乱す)出る杭を打つ人
などなど、これらの「和を以て貴しとなす」を曲解した人たちが大勢いる。55年体制当時の成功(ではないのですが)を知っている老人に多いのは当然ですが、若い人にも大勢いることが、今の日本の一番の病根でないかと思うのです。
その理由は、恐らく日教組の教育方針に問題があるのでしょうが、橋下さんの作った「徹底的に議論しよう」という流れで、治していかねばならないでしょう。
橋下さんが作った流れを絶やしてはいけません。
■橋下流ケンカ戦法と議論が成り立たない日本
橋下さんは、議論の場に引き摺り出すために、相手を罵ったりしてきました(私もよくする)。それ自体は、批判されて当然の手法です。
しかし、そうでもしないと議論から逃げられてしまうのが日本の現状です。
罵ったりできるのは、「私利私欲はなく、公的な目的(大阪を良くする)を達成するために、プロレスをやっている時間はない!」という理由なのですけれど、それを見た人の中に、逃げて「圧力を掛けられたぁ~」と言ってる人を認めてしまう人が、数多く存在する。
それ以前に、「議論を、揉めて(トラブって)いると捉えて、その時点でトップとしてどうか?」というような判断をする人もということが分かりました。
これを橋下さんがどこまで理解していたか……。
私は、そういう人を理解していませんでしたし、そういう人を「馬鹿なので相手をしない」と切っていました。
国会でも、クイズのような質疑が話題になっています。
牛歩戦術よりかはマシですが、「国の課題」より、
「自分が目立つこと」
「与党を陥れること」
「時間切れにして、核心の議論をさせないこと」
などを目的としているのでしょう。
それに拍手喝さいを送る国民、市民が、選挙結果に影響を与えるほども存在するならば、日本の問題は解決できません。橋下さんは、恐らく、次に「議論をもっと見せる」方向にメスを入れてくるだろと思っています(次回以降に書きます)
衝突、議論を避けて、問題を先送りしている余裕は、今の日本には残っていないのです。
株式会社ジーワンシステム
生島 勘富
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