雑談:フリーメイスンへようこそ

あくまでも個人的な経験からの雑談として聞いていただきたいのですが、私はいままで何回かフリーメイスンへの入会を誘われたことがあります。誘われたことはありますが、加入したことはありません。

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私儀、19歳で出奔以来、イギリスで11年間、香港で9年間過ごし、そして今年で今回の日本帰国4年目になりますが、これらのそれぞれの地で接触・打診を受け、そのたびに「いや...その...ムニャムニャ...」と断ってきた按配になります。

「秘密結社」などというと色めきだって、「陰謀説」マニアの方が飛びつきますが、日本で勧誘された際、冗談めかして「あぁ、ロータリー・クラブのコスプレ版ですね。」と言って顰蹙をかったのは私です。

歴史的には宗教戦争と教会の権威の影にあって17世紀のイギリス、そして18世紀のアメリカと大陸ヨーロッパで啓蒙主義の温床としてそれなりの社会的重要性をもったフリーメイスンですが(例えばイギリスの王立協会の創立にあたっては、フリーメイスンのプロトコルが青写真となっています)、現在世界各国・各地のロッジ(支部)の活動はおしなべて友愛団体、慈善市民団体のそれですから、やはりロータリークラブやライオンズクラブなどとそう変わりません。もっともロータリーやライオンズは、フリーメイスンにある意味対応・対抗して創立された「秘密じゃない」団体ですから、この相似性は必然の結果です。

日本におけるグランド・ロッジが東京タワーのそばにあることはよく知られています。最近では「イェス!高須クリニック」でおなじみの高須院長が幹部に就任されたとかで、すこし話題になってなっておられました。日本の場合、在日米軍関係者のメンバーが多いらしく「英語ができるヤザワさんのようなかたに入っていただくと助かるんですが...」などと切り出され、オイオイ...ここでも語学採用ですか...と少しへこみました。

イギリスの場合ですと、フリーメイスンのイメージとして「警察官のメンバーが多い」ということがあり、法曹の人間としてこれに加入することは(俗物根性丸出しの言いようで恐縮ですが)ある意味「ステップ・ダウン」と見る向きもあり、先輩・同僚からは「やめとけ」とアドバイスされました。またイギリスには、それこそ由緒ある有名なクラブがたくさんありますから、別にわざわざ他の人に黙っていなきゃいけない秘密のフリーメイスンに加入することにそれほど魅力を感じません。加えて個人的には当時ラグビーをやっていて、スポーツを通じた社交生活を楽しんでいましたので、わざわざ「秘密の儀式」を共有してお友達づくりに励む必要性を感じなかったということも加入を断った理由の一つです。

余談ですが、イングランドにおいてラグビー・クラブが盛んになったのは1920年代から30年代にかけてのころ。これは1926年のゼネラル・ストライキに代表されるように、当時勢いを得ていた労働運動に対して、主に私立教育を受けたホワイトカラーのラグビー競技人口が対抗してクラブを組織するとい面がありました。ラグビー・クラブにも社会史的一面があったわけです。(イングランドのお隣のウェールズにおいては、ラグビーの競技人口は労働者としては比較的高給取りだった炭鉱夫などの余暇活動として広がりました。ここらへん生い立ちの違いがラグビーのアマチュア規制撤廃に際しての各国協会の微妙なスタンスの違いに発展するのです。)

香港であらためてフリーメイスンに誘われた際に、あまり乗り気になれなかったのもラグビーが理由です。勧誘してくれたフリーメイスンのメンバーと、私が香港で所属していたラグビー・クラブのメンバーが完全に重複していましたので、「なんでわざわざ別に会費を払ってまでして同じメンツで呑まなきゃいけないんだ」という結論になりました。

そうしたわけで香港でもフリーメイスンには縁がなかった私ですが、香港で興味深かったのは中国本土からやってきた香港在住の中国人の皆さんの間でフリーメイスンに加入することが流行っていたことです。

中国本土ではフリーメイスンは禁止されています。フリーメイスンは中国語で「洪門」と訳されますが、洪門会といえば満洲人が清朝を樹立して以来「滅満興漢」をスローガンにした秘密政治結社の総称と同名です。水滸伝の昔はいうまでもなく、黄巾の乱の故事の折から秘密結社が中央政府への対抗勢力の温床となる伝統の中国です。中国共産党にしてみればフリーメイスンなぞとてもじゃないが認められない存在。たとえその本質が中年男子のコスプレ慈善・社交団体であったとしてもです。

しかし「莫談国事」、つまり「政治を語るな」という大陸中国の空気から解放された香港在住の本土中国人にしてみれば、本土ではご法度の秘密結社に加盟しているという秘密を共有する仲間と、思う存分、本当は三度の飯より好きな「国事を語る」ことができるということが、フリーメイスンの魅力になっていたようです。そういう観点から見ると、現代中国に関してはフリーメイスンも、17・18世紀ヨーロッパにおけるそれと同様に、自由主義の温床としての重要性を再現しているのかもしれません。

フリーメイスンとは別に、「洪門会」といえば孫文など清末の革命家の支持基盤になったことでも有名ですが、これらの華僑系秘密結社は政治団体としての側面を持つと同時に、「ヤクザ」、つまり犯罪組織の母体となった面もあります。「三合会」や「哥老会」など、香港映画でもおなじみの黒社会組織の系譜も、そのルーツをたどれば洪門会に行き当たります。

香港や台湾、そして東南アジア一帯の華僑社会では未だにこうした秘密結社的な犯罪組織が暗躍し、頻繁にニュースの三面記事ネタになり、いまでも現地の警察の頭痛の種ですが、シンガポールのそれはあまり聞きません。しかし清末にはシンガポールの洪門会系組織も活発で、孫文も資金援助を求めて再三再四シンガポールを訪問していますし、戊戌のクーデターで西太后派に北京を追われた康有為もシンガポールに一時亡命しています。

結論から言えば、シンガポールのそれは太平洋戦争の初期、日本軍のシンガポール占領直後に起きた、いわゆる「シンガポール華僑虐殺事件」により根こそぎ粛清されてしまったのです。マレー作戦の作戦主任参謀であった辻政信中佐(当時)が立案し、「シンガポールの人口を半分に減らすくらいの気持ちでやれ」と現場を叱咤したといわれている虐殺事件ですが、これを黙認したとされた司令官の山下中将(当時)は戦後のマニラ軍事裁判で絞首刑となり、辻本人はバンコクで終戦を迎えた後、中国へ逃亡・亡命して生きながらえ、数奇な戦後の人生を送ることなります。

南京事件にくらべてシンガポールの虐殺事件はあまり話題に上がりませんが、戦後のシンガポールでたまたま運良く虐殺を逃れたイギリス帰りの若き秀才、故リー・クワンユー氏が頭角を現し、世界でもっとも「優秀かつ清廉」とされたシンガポール政府・官僚組織を樹立することができたという歴史的状況証拠を踏まえるとともに、これを香港の戦後社会史と比較してみれば、かつての日本占領軍による粛清の徹底ぶりが推察できようというものです。

フリーメイスンから書き起こして、あらぬ方向へ連想が及びましたが、ここらへんで筆をおいておきましょう。