サステイナビリティというバズワード --- 森 宏一郎

2015年06月10日 13:06

人間活動起因の二酸化炭素排出による気候変動問題などの地球環境問題の議論において、サステイナビリティ(sustainability)や持続可能性という言葉が流行している。私もチームで都市のサステイナビリティを研究している。こう言うと、皆さんは、私が何を研究していると思うだろうか。

おそらく、都市が持続できる状態とは何かを明らかにし、都市をその状態にするために何が必要なのかを実践的に解明する研究をしていると思うのではないだろうか。


残念ながら、答えは違う。人類社会のサステイナビリティを確保するという視点から見て、都市における人間の経済・社会的活動をどのような状態にしなければならないかを問う研究をしているのである。

まず、都市が持続するかどうかは第一に重要な関心事ではない。もちろん、各都市が持続するほうが良いと思っているが、あくまでも、人類社会が持続できる状態を確かなものにするために、各都市はどのような状態にならなければならないのかを考えているのである。

ここまでの導入的な議論でも、すでにサステイナビリティとは何かについて気持ち悪さを感じるのではないか。実は、最近よく使用されるサステイナビリティ(持続可能性)という専門的な雰囲気のする言葉はバズワード(具体性や明確な合意・定義が無い流行語)にすぎない。

しかし、あくまでも、人類社会が未来にわたって存続することができる状態を考えるための言葉として、サステイナビリティを考えなければならないのではないだろうか。今回のコラムでは、サステイナビリティというバズワードの混乱ぶりについて議論してみたい。

◆サステイナビリティと持続可能性

サステイナビリティという言葉を日本語に訳すと、持続可能性となる。そして、この日本語の持続可能性という言葉がやっかいな混乱を起こす。

持続可能性と言うと、我々は「可能性」という言葉から、程度あるいは確率の意味を読み取る。つまり、持続可能性が高いとか低いとかという使い方をするように、どれぐらい持続可能なのかという程度や確率を問題にすることになる。

程度や確率を問題にすると、どのように持続可能な程度や確率をはかるのかという議論は残るが、持続可能性という言葉の定義は主要な議論の対象とはならない。

なぜならば、持続可能性という言葉の定義は、文字通り、持続することができる程度や確率のことということになり、そこにそれ以上の疑問や議論の必要が無さそうに見えるからである。

ところが、サステイナビリティと言うと、通常、程度や確率の議論は二の次となる。サステイナビリティの定義として、何がどのような状態にあることを言うのかが議論の中心となる。これは、英語で—abilityと言うと、第一義として—が可能な状態という意味を示すからである。

つまり、サステイナビリティは持続が可能な状態という意味の言葉であるため、サステイナビリティの定義として、持続が可能な状態とは何かを問わなければならない。

私はこの点に気がついて以来、サステイナビリティを議論するときは、持続可能性という日本語の使用を避け、外来語としてサステイナビリティというカタカナ用語を使うようにしている。

◆サステイナビリティとは何か?

では、サステイナビリティとは何だろうか。この議論で最も有名なものは、ブルントラント報告書の「サステイナブルな開発」の定義である。それは「将来世代が自分たちのニーズを満たす能力を低下させることなく、現在世代のニーズを満たす開発」である(注1)。

これは、将来世代と現在世代の間でそれぞれのニーズを満たす能力バランスを取った開発が行われていることがサステイナビリティであると言っている。この定義は有名ではあるが、批判も多く、必ずしも合意されたサステイナビリティの定義というわけではない。

実際、サステイナブルな開発という言葉で定義されたものに、次のようなものもある。サステイナブルな開発とは、エコシステムと生物種が自らを再生産し続けられるという条件の下で、人間のニーズを満たし続け、生活の質を改善し続ける見込みがある開発のことである(注2)。

専門的論文ではないので、網羅的に解説するつもりはないが、色々なサステイナビリティの定義がある。たとえば、サステイナビリティとは、人間と自然の関係性や将来世代に対してどのように責任を負うべきなのかを示す規範的概念である(注3)。

他にもある。サステイナビリティとは、時間においても空間においても生態系の閾値を超えないように形成される社会・経済・生態の連係プロセスのことである(注4)。サステイナビリティとは、環境の質、経済的繁栄、社会公正という3つ側面(トリプル・ボトムラインと呼ぶ)を両立させることである(注5)。

これらは似ているところもあるが、その具体的な内容や明確な定義に関する合意があるようには見えない。つまり、サステイナビリティは議論途上にある流行専門用語ということである。

◆サステイナビリティとは何かは誰にも分からない?

先日、サステイナビリティ研究を世界的に推進するために、ヨーロッパを中心に各国の研究資金提供団体(日本の組織も含まれる)が集まって議論する会議がベルギーであった。私も運良く出席する機会を得た。

この会議でのキーワードは2つあった。1つはサステイナビリティ、もう1つは超学際的な研究(Trans-disciplinary Research)である。超学際的な研究とは、学者だけではなく政策立案者や一般市民などの多様な利害関係者(Stakeholder)を巻き込んで、実践的な問題解決まで行う研究のことである。

会議では、これらの2つのキーワードに関わる講演が続き、10人程度の各ディスカッション・グループでもこれらについて議論された。しかし、どちらの言葉についても、具体的な内容や明確な定義に関して合意が取れているようには見えないのが現状である。

実際、この会議長を務めていたEC(European Commission)のディレクターと話をすると、サステイナビリティという言葉はバズワードであり、定義や具体的な中身として、どういうものがふさわしいかについてはよく分かっていないと、正直に話をしてくれた。

たしかに、比較的公平で豊かな分配を担保した、地球規模での人類の存続という視点から、多くの問題を抱えている。環境問題、貧困問題、資源問題、それらに付随する紛争問題などはサステイナビリティに関わる問題であり、解決に向けて取り組まなければならない問題群である。

サステイナビリティというバズワードを一般的に広く知られた専門用語に変換するためには、まず、何がどのような状態にあることが良いのかに関する価値観を明確に共有化することが必要だろう。その上で、可能な限り科学的に何を守るべきなのかを特定化することが必要になるだろう。

地球環境について何を守るべきなのかを特定化する試みとしては、プラネタリー・バウンダリー(planetary boundaries)という概念が出され、主要な9領域の環境負荷について死守しなければならない閾値の算出が試みられている(注6)。

◆おわりに

サステイナビリティと持続可能性の間の混乱、さまざまなタイプのサステイナビリティの定義や議論、サステイナビリティの具体的な意味に関する合意の欠如があるのが現状であるが、人類社会の健全な存続を考慮した定義をサステイナビリティという用語に与えて、サステイナビリティの価値観の共有化をはかるべきではないだろうか。

調査研究の一環で、インドネシアで識者を中心にインタビューを行ったが、〇〇〇(地球規模よりは小さい単位の何か e.g.地域や都市)のサステイナビリティと言うと、どうしても「○○〇が持続できること」を念頭に置いた議論となる。

しかし、そのタイプの議論は地球規模の問題に対処したいという我々のニーズとはうまく合っていないのではないだろうか。サステイナビリティ研究という文脈では、ローカルな研究をするとしても、地球規模あるいは人類社会の視点で持続できるとはどういうことかを問いたい。

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(注1)WCED (World Commission on Environment and Development). (1987). Our Common Future. Oxford Paperbacks, Oxford.
(以下からダウンロードも可能。 www.un-documents.net/our-common-future.pdf )
(注2)Allen, R. (1980). How to Save the World. Barnes and Noble, New Jersey.
(注3)Baumga*rtner, S. and Quaas, M. (2010). What is Sustainability Economics? Ecological Economics, 69, 445-450.(*はウムラウト、アゴラ編集部注)
(注4)Berkes, F. and Folke, C. (1998). Linking Social and Ecological Systems for Resilience and Sustainability. In Berkes, F. and Folke, C. (eds.) Linking Social and Ecological Systems: Management and Practices and Social Mechanisms, pp.1-25. Cambridge University Press, Cambridge.
(注5)Elkington, J. (1997). Cannibals with Forks: The Triple bottom Line of the 21st Century Business. Capstone, Oxford.
(注6)Rockstro*m, J., Steffen, W., Noone, K., et al. (2009). Planetary Boundaries: Exploring the Safe Operating Space for Humanity. Ecology and Society, 14, 32. まだ閾値が算出できていない領域もある。(*はウムラウト、アゴラ編集部注)

森 宏一郎
滋賀大学国際センター 教授


編集部より:この記事は「先見創意の会」2015年6月2日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。

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